第17話 母帰る

 そしてついにパトリクは大きなミスを犯したのだそうだ。

 ミスどころではない。詐欺だ。

 迂闊にもたちの悪い詐欺にひっかかり、大穴をあけた。


 このままでは来期はとんでもないことになる。

 さすがに焦ったパトリクはエステルのことを知り、やってきたというわけだ。

 なるほど、今なら書類上は普通の数字が出ている。

 しかし来期になればこれがガタガタになり、取引に警戒されるだろう。

 必死になるのは判る。


 ――でもそれであの態度なの? 商人の素質どころか人としてダメじゃない?


 これは余談だが、テレザはストレス解消を美食に求め、そのまま過食になり、また愛人も張り合うように美食と過食に走った。

 結果、屋敷にはテレザ級が二人鎮座することになり、それも父の精神を削ったようだ。もちろん食費の額も。


 このままではハイニーは潰れてしまう、エステル帰ってきて助けて! というのが母の主旨だった。

 エステルだってまさか潰れてしまえとは思わない。

 だって多くの従業員や職人、個人の行商人や仕入れ先等々、うちだけの問題ではないのだ。


 だがエステル一人が帰ったところで、どうにかなるものでもないと思う。

 これまで両親は堅実にハイニー商会を守ってきた。跡継ぎ問題は悩ましいとしても、引き続き父と母二人で切り盛りして、パトリクの性根を叩き直すしかないだろう。隠居するような歳でもない。


 でもその役目をエステルに求められても、上手く行くとは思えない。多分キレたエステルがパトリクを絞め殺す未来の方が確実だと思う。なまじ今はその技術があるだけに。


 そうでなくてもエステルはどちらかというと合理性を優先させる自分を知っている。

 ――ホーランデルスの「裏町」から人を雇ってパトリクと愛人に消えてもらう方が早くない?

 と思ってしまうような。


 こういう人間は一人でトップに立ってはいけないとエステルは思う。

 両親のように二人で舵取りをするならばいい。

 だがエステルは一人だ。婚期はとっくに逃している。このまま初の女性本部長になってやる! と気勢を上げて笑われたが、目指すだけならそれも悪くないと思っている。

 エステルの将来設計にハイニーに戻るという項目はなかった。


 エステルが考えあぐねている間にテレザの話はペターク家のことに移っていた。いつの間にかエステルのコーヒーも飲まれていた。


 エステルはフレーテスからテオの動向を聞いていたが、意外にも、いや案の定? テオの行動は両家にバレているようだった。

 ボサーク氏は行方不明になっているそうだ。さすがにあんなことをしでかしては顔を出せないんだろうなとは思う。

 ボサーク氏の家はペターク家の分家筋だが、相当険悪になっているそうだ。


 ペターク家としてはクラーラの身柄は確保されているし、いっそホーランデルスで閉じ籠もってくれていた方が体面はいい。

 テオがせっせと通うのは余計な出費だが、領都で積極的に商談をまとめようと動いている。

 そのうちクラーラに子が出来れば本宅に戻せばいい。さすがに身重になれば大人しくなるだろう。

 そんなことよりボサーク氏に盗まれた(そしてクラーラが豪遊して消し飛ばした)金の補填の方が重要だった。


 ペターク家としてはいったん落ち着いたようなものだが、ハイニー家から見るとクラーラをペターク家の者が監禁しているという実態はなんら変わっていない。


「あんな人達だとは思わなかった! クラーラが可哀想!」


と泣く母テレザを、エステルは冷めた気持ちで見ていた。




 その夜は宿舎のゲストルームを借りて母を泊まらせた。

 なんでそんな冷たいことをするの、親子なのに! と母に泣かれたが、エステルはどうしても自室に入れたくなかった。


 見かねた舎監の老人が、家族であってもお部屋には入れない決まりなのですよ、と言ってくれ、テレザはしぶしぶゲストルームに下がった。


「本当に色々とすみません。ありがとうございました」

「いえいえ、これが仕事ですから」


 舎監の老人に礼を言って、エステルは部屋に戻った。

 どっと疲れた。

 朝になればまたアレの相手をしなければならない。


 自分は冷たい人間なんだろうか。エステルは自問自答した。

 元恋人、腹違いの弟、母親。

 誰も彼も煩わしいばかりだ。

 家に居た頃はそんな風に思ったことはなかった。

 テオのことだって当時は本当に好きだった。裏切られたけど、自分が誰かを好きになって、そのために努力して、その間とても頑張れたことは認めてあげたい。

 実ることはなかったけれど、その過程まで否定したくない。


 あんな風にまた頑張れるだろうか。

 でもハイニー家やハイニー商会のために頑張れるか? と自分に問うても、エステルは無理だと思った。


 軍が好きだということもある。そりゃ時々嫌味を言ってくる奴はいるし、嫌がらせを受けることもある。でも基本的には個人主義実力主義で、貴族士官は知らないが平民の間ではそこまでこじれない。

 その水に慣れきったエステルが辺境の濃厚な人間関係の中に戻れるかというと、無理だと思ったし、素直に嫌だと思った。


 それに女性志願兵の最初の一人として一挙一動を見られている。後に続く後輩達のためにも簡単に投げ出したりしたくない。


 でもハイニー商会が傾くのを放置するのもどうかと思ってしまう。

 両親も弟もどうでもいいが、従業員達はとんだとばっちりで、こんなことで生活が変わってしまうなんて申し訳なさ過ぎる。


 エステルは一晩中悩み続けたが、これという答えは出なかった。





 次の朝、母テレザと近くのレストランに行き、一緒に朝食をとった。

 テレザは朝の光の下で見ても肌ツヤは良かった。美食といっても味より効能で選んでいたのだろうか。でも痩せた方がいいと思う。


 一緒に帰ろうというテレザをなんとか振り切り、馬車に乗せた。辺境までは馬車を乗り継ぐこともできるが運河を使うのが早い。ハイニー家も小さな船を持っていたはずだ。多分それに便乗してきたのだろう。


 テレザを見送り、エステルは大きな溜息をついた。


 どうしよう。


 こんな時相談できる相手がエステルには思いつかなかった。

 多分ファルケンは聞いてくれるとは思う。だが今ファルケンがどこにいるのか判らないし、わざわざ領都に呼び立てるようなことじゃない。


 ほんとどうしよう。


 エステルは途方に暮れた。


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