第3話 破局

 たまたま早く仕事が終わって帰宅を許されたエステルは、どういうわけかその時、こっそり帰ってやろうと思いついた。

 普段自分がいない時間の、家や店の様子を見てやろうと思ったのだ。

 どうしてそんなことを思いついたのか判らないが、ほんの悪戯心だった。


 玄関を一度通った後でそっと裏に回り、厨房の勝手口から中に入る。

 誰か居たとしてもそれならそれで別に構わなかった。

 だが、たまたま出払っているのか厨房には誰もおらず、エステルはこっそり帰宅することができた。できてしまった。


 足音を忍ばせて自室に向かう。

 エステルの部屋の手前がクラーラの部屋だ。

 クラーラに気付かれないよう、ことさら注意して歩く。


 クラーラの部屋から明るい笑い声が弾けた。

 誰か客が来ているらしい。

 ぎくっとして足を止める。


「……って、…じゃない……」

「…かな……だったよ…」


 話し声が途切れ途切れに聞こえる。

 盗み聞きのような格好になってしまい、エステルは焦った。

 慌てて立ち去ろうとする。


 だがその声に聞き覚えがあった。

 テオの声だった。


 ――なんだ、テオが来ていたのね。


 何故クラーラに? と一瞬首を傾げたが、幼少時より三人で遊んでいたのであまり深く考えなかった。

 それなら驚かせてやろうとエステルは稚気のままに扉をノックし、返事を待たずに開いた。


「ただいま、クラーラ」


 どうして返事を待たなかったのか。

 エステルは後になって考えたが、待ったところで結果は同じだったと思う。


 室内には確かにクラーラとテオがいた。

 クラーラもテオも寝間着のような格好で、寝椅子の上でぴったりと密着してくつろいでいた。

 クラーラの剥き出しの白い太腿が目に飛び込んで、エステルは頭が真っ白になった。


 呆然と廊下に立ち尽くすエステルを不審に思ったメイドが声をかけ、室内で慌てる二人を見て、何も言わず踵を返して足早に立ち去った。

 しばらくして両親が駆けつけて来た。





「お姉様、ごめんなさい……」


 はらはらと涙を零すクラーラは可憐で美しい。

 絵になる、というやつだ。

 ぼんやりとエステルは思った。


「違うんだ、僕が悪いんだ。エステル、クラーラを責めないでやってくれ」


 テオがクラーラを胸に抱き、クラーラを庇うようにしてエステルを見上げる。


 責めてなんていないわ。

 私、まだ何も言ってない。


 エステルが茫然自失とする横で、両親は二人に事情をたずねた。

 事情も何も、エステルが学校に行って不在の間二人で話す機会が多く、だんだんと惹かれ合っていった、というありきたりな経緯だった。


「お姉様には悪いと思っていたの。でも気持が止まらなくて……」

「判るよクラーラ。僕もだ。罪があるなら君だけじゃない、僕も同じだ」

「いいえ、テオは悪くないわ。好きになってしまった私が悪いの」

「それこそ同じだよクラーラ。僕も君を好きになってしまった」


 心からいたわり合う恋人同士の姿がそこにあった。


「そんなに泣くんじゃないクラーラ。お前が申し訳ないと思っている気持は十分判った」

「そうね……人の気持はどうしょうもないのでしょうね……」


 両親は最初こそ怒りを表していたが、クラーラが儚げに涙する様にその語気も弱まり、だんだんと逆に慰めるような調子になってくる。

 何故か母だけは苦々しい表情だったが、それでもいつもの流れだな、とエステルは思った。


 クラーラが儚げに俯き涙すると周りの人は一気にクラーラに同情的になる。

 いつもそう。

 これでクラーラに人を利用してやろうなどという邪心があるならまだよかった。

 クラーラは良くも悪くも何も考えていない。子供のままだ。


 ただ素直に思うまま望むまま口にするだけ。

 それで断られることがあっても、しつこくしたり恨んだりもしない。

 次に会えば屈託なく笑いかける。

 悪気はないというやつだった。

 だからエステルは苦しい。


 エステルだけお土産がもらえないのは、クラーラのせいではない。

 クラーラがエステルの分まで独り占めしたわけではない。

 エステルの分を確認したりもしないし、クラーラの分からエステルに分け与えたりもしない。

 クラーラは悪くない。

 そこで自分の分が欲しいと言えば、浅ましいとたしなめられる。

 それは、そう。でも。


 エステルが思考に沈んでいた間にも話は進んでいた。


「エステル、こうなったらしかたがない。テオとの婚約は解消しよう」

「エステルはクラーラともテオとも仲良しだから……判るわよね」


 何が判るんだろう。

 何を判ればいいのだろう。

 四人から注目されて、エステルは目の奥が熱くなった。


 ――いいなあクラーラは。泣いたら何でも望みが叶うんだから。


 エステルは子供みたいに思った。

 もしここでエステルが泣いてイヤだと言っても白けるだけ。

 もう大人だろうとか、泣いて駄々をこねるなんてみっともないとか、そういう風によくある親子喧嘩みたいに叱られるだけ。


 エステルが一言も発しないうちに状況は愛という罪を犯した健気なクラーラが許しを請い、それに寄り添うテオ、そして姉妹を見守りつつも姉が「正しい判断」を下すことを期待する両親、となっていた。


 どうしてみんな、私が諦めるのが最善みたいな顔をしているんだろう。


 エステルはテオが好きだった。

 クラーラだって好きだった。

 羨ましく思ってつらくなることもあったが、それは自分の感じ方のせいで、両親がエステルに無関心でも、クラーラには悪意はないと判っていた。

 それに可愛くて美しい妹を自慢に思う気持だってあった。


 あったけれど……。


 エステルはテオとの婚約解消に同意した。

 悲しみの底を抜けて、悔しさがあった。

 結局はエステルがクラーラより劣っているということだ。


 それが容姿であれ、性格であれ、なんであれ。


 世間的な評価は関係ない。

 今、この場で、テオと両親の中ではエステルよりクラーラが重要と判断され、尊重された。


 それが悔しかった。

 そして悔しく思うことが悲しかった。


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