第4話 都合のいい提案
エステルは婚約解消に同意したが、同意しない者もいた。
テオの両親だ。
その日の夜、家に帰って事情を話したテオをペタークの両親は殴り飛ばし、次の日の朝一番でハイニー家にやってきた。
「すまん、本当にテオが、あの阿呆が。すまん」
「ごめんなさい。まさかこんなバカなことをするなんて」
テオの両親はエステルに謝ってくれた。
この時は少しだけ救われたような気がした。
両家の話し合いは続いた。
ペターク家は最初の約束通りエステルに嫁いできてもらいたいと言った。
その時は感動したが、後から思えば学費も援助して投資して、仕事も出来ておとなしくタダ働きする人材なのだからそうだろうなと思う。
学費の分だけならもう働いて返していると思うが。
こうして話し合いをしている間もテオはクラーラを守るといわんばかりに隣に寄り添い手を握っている。
エステルは視界に入れたくなくてずっと膝を見ていた。
結局その日は話がまとまらず、いったん解散となった。
テオはクラーラと結婚すると言っている。
いくらペタークの両親がエステルを望んでも、テオにもうその気がないのだから結論は出ていると思うのだけど。
眠れない夜を越え。
次の日になってエステルは聞かされた案に再び頭が真っ白になった。
「テオとクラーラの意志は固いようだ」
「どうしょうもないわね」
溜息をつく両家の両親。テオとクラーラはこの場にいない。
いても意味がないから構わないけれど。
「もうテオとクラーラを一緒にさせるしかないだろう」
「エステルちゃん、本当にごめんなさい」
それは……判っている。
私はテオにフラれた。捨てられたんだ。
涙が出そうになるけどこらえる。
自分の気持がいつも通じるわけじゃない。むしろ通じないのが当たり前。
判っていたじゃない。
誰も私を選ばない。
必死で思いを呑み込もうとするエステルに、ペタークの両親は告げる。
「それでね、エステルちゃんもせっかく覚えた仕事が無駄になるのももったいないし、うちで正式に雇おうと思うの」
……何を言っているのだろう。
エステルは最初、言われている意味が判らなかった。
雇う? お給料出るのかな。だったらいいな。
ぼんやり考えながらエステルはそうじゃないな、と考え直した。
もう考えるのがつらい。
でもクラーラがお嫁に行ってしまうのなら自分が婿を取ってハイニー家、ひいては商会を継がなければならないのでは?
だったらペタークで働いてる場合じゃない。
急いでハイニーの仕事を覚えなければならない。
やっとそこまで考えて、エステルは両親にたずねた。
「ハイニーの跡継ぎはどうするんです?」
「む、それは……」
言い淀む父と、途端に冷気を発し始めた母を訝しんでいると、大きな溜息をついて母が話し始めた。
「……クラーラの下に弟がいたのよ。あなたが学校に行ってる間に騒ぎになったから、あなたは知らないのかもね」
「……弟?」
なんとなく母の腹を見た。そして「出来た」ではなく「いた」という言い回しと、父の顔と母の顔を見比べ、テオとクラーラの件が発覚した時の母の苦々しい表情を思い出し、まさか、とエステルは驚く。
「……今は支店に修業に出している」
ぼそぼそと小声で言う父を母は睨み付け、まだまだ腹立たしいとばかりにその足を踏んだ。
まさか。そんな。
父が浮気をして、あまつさえ子供まで作っていた……?
なんてことだろう。
テオも、父も。
なんで浮気するの。男はみんなそうなの。
混乱するエステルを置いて話はどんどん進む。
つまりその弟とやらを跡継ぎにするので、エステルは後のことは気にせずペタークに就職しろと。体の弱いクラーラの代わりに働けと。
元々両親は早くに婚約が決まったエステルを家から出て行く者、もうハイニー家の者ではないと見なして、まるで他人のように扱うことはあった。
エステルは子供のできなかったハイニー夫妻が孤児院から引き取った子供で、その後に生まれた嫡子がクラーラだとまことしやかに囁かれ、からかわれたことさえある。
今ではいっそその方が良かったとさえ思う。
それなら納得できるから。
こうしてクラーラが嫁に行くことになっても、両親はハイニーをエステルに継がせるという判断はしなかった。
憎まれているわけではないだろうが、両親の中でエステルは昔からハイニー家の勘定に入っていない。
だから突然現れた弟が跡継ぎなのだ。それが婚外子であってさえ。
男だからというのも勿論あるだろうが。
家も継がせない、家業を手伝わせるでもない、新しい結婚相手を探そうともしない。
そこまで興味がないのだろう。
と、いうか。
弟の話なんて今まで誰も教えてくれなかった。
私は一体なんなんだろう。
ハイニー家の長女で、テオの婚約者。
テオと結婚して、ペターク商会の女将として、テオと共に商会を盛り立てていくはずだった。
それが今は両親には軽んじられ、婚約者には捨てられ、その婚約者の浮気相手は妹で、実家は知らない弟が後を継ぐ。
私は浮気の末に私を捨てた相手と、私から好きな人を寝取った妹が仲睦まじくする家の商会で、雇われ従業員として二人のために働けって?
すごいな。
エステルは思った。
この人達は自分に都合のいいことをちゃんと見極め、それを押し通そうと動いているんだ。
エステルの気持を考えるなんて無駄なことはしない。
テオも自分と同じ未来を見ているのだと呑気に信じていた間抜けな私とは違う。
エステルは笑い出しそうになった。
もう返事をするのもわずらしくて、エステルはできるだけ沈痛な面持ちを作ってまだよく考えられない、と適当に誤魔化しその場を離れた。
さすがに昨日の今日なので強く引き止められはしなかった。
一応あの人達にも常識があったらしい。
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