第18話 選択肢

 結局答えを出せないまま日々が過ぎ、エステルは憔悴していた。

 そんなある日、コウトニーに呼ばれた。


「エステル君。ちょっと」


 コウトニーに手招きで呼ばれ、エステルはコウトニーの執務室に入る。

 コウトニーはエステルが初めて見る書類を差し出した。

 受け取って流し見る。

 なんだろう。予約?


「今ね、フレーテス殿が本部に来てて。ランチの約束をしたんだけど、急に上から用事を言いつけられちゃってね。悪いけど君、伝えておいてくれるかな」

「かしこまりました」


 エステルは顔には出さず驚いた。もう一度書類を見る。

 食堂にある、上級士官が打ち合わせなどにも使う個室の使用許可証だった。


 退室し、食堂へ向かいながらエステルは胸が温かくなった。

 本来ならエステルのプライベートの問題なのだからエステルが自分で処理するべきなのだが、こうしてそっと配慮をしてくれる。

 部下のメンテナンスも仕事のうち、といえばそれはそうなのだが、それができる上官の下につけて、エステルは本当に恵まれていると思った。




 フレーテスは食堂で待っていたのがエステルだと気付いて驚いていた。

 これは芝居じゃないな。

 ということはコウトニーの独断だったようだ。


「えっ、そうなのですか。いや……まあ確かにちょっとした打ち合わせで、だから食事でもしながら話しましょうかとなったぐらいなので、大丈夫ですよ」 


 フレーテスは素早く立て直すと、エステルのために椅子を引く。

 こういう時エステルは困る。

 聞いたことはないが(そして教えられていないが)、フレーテスは多分、エステルよりずっと上の階級だと思うのだ。萎縮しないようにあえて伏せられているだけで。

 大体、呼び方だってそう。本当なら何かもっと仰々しいはず。私達はざっくばらんに「フレーテスさん」なんて言ってるけど。


 椅子を引くのはむしろエステルの方なのではないかと思う。

 でもここで譲り合っても埒が明かない。

 なのでエステルは素直に感謝して座るのだが、どうにも居心地が悪い。


 料理を全部出してもらって、ドアを閉める。

 この部屋はガラスの嵌った窓があるので、ドアを閉めても食堂から室内が見える。コウトニーが初めからエステルに譲るつもりでこの部屋を取ったのだと判って恐縮した。 


「何かお悩みでも?」


 せっかくの上のランクの料理なのにろくに味わう余裕もないエステルに、フレーテスは率直にたずねてきた。

 エステルは迷ったが、コウトニーの気遣いに甘えることにし、またフレーテスにも甘えることにした。

 王都に移動になればもう会えないのだから、最後と思って許して欲しい。


 エステルは母が来たことや母の語った現状などを包み隠さず話した。

 隠したところでバレるだろうし、それどころかフレーテスは既に知っているような気さえしていたからだ。


「なるほど。それはエステル嬢の立場では本当に悩むところですね……」


 フレーテスは理解する、というように神妙な顔で頷いた。こうした、ちょっとした共感に人は弱い。エステルはつらい心境を慰撫された気持と、上手いなあという感心が同時に湧き上がった。よく覚えておこう。


「ペターク商会はともかくとして、ハイニー商会とは契約を結ぶという方法もあるのでは?」


 フレーテスがそんなことを言い出した。

 エステルは目を剥いた。


 それは……汚職ではなかろうか。


「もちろん、何もないままでは駄目です。ですが、エステル嬢の構想を弟君に伝えて、きちんと計画を作ってハイニー商会から提出して、承認を得られたなら、それはそれでよくないですか?」


 よいのだろうか。

 確かに商会の相談には随時応じている。こちらだって契約したくないわけではないし、一番優先されるのは物資がつつがなく十全な状態で納入されることなのだから。

 それと同じことだろうか。


「または、もういっそ思い切ってハイニー商会に戻って、全部エステル嬢が取り仕切るのも悪くはないと思いますよ」

「えっ! でも」


 それは軍を辞めるということでは。

 エステルはフレーテスの口からその選択肢が出たことに驚いて見返した。


「確かに、エステル嬢は女性志願兵の皮切りとしてこれまで頑張ってこられました。でも無理に背負い込むことはありません。志願した時のことを思い出してください」


 あの時。

 テオとクラーラに裏切られて、両親もテオの両親も勝手なことばかり言って。


 悲しくてつらくて。

 この町からいなくなりたいって。

 この人達のいないところへ行きたいって。


 でも一人ではどうすることもできなくて。


「エステル嬢は避難先として軍を選んだんです。今はどうですか? もう立ち向かう力がついたのではないですか? なら、満を持して『戦場』に戻るという選択肢もあると思いますよ」


 フレーテスは優しくそう言ってワインを注ぎ足した。

 エステルはグラスを見つめながら考える。


 軍に入ったことを後悔したことなんてない。このままここで頑張っていくのだと思っていたし、そのつもりだった。

 でも、そのために家を見捨てるのも心苦しい。

 エステルが戻って何かが劇的に変わるとは思えないけれど、少なくとも罪悪感からは逃れられる。


 結局、そこなんだなとエステルは思った。

 軍を取るか、家を取るか。

 エステルは家を見捨てる覚悟ができないでいる。


 そして軍にいながら家を救うなら、最初にフレーテスが言ったようにエステルのアイディアを授けて契約を取らせるのだ。

 契約すると言ってもエステル個人の裁量で全てが決まるわけではないし、なんなら他の担当官に持ち込めばいい。

 エステルは助言をするだけで、案件自体は正当な手段で提出される。

 エステルは今の生活も維持できるし、家も助かり、罪悪感も抱えずに済む。


 エステルはフレーテスの顔を見た。

 その整った顔には万人を安心させ、力付けるような優しい微笑みが浮かんでいる。

 とっておきの顔だ。


 エステルは雷に打たれたかのように閃いた。

 心臓が早鐘を打つ。一気に体温が上がった。


 判った。


 これは……



 「試験」だ。



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