第10話 六年後
――あれから六年。
エステルは今、領都の国軍補給部本部に勤務していた。
昇級試験にも合格し、少しだけ昇進もした。
やっていることは商家時代と変わらない。
納入物品の管理、検査、仕分け、購入、価格交渉、等々だ。
違いは小売りがないことぐらいである。
各地に出張した時には有用そうな物品を探し、提案するのも仕事だ。
エステルは領内をあちこち飛び回った。
独身、家族とは絶縁状態、友人は軍内部だけ、貴族でもなく、紐付きでもない。
経歴真っ白な平民からの志願兵で、数少ない女性士官。
部署内で一番下っ端。
エステルは便利な存在だった。
補給部といっても色々な仕事がある。
業者との癒着を防止するため数年ごとに納入業者を変えなくてはならないとか、食糧は同じ産地から全てを仕入れてはならないとか、理由を知れば納得はするが実に色々と煩雑な決まりがある。
業者を変えるといっても取り扱いの種類や量もあるし、また信頼できる正規の商会を通す必要があるので、どこの誰でもいいというわけでもない。
商会の経歴を調べ、時には丁々発止のやりとりをすることもある。
エステルは実家やペターク商会にいた頃は商談が怖かった。
緊張してつらかった。向いてないと思っていた。
だが恋人と妹に裏切られ家族と別離し、訓練を経て本当につらい経験を乗り越えた今、あの頃が嘘のように度胸がついていた。やはり筋肉。
「値上げの理由は?」
「こちらも苦しいところでして……どうしてもこの価格になります」
応接室で商会からの担当者と向かい合い、渡された資料を見る。
初めて見るようなふりで視線を落とすが、数字は事前に入手しており、部内で検討は終わっている。
最終判断はエステルに任されていたが、ニヤニヤと笑う担当者の顔をチラリと見て、決めた。
「そうですか、残念です。では折り合いがつかなかったということで、契約は不成立です。本日はご足労いただきありがとうございました」
しかたない、と息をついて立ち上がりかけるエステルを担当者が慌てて押し止めた。
「えっ、いや待ってくださいよ! そんな……」
「こちらも予算がありますから。残念です」
「いやいや、私と貴方の仲じゃないですか!」
どんな仲だ。
エステルは考えた。そしてああ、と思い至った。
この担当者はまあまあの男前で、その顔で女性相手には上手くやってきたらしい。
情報部から上がってきた資料にそんなようなことが書いてあった気がする。
国軍側の担当官がエステルになってから、しばらくして商会の担当者がこの男に替わった。
ちなみに前任者は肉感的な美女だった。
エステルとしてはそういうのは「営業努力」だと思っているので、気にはならない。手を出してきたら出禁だが。
確かにこの商会とはこれまで取引を続けてきたが、エステルは潮時だと考えていた。
どのみち同じ業者を長く使うことはできない。いつかは変える時が来る。
今回少々早めになるが、エステルは切るつもりだった。
「こちらとしては予算内で指定した通りのものを納めてくだされば何の問題もありません。そちらが納入品を用意する段階で『ちょっとした工夫』があっても、それは商会の裁量であり、商人の腕の見せ所ですから」
国軍に納入される物品の金額は市井での実際の取引額より若干高めで通している。
同じ物品でも産地で仕入れるのと輸送費が乗った遠隔地で仕入れるのでは価格が違う。また、毎回同じ条件で仕入れることができるとも限らない。
これが民間の商会なら毎回価格を見直すところだが国軍の規模でやるとお互い煩雑過ぎる。
そういう様々な条件を加味して、均した額を設定している。
なので商会側から見ると国軍には割高に売りつけることができて「おいしい」のだ。
頑張って安く仕入れてきたならその差額は大きくなり、商会の儲けとなる。
だから国軍との取引は商会同士で熾烈な奪い合いとなっていた。
エステルが配属される前はこの商会同士の争いに担当官が少なからず巻き込まれ、契約時期が来るたびに疲弊していた。
後任となったエステルはまったくの新人、どことも関わりがないのをいいことにこれまでナアナアだった関係をバッサリと整理した。
もちろん脅されたり後をつけ回されたり宿舎の前にゴミを撒かれたりと色々あったのだが、国軍での訓練やファルケンの指導で「たとえ襲われても逃げ切れる」という自信があったので案外平気だった。
もっとも犯人達はあっという間に突き止められたし、依頼した商会も判明していた。
その後どうなったのかエステルは知らないが、あれから見かけないことは確かである。
大体、軍に喧嘩を売って無事に済むと思った程度の判断力なら、遅かれ早かれ消えていっただろうなと思う。
仕入れの「工夫」は構わない。それは商人の腕の見せ所だから。
でもやっていいことと悪いことはある。
極端な例は盗品だ。元手タダなら丸儲けできる。だがそんなことを許すわけにはいかない。
後は仕入れ先を不当に買い叩く等、色々あるのでエステルはそこも全て契約書を作らせ、提出させている。
面倒だなんだと文句は出たが、だったら契約しないだけなので別に構わない。
商会同士が示し合わせてどこも契約に名乗り出ないという手段に出た時もあったが、その時はフレーテスを通じてホーランデルスの商人を呼び寄せた。
あの時は傑作だった。自分の役回りを判っているホーランデルス商人が商会連中を煽りに煽りまくって、ついでにちゃっかり儲けて帰っていった。
「勿論判っていますよ。こちらも仕入れとは正当な取引をしています。しかし下から少しづつ上がってきたら、そのまま押し上げられてしまうのは当然でしょう?」
その中間に商会の取り分があるけれど。
そこを減らさずに天井を上げようっていうのは、まあ理解する。
でも予算は増えないので、こればかりはどうしようもない。
そこをエステルにどうにかして欲しいのだろうけれど、そんな義理もなければそもそも権限もない。
この商会でなければ仕入れられない、という物品でもない。
今回の契約が終了するとこの商会が傾く、というわけでもない。
結論、今回はこれまでだ。
「予算は決まっていますから」
「そこをどうにかするのが貴方の仕事でしょう?」
私の仕事をお前に決められる謂われはないのだが。
結局この男は最後までこういう舐めた態度だったな、と思う。
別に舐めていてもいいがそれを相手に悟られる時点で三流だし、そんな三流を交渉担当者に立ててくるような商会ということだ。
縁があればまた数年後に契約する可能性もあるだろうが、やっぱり一度切った方がいい。
やれやれ。エステルは内心溜息をついた。
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