第9話 泣いて笑って

 バスで顔を洗い、さっぱりする。

 まだ目は赤いけど、すっきりした。

 きっとまた悲しい気持がぶり返して涙が出ることもあるだろう。

 でもその時には今日のことを思い出そう。


 ファルケンが来た本題はエステルの配属についてだった。

 書類をめくりながら話す。


「兵士訓練所なんて食い詰めたごろつきの巣よ。人間未満を一度粉砕してギリギリ人間みたいなものに固め直すような所、婦女子が歩いていたら危険でしょうがないわ」

「それはホーランデルスでの話ですね。エステル嬢ご安心ください。その点に関してはハンゼルカの男性はとても文明的です」

「あら、つい最近言葉を話す珍しい豚のお話を伺いましたわよ。なんでもお名前はテオとか」

「それは私も聞きましたね。エステル嬢の幼馴染みと同姓同名だとか」

「それはお気の毒ね。ご気分が悪いでしょう」


 エステルは二人のやりとりにクスッとした。


「どうぞお気遣いなく。もう過去という箱に片付けました。鍵は川に放り投げてしまいましたわ」


 二人に合わせて答えると、にっこりと笑顔が返ってきた。




「女性兵士受け入れといっても、さすがにいきなり大勢入れても目が届きませんから、まずは数人から始めていくことになっているの」

「その第一弾としてご尽力いただくのがエステル嬢。あとついでにファルケン」

「そしてその支援にあたるのがこのフレーテス」

「ありがとうございます、フレーテス様、ファルケン様」

「感謝してもよいのかどうかは、もう少し後になってから判断されたほうがよくってよ」

「そこは反論できませんね。でもエステル嬢、ハンゼルカ軍は想像よりずっと文明的ですよ」


 そもそもまったく知らないので基準が判らない。

 エステルは曖昧に笑って、フレーテスの淹れてくれたお茶を飲んだ。

 本当に美味しい。


「当初、女性の志願者は施設運営の方に組み込む案が出ていたんですが」

「施設運営とは?」

「国軍所有施設の管理運営、まあ営繕だったり食堂運営だったり、ハコの管理ですね。でも訓練中や任務中に何らかの傷病を負って前線に立つのが困難になった者もこういう部門に回りますし、女性だからという理由で配属するのもいかがなものかと」

「ダメなんですか?」


 うーん、とフレーテスは腕を組んで言う。


「個人の資質や適性は尊重されるべきでしょう。このファルケンのように前線で敵を血祭りにあげる才能がある女性がいた場合、それを後方に置くのは人材活用の点でどうなんだ、と」

「女は三人殺してからが本番よ」

「それはホーランデルスでの話ですね」


 なるほど、最初から配属先を決めてしまったら後続に影響しそうだという懸念は理解できた。


「そういうわけで、一通り全部署横断してみましょう。楽しみですね、エステル嬢」

「は?」

「なにせハンゼルカ軍は女性兵士がこれまでいませんでしたから。もう直に経験させた方が早かろうと」

「えっと……つまり」

「楽しみですね」


 にっこり笑うファルケンは大層美しくて見とれてしまったが、とんでもないことを言われていることは判った。

 そして回避不可能なことも。





 ファルケンの宣言通り、エステルはファルケンと一緒に領都のハンゼルカ軍のあらゆる部署を二年かけて渡り歩いた。

 基礎訓練はきつくて最初のうちは泣いてしまった。

 泣きながらも走るのは止めないエステルを兵士達は最初遠巻きにしていた。そのうちガラの悪い連中が笑ったりからかったりしてきたが、ファルケンの訓練相手に指名され救護室送りにされていた。


 体中が痛くてつらくて、夜眠りにつく時もう目覚めたくないとさえ思ったこともあるが、ファルケンが一緒にいてくれたことでなんとか乗り越えられた。

 これが戦友というものなのかなと思ったりした。

 エステルの体験レポートはフレーテスがまとめてくれていた。後続の役に立てばいいと思う。


 最終的にはエステルもそれなりに体力、筋力が培われ、ファルケンのように男性兵士に勝つことはできないものの、行軍の末尾についていけるぐらいにはなった。

 フィジカルの強さは自信に繋がることが判った。


「やはり筋肉」

「エステルもお判りになって? そう、最初も最後も筋肉よ」

「それはホーランデルスでの話ですね。エステル嬢、騙されないで」


 ハンゼルカ軍内を回る日々の間に聞いてみたが、やはりフレーテスとファルケンはホーランデルス人だった。

 今回の女性兵士受け入れについて協力するため出向してきているとのこと。

 三人でチームを組んで活動した二年間は、過ぎてしまえばあっという間だったが、エステルは楽しかった。


 訓練で泣きながら吐いたり体中が痛くて泣いたり傷だらけ打ち身だらけで泣いたりしても、これまでの人生で一番楽しい時間だった。



 最終的にエステルは補給部に配属された。

 商家出身であり、学校も出ており知識も経験もある。軍の中で自分が一番貢献できることを考えた結果だった。


 ファルケンはまた別の志願者の支援のために移動していった。

 寂しかったが連絡先を交わし、手紙のやりとりを続けている。

 フレーテスは「追跡調査もありますから」と、レポート作成のために定期的に面談をしている。

 面談のあとで食事に行ったり、都合が合えばファルケンも合流する。その時ファルケンが支援している別の女性志願兵と会うこともある。


 狭かったエステルの世界は少しづつ広がっていった。


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