第8話 大っ嫌い

 次の日の朝、エステルはすぐにでも出られるよう着替えと身繕いを済ませ、荷物をまとめておいた。

 部屋着やタオルなど使ったものも一応洗って干してある。

 旅行記の続きを読みながら呼び出されるのを待っていると、ノックがあった。


「エステル嬢、朝食はいかが?」


 きりっとした滑舌の良い女性の声がして、エステルはびっくりする。

 慌ててドアを開けると、両手にトレイを持った背の高い騎士服姿の女性が立っていた。

 その後ろにフレーテスもいる。


「初めまして。まずは中に入っても?」

「は、はい」


 エステルは慌てて大きくドアを開いた。


「ありがとう」


 女性が大きなストライドにもかかわらず優雅に入ってくる。

 その後ろからフレーテスがポットとバスケットを持って続く。


「おはようございます、エステル嬢。よくお休みになれましたか?」

「はい、ありがとうございます」


 女性は居間のテーブルにトレイを置き、フレーテスからバスケットを受け取るとその中から皿やカップを出して並べた。

 終わるとエステルに向き直り、


「あらためまして。私はイェニフェル・ファン・ファルケンフット。言いにくいと評判なのでファルケンとお呼びください」


 どこかで聞いたフレーズだなと思いながら差し出された手を握る。

 大きな若葉色の目がいたずらっぽく輝く。艶のある金髪を後ろでシンプルにまとめてあるが、フレーテスと違いふんわりとしていて、とてもおしゃれだった。


「さあ、冷めないうちに食べましょう」


 すっかりセッティングされたテーブルにはサンドイッチや紙袋に入った揚げ物、切ったフルーツなどが並べられ、まるで学生食堂のようだった。


「官舎には食堂がないのよ」

「寝に来るだけですからね」

「平民なら自分で作るし、貴族なら外で食べてくるものね。エステル嬢、遠慮しないでたくさん召し上がって。味は保証しますわ」

「朝から揚げ物ですか」

「昨日は朝からステーキよ」


 実に賑やかな二人だった。

 三人でテーブルを囲んで、二人が盛り上がって、エステルは聞いているだけなのに、テオとクラーラとのお茶会みたいに疎外感を覚えないのが不思議だった。何が違うんだろう。


 渡されたサンドイッチが大きくてエステルは戸惑ったが、これからはそんなお上品なことは言っていられない。

 えい、と思い切ってエステルは大きく口を開けてかぶりついた。

 シャキシャキした葉野菜と焼いた鳥肉、チーズの味が渾然一体となって口の中で広がる。


「おいしい……」

「でしょう。官舎の裏手に新しく出来た店なの」

「テイクアウトなんてやっていましたか?」

「やらないかって提案したのよ。懇切丁寧にプランを立ててきたからこれはそのお礼」

「カツアゲじゃないですか」

「絶対儲かるプランを無料で指南したのよ。お気持ち程度のお礼をいただいても合法だわ」

「今日だけなのですか?」

「私だけ永年パスよ」

「カツアゲじゃないですか!」


 二人のテンポ良い応酬に、エステルは知らず知らずのうちに微笑んでいた。

 やっぱり違う。何が違うんだろう。

 ファルケンは騎士だ。ということは貴族令嬢である。動きの端々が妙に優雅でその片鱗を感じるが、今は手掴みでサンドイッチを豪快に食い千切っている。フレーテスと違い、芝居っ気を感じないのでこれで素なのだろう。


「エステル嬢、シュークリームってご存じ? でこぼこした生地の中が空洞になっていて、そこにクリームを詰め込んであるのよ。手を汚さずにクリームをいただくことができるの。なんて素晴らしい発明かしら」

「これだけ食べておいてスイーツまで食べるんですか」

「朝から豚一頭食べるのが貴族よ」

「貴族はそもそも朝のこんな時間に起きていません。それに豚一頭も食べません」

「一人一頭よ」

「嘘ですからねエステル嬢!」


 ファルケンは食器の入っていたバスケットから薄紙で包んだシュークリームを出し、エステルの前に二個置いて、フレーテスの前に一個置いた。そして自分はさっそく薄紙をむいてかぶりつく。かなり大きく口を開けているのに下品にならないのが不思議だ。


 まるで学生に戻ったみたいだとエステルは思った。

 もちろん学校でこんな風に同級生と和気藹々と食事をしたことなんてない。節約のために弁当持参だったし、その弁当を食べる時間も片手に教科書を持って復習していた。


 これまで取りこぼしていたものを取り戻しているような、そんな心地だった。


 そしてテオとクラーラの時と何が違うのか漠然と判った。

 あの時、二人はわざとエステルには判らないように話していたのだ。

 二人だけが知っている出来事について話したかったわけではない。二人だけが知っている出来事があると、エステルに知らしめるためだけの会話だった。


 エステルが知らない話でも判るように話すことだってできる。フレーテスとファルケンがそうだ。

 それにフレーテスとファルケンは常に「エステルが同席している」ことを忘れない。目線でもそうだし、会話でもそうだ。

 でもテオとクラーラはエステルなんて眼中になかった。

 気のせいとか、自分が悪く受け取りすぎなのだと思っていたけれど、違う。


 エステルはテオとクラーラを嫌いになりたくはなかった。

 破局したとはいえ、幼馴染みであり初恋だった人と実の妹を嫌うだなんて、そういう人間になりたくなかった。

 そういう人間は、悪い人間だと思っていた。

 だから自分の方が悪いと思っていた。


 でも。

 そんな綺麗事はもうたくさんだ。


 嫌い。大っ嫌い。

 テオも、クラーラも、嫌い。父さんも母さんも嫌い。

 悪い人間でいい。


「エステル嬢、まだ時間はあるからいっぱい食べて。フレーテスが新しいお茶を淹れるわ」

「私ですか」

「得意でしょう?」

「得意ですね」


 知らないうちにエステルはぼろぼろと泣いていた。

 シュークリームにかぶりつきながら。

 なんて間抜けでみっともないんだろう。でもお腹は空くし、涙も出る。

 横でファルケンがハンカチで目元を拭ってくれている。申し訳なさ過ぎる。


「ご、ごめ……」

「昨夜泣けなかったのね。いいのよ、今泣いてしまいなさい。スイーツ食べながら失った恋に涙するなんて、最高に淑女らしい行動よ」


 嘘でしょう?! と少し遠くでフレーテスが叫ぶのが聞こえた。ファルケンが丸めた紙袋を投げつける。


 ほとんど初対面の人達なのに、まるで古くからの友人のように慰めてくれるのが、エステルは嬉しくて、テオのことを思うと悲しくてまた涙が出て、サンドイッチは美味しくて、シュークリームもとても美味しかった。


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