第7話 官舎にて
小さな鞄ひとつだけを抱いて、エステルは家を出た。
そのままフレーテスに連れられ馬車に乗る。
「ひとまず官舎へご案内しましょう」
「官舎?」
「はい。訓練所には現状、女性用の宿舎がありませんので」
女性兵士の枠がないなら当然だなと思った。
今更ながらにエステルは自分の扱いが気になった。
そんなエステルの内心を察したのか、フレーテスは言った。
「実はですね……国軍は女性を採用しないというきまりはないんです」
「はあ……えっ?」
「慣習として受け入れてこなかっただけで、禁止する法はないんですよ」
「ないんですか」
「ないんです。だからこれからもっと積極的に採用していこうと上層部で話がまとまりまして」
「そうなんですね……でもどうしてですか?」
ハンゼルカ王国軍は決して弱くはない。東と南を強国に挟まれてはいるが長年独立を保ってきた。騎士も兵士も数は足りている。無理に女性を採用する必要があるとは思えない。
志願したエステルが言うことではないのだけれど。
「理由は色々ありますが、まずそもそも受け入れない根拠がなかったことと……隣国のホーランデルスのことはご存じですか?」
エステルは頷いた。ハンゼルカ王国の西側にあるのがホーランデルス王国だ。
海に面した海洋国家で、漁業と商業が盛んで大陸の西の玄関口とも言われる。ハンゼルカとは長年の友好国でもある。
エステルが学校で学んだ程度のことを答えると、フレーテスは大いに頷いた。
「よくご存じですね、素晴らしい。さてその隣国では女性も軍務に就きます」
「そうなんですか」
「はい。そして最近問題になっているのがハンゼルカ出身の女性が志願してくることなんです」
「えっ? だって、外国の軍なのに?」
「外国人枠があるんですよ。ホーランデルスは様々な国から人が入ってくるので、対応する人間も各国出身者を取り揃えております」
商人みたいな口ぶりだなあ、とエステルは思った。
フレーテスの話し方や雰囲気が、仕事で会ったことがあるホーランデルスの商人達に少し似ていた。
「志願してくるのは別にハンゼルカの女性だけではないのですが、長年の友好国ですし国境の出入りも自由でしょう? それを差し引いても多いんですよね」
フレーテスは語る。
志願したハンゼルカ出身の女性達は皆真面目で、特に問題もなく見過ごされてきた。
しかし近年ホーランデルスで軍の再編を進めていて、その過程でちょっと数が多すぎではないか? と注目されたのだそうだ。
「どうも女性達の駆け込み先になっていたようなんです」
「駆け込み……?」
「色々とお困りになった女性の逃げ込み先ですね。これが犯罪がらみでしたら普通に逮捕されるのですが……まあ親族間のトラブルですとか、意に沿わぬ婚姻ですとか」
言っていることは判る……ような気がする。
「でもそれは教会や神殿があるのでは」
「教会も神殿も話は聞いてくれますよ。でも聞くだけ。そうですね、心を強く持って、神があなたを見守っています、いつでも来てください、また来週」
ひらひらとフレーテスが手を振ってみせる。
エステルは驚いた。なんとなく教会も神殿も頼ればそのまま保護してくれるようなイメージを持っていたからだ。
「まあ仕方ないんですよ。いちいち抱え込んでいたらパンクしてしまう。それに教会や神殿は何の権利もありませんから。娘を引き渡せと親に言われたら、それを拒否できないのです」
裏口から逃がすぐらいはしているようですけどね、とフレーテスは言った。
エステルは急に心配になった。
「あの、私は」
「国軍は違います。極端な言い方をすればもうエステル嬢は国王陛下に所有権があります。親が来ようが領主が来ようがお呼びじゃない。ならず者を集めたってまさか軍施設に殴り込んで来ないでしょう。来てもいいですけど」
フフ、と笑うフレーテスはやはりその整った顔にしては愛嬌がある。
その愛嬌が適度な隙となって警戒心を和らげるのだろう。
そして意識的にそう振る舞っているふしがある。とても頭の良い人だ。
「フレーテスさんは、優秀な方なのですね」
「そう思われる努力はしていますので、お褒めいただけると嬉しいですね」
教師に褒められた生徒のように笑う。
やはり「お上手」だなとエステルは思った。
「要するにホーランデルス軍にケツを蹴り上げられたハンゼルカ軍が女性兵士受け入れに積極的に取り組み出した、ということです。なのでエステル嬢の志願は丁度良かった。私も配属されてさっそく成果を出せそうで、いやあ、ありがたい」
お任せあれ、と胸を張るフレーテスは適度に頼もしく、適度に軽い。
エステルはそういう風に人に与える印象を操るフレーテスの技術に感心していた。
◇
案内された官舎は上級士官用のもので、寝室と居間の二部屋に加え簡単なキッチン、バス、トイレと全て付属している仕様だった。
「訓練所だとバスもトイレも共用なのです。改装工事はまだ始まりもしていないので、しばらくは士官用施設を間借りする形になるでしょうね。エステル嬢の配属は追って連絡します。ひとまずここでゆっくりお休みください。あいにくメイドはご用意できないのですが……」
「は?」
ぽかんとしているとフレーテスが困惑顔になる。
メイド?
「いえ、自分でできますから……?」
「そうなんですか? 大店のご令嬢なら身の回りの世話をするメイドが必要なのかと」
「家事を手伝ってくれるメイドはいましたが、自分のことは自分でできます」
なぜか驚いているフレーテスにむしろエステルの方が驚く。
もしかして隣国や王都の大商家は貴族同然の生活をしているんだろうか。
「そうですか……でもお困りのことがあれば申し出てくださいね」
フレーテスは理解したという顔をすると去っていった。
エステルはその背を見送り、ドアを閉め、居間のソファにぼすんと座り込む。
「はあ……」
静まり返った官舎内にエステルの溜息だけが響いた。
だめだめ、こういう時は落ち着いたらだめだ。動き続けないと。
立ち竦んでしまう。
エステルは官舎内を確認した。
クローゼットには簡単な室内着や夜着が掛けられていた。他、タオルが大小数枚づつ、コップ、水差しなどがある。
キッチンには夜食用だろうか、布に包まれたパンがありワイン瓶が二本あった。
ホテルのようだった。多分居住用ではなくゲストルームなのだろう。
せっかくだから満喫しよう。
時刻はもうすっかり夜だった。配属のことにしてもフレーテスが来るのは明日のことだろう。
そういえば夕食を食べ損ねた。
エステルは自覚すると急にお腹が空いて、キッチンのパンとワインを拝借した。
バスでのんびりくつろぎ、室内着に着替えると寝室の本棚から本を取ってベッドに転がった。
本は軍に関係する解説書か何かかと思ったら、旅行記だった。
ハンゼルカ出身の著者が近隣各国を旅した時のエピソードを綴ったもので、とても面白かった。
その中で隣国ホーランデルスで物売りの少女の若葉色の瞳が印象的だったという話があって、ふとフレーテスのことを思い出した。
そうだ、このあたりでは珍しいなと思ったフレーテスの若葉色の瞳は、ホーランデルス人に多い色だった。
「外国人だったのかしら。でも外国人がどうしてうちの国軍に?」
ちなみにその少女の交渉術にはまってまんまと割高に買わされたという話で笑った。
ホーランデルス人は商売上手で子供であっても油断ならない。
エステルは定価がなくて交渉次第というホーランデルスの商取引が正直苦手だったが、代理人にした時の頼もしさも知っていた。
「でもいつもぼったくられるのよね」
どうもエステルは押しが弱い。自覚はある。
だからいつも押し退けられて、テオだって……
「やめよう」
今は考えない。もう終わったことだ。
終わったことにする。過去にする。
それからもう少し本を読んで、エステルは就寝した。
幸い、嫌な夢は見なかった。
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