第6話 家を出る

 エステルはフレーテスに促されるまま、事のあらましを語った。

 聞き役としてのフレーテスが優秀だったのもあるが、エステルも心のどこかで誰かに聞いて欲しいと願っていたのだろう。

 聞かれるがままにすっかり話してしまった。


「なるほど、なるほど。とんだクズがいたものだ。失礼、そのクズはあなたの隣に立つ資格を失った今でも幼馴染みには違いなかったですね」


 フレーテスの言い様にエステルは笑った。

 あのクラーラの部屋のドアを開けて以来、初めての自嘲以外の笑みだった。


「あなたは軍に勤める素質がある」

「素質が? それななんです?」

「シャバに未練がないことです」


 まるっと捨てて、人生やり直しましょう!

 ニッコリと笑うフレーテスに、エステルは軽く吹き出した。

 それが口車だとしても、救われた思いだった。


 それからどこをどうしたものか、フレーテスは志願書を用意して、エステルにサインをさせた。

 女性はダメなのでは? という疑問は当然あったが、フレーテスが「お任せください」と請け負うので、もう何でもいいと思った。


 国軍なのだ。奴隷に売り飛ばされるわけではなかろう。

 死にそうな訓練であっても今のエステルは楽しみに思えた。


 ――きっと、余計なことを考えないで済むから。





 それからエステルは荷物を取りに家に戻った。フレーテスもついてきた。

 もうエステルの身分は国軍に所属している訓練兵なので、国軍施設の外に出るにはしかるべき申請をして許可を取る必要がある。

 今はその手続きを省略しているのでフレーテスの同行が必要なのだと言われると、エステルは監視される居心地の悪さよりも心強さの方が勝った。


 家に着くとさすがにペターク家の人々は帰っていた。

 クラーラはいなかった。

 テオとどこかへ出かけたか、一緒にペターク家に行ったのか。

 もうどうでもいい。

 エステルは心の中でクラーラにお別れを言った。


 両親はエステルが家を出るというと怒り出し、引き止めようとした。

 今更どうして、とエステルは困惑したが、両親にとってエステルは資産だ。ペタークとの縁を強化するために使うならまだしも、出て行かれたらこれまでの投資が無駄になる。

 理解はできた。親子の愛情からではないということが。

 そんな両親はエステルの部屋の前でフレーテスに阻まれていた。


「エステル嬢は既に国軍に所属されております。我が軍の兵士の安全と自由とその権利は国王陛下の名のもとに保証されます」

「なにを馬鹿な! エステルは女だ、軍に入れるわけがない!」

「志願書は受理されました。お問い合わせは国軍総指令部までお越しください。ちなみに場所は王都北区です」

「エステル! ばかなことを考えないで! 軍なんてまともな体では帰ってこられないわよ!」

「そういう風評被害は遺憾ですね。広報部に進言しておきましょう」


 ドアの外の喧噪を尻目にエステルは必要なものを鞄に詰めた。

 衣食住は支給されるからいらない。

 持っていきたいほど気に入った服もアクセサリーもない。


 テオからプレゼントされたペンダントがあるが、後日クラーラとお揃いであることが判明して、少しがっかりしたことを思い出す。

 せっかくテオが姉妹お揃いで贈ってくれたのにがっかりするなんて……と自己嫌悪したが、今から思えばクラーラへのプレゼントのついでがエステルだったのだろう。


 そんなものいらない。

 見たらもやもやした気持を思い出してしまう。

 いつか思い出になるなら、楽しかったことだけにしたい。


 学校で使った教科書は迷ったが、必要な資料は軍の施設にあるだろう。

 そう考えると持っていくものは当座の着替えや下着、身繕いをする為の小物、手持ちの現金だけだった。 


 ペターク商会で自分の担当を持つ前で良かったと思った。

 担当を持っていたらさすがにこんな風に突然放り出す踏ん切りはつかなかった。

 でも今のところ全てタマラの指示でやっていたし、見習い扱いの雑務しかしていない。

 多少混乱させるかもしれないがテオのせいだと思って欲しい。


 最後に部屋を見回して、見納めた。

 二度と帰るつもりはない。

 部屋を出て、まだ何事かをフレーテスに言い募る両親にエステルは頭を下げた。


「父さん、母さん。今まで育ててくれてありがとうございました。お元気で」


 せいいっぱいの別れの挨拶だった。

 黙り込む両親を背にして、エステルは家を出た。


 本当はひとりだったら怖くて出られなかったと思う。

 両親に閉じ込められたかもしれない。

 でも今は後ろにフレーテスという強制力がある。


 自分だけで動けない情けなさは忸怩たる思いだけれど。

 この悔しさを忘れずに、強くなりたい。


 これからどこへ連れて行かれるのか、なにをするのか、全く想像できなかったが、エステルはもう不安よりも期待の方が大きかった。


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