第11話 知った名前
この商会は当初、儲けても死に金を貯め込んだりせず配下に分け与えたり次の投資に回したりと常に金を動かしていたから、少々のことはそれこそ「どうにかする」価値があると思っていた。
だが半年前ぐらいに商会長が代替わりし、そこからどうも挙動が怪しくなってきた。
よくあることだ。
「納得できない! お前では話にならん、コウトニー殿を呼べ!」
お前に命令される謂われはないのだが。
コウトニーとはエステルの前任者である。昇進したので新しく入ったエステルと交代した。今はエステルの上官である。
「予算と折り合わない。こんな簡単なお話のどこが納得できないのでしょうか。おかしなことを仰る」
「何を偉そうに、小娘の分際で」
あからさまにバカにした目線でフン、と鼻を鳴らす男にウンザリしながらも、会談は終わったので立ち上がる。
「コウトニー殿を呼んでこい」
「呼ぶわけないでしょう。呼ぶなら憲兵ですよ」
「はあ?」
「呼ばなくても来ますよ……ほら来た」
足音の勢いに反してドアは静かに開かれた。
はち切れそうな筋肉を軍服の下になんとか押し込んだ巨漢達がぞろぞろと入ってくる。
一気に部屋が狭く感じられた。
「我が軍の士官を侮辱し、任務遂行を妨害する者がいると聞いて」
仕事が早い憲兵達に連れられて、商会の担当者は退室していった。
施設内で会うことはもうないだろう。
◇
執務室に戻り、コウトニーに報告をする。
コウトニーは戦地で負傷し後方勤務になった、小柄でやや横幅のある気弱な雰囲気の中年男性だった。それこそさっきの無礼な商会担当者のような者から舐めてかかられるタイプである。
だが腐っても国軍の中で生き残ってきた士官だ。いつも言われっぱなしに見えるがその実、粘り強く躱して最終的に一線は守っている。勝ちはしないが負けもしない。
泥臭いやり方だがエステルはこの上官に好感を持っていた。
なにより愛妻家で長年妻ひと筋なのがよい。
「報告ありがとう。先代はしっかりしていたんだけどねえ……」
「よくあることです」
「よくあるのかい」
「はい」
「世知辛い……」
はあぁ、とコウトニーは深く嘆息した。エステルも同感だった。
コウトニーは引き出しから書類の束を出すと、エステルに差し出した。
「新規で申し込みのあった商会のリストだよ。一応下調べは終わっているから、軽く面談をしておいて」
「了解しました」
「うん、よろしく頼むね」
書類を持って自分の執務机に戻ると、リストに目を通す。
――えっ。
リストの中に知った名前を見つけて、エステルは鼓動が早くなった。
「ペターク商会」
まったく忘れていたわけではないが、日々が忙しすぎて思い巡らすヒマがなかった。
ペターク商会もハイニー商会と同じく辺境で地元に根ざす商会だ。領都と取引がないわけではないが、国軍に納入できるほどのまとまった量を動かせるとは思えない。
何を取り扱うのかと思って資料を読めば、エステルの眉間に皺が寄った。
――これでは赤字になると思うけど。
経費がかかりすぎる。それともなにか勝算があるんだろうか。
面談申し込みの軽い資料では見えてこない。
どのみち申し込みの手順は正しいので、会うしかない。
「はあ」
今日は溜息をついてばかりだ。
◇
数年振りに会ったテオは、失礼を承知で言えば、おっさん臭くなっていた。
エステルは内心衝撃を受けた。
顔立ちは決して悪くはない人なのだ。
それがすっかりくたびれてしまっている。
見れば着ている服も古びている。交渉の場に着てくるようなものではない。
絶句しているエステルをどう思ったのか、テオは照れくさそうに笑った。
そういう顔は昔のままで、エステルは確かにこの男がテオなのだと実感した。
「やあ、久しぶりだねエステル。これ覚えてる? 昔エステルが選んでくれたシャツ」
言われて初めてエステルは気付いた。ちぐはぐな印象の元になっているそのシャツは今のテオが着るには子供向け過ぎる。
エステルが選んだ頃といえば少年時代のはずで、大人の男が着るものではない。
相手がプレゼントした品を身につけて会うというのは社交術として判る。
だが子供時代の服を、いい大人が商談の席に着てくる、その感性は判らない。
エステルが「まあ懐かしい!」と感激するとでも思ったのだろうか。
テオはこんな人だっただろうか……?
エステルは心の中で首を傾げながら、ひとまずソファに促した。
資料の補足をするように聞き取りを終えると、エステルは「今の条件では難しい」とはっきりと言った。
だがペターク商会が正常な商いをしている商会であり、辺境での歴史や信用もあることは知っている。
エステルとしてはペターク家の人々に思うところは大いにあるが、業績としてはまともなのだ。
なので取引そのものに対して見込みがないわけではなく、条件を整えるにあたっては前向きに相談に乗るとは伝えた。
それをどう受け取ったのかは知らないがテオは大いに喜んだ。
――いや契約するとは言ってないのだけど。
エステルは少し心配になったが、商人として普通の感覚を持っているなら判っているはずだ。
テオがそうでなかったとしても、もうエステルには関係ない。
その後テオは大人しく退去するかと思えば、ぐずぐずと泣き言を並べ始めた。
主にエステルが去った後のことだ。
どうでもよかったが、これも情報と思いエステルは我慢して聞いた。
だがテオの話はエステルの想像を越えていた。
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