第12話 テオの話
エステルが去った後、ハイニー家は国軍に娘を返せと押し掛けたそうだが、当然門前払いされた。
だがエステルの問題についてはそれだけで、両家はすぐテオとクラーラの結婚問題に取りかかった。
当時聞いた通り、クラーラはペターク家に嫁ぎ、テオはペターク商会を継ぐ。
ハイニー商会は末の弟(エステルは結局名前も知らない)が継ぐ。
それでまとまり、クラーラとテオの結婚式はまあまあ盛大に行われ、婚礼衣装のクラーラは本当にお姫様のように美しかったそうだ。心底どうでもいい。
だがクラーラは体が弱いことを理由にペタークの商売には携わらなかった。
テオもそれはしょうがないと思っていたし、クラーラが可愛く美しく家で待っていてくれるだけでテオは満足だった。
新婚のうちはそれでもよかった。
だが生活として続いていけば、だんだんと小さな不満も募ってくる。
クラーラはハイニー家での生活そのままに、娘時代と変わらず自由に贅沢に過ごす。
口にするものは一級品ばかりで、専属のメイドまでいる。
結婚後もクラーラを訪ねてくる信奉者達は途絶えなかった。
昼間から居間でサロンよろしく皆で談笑し、高い茶を飲み高い菓子をつまむ。
信奉者達の顔触れはなかなか良かったので、ペタークの両親も何か商機に繋がれば、と思い当初は好きにさせていた。
だが信奉者達はクラーラにアクセサリーや菓子を贈っても、ペターク商会に富はもたらさない。
一度テオがやんわりとそのあたりのことをクラーラに話したが、まったく理解できない様子だったそうだ。
クラーラは贈られた高価なアクセサリーを素直に喜んで身に付け、贈られた高価な菓子を一人で楽しむ。
さすがにある時テオが分けないのかと聞いたら、思いもしなかったという顔をして、「私にくださったものなのに?」と逆に不思議そうに見られたそうだ。
クラーラはそんな子だっただろうか。
エステルは思い返してみたが、断言できるほど一緒に過ごした時間はなかったので判らない。
子供の頃はクラーラの寝室には近付かなかったし、学校から帰った後はペターク商会に通い詰めでゆっくり話をする機会もなかった。
元よりそれほど仲の良い姉妹でもなかった。
夜の営みはあったのでそこは満足していたそうだが(それをエステルに語るテオを、エステルは心底見下げ果てた)、逆にいえばそれだけである。
今少し商売の手伝いをするか、出費を減らして欲しい。
テオがそう言うと「愛していないのか」と泣いて話にならない。
元々エステルの一件で辺境の女衆には厳しい目を向けられていた二人だったが、表で真面目に働くテオはまだしも、夫のいない家によその男達を引き入れ毎日パーティー三昧のクラーラに対しては視線が厳しくなる一方だった。
あれが次代の女将か、とペターク商会の評判にも影が差す始末で、テオもペタークの両親もクラーラに道理を説いたが泣くばかりで話にならない。
困り果て、療養と称してしばらく屋敷の離れに部屋を移し、使用人で監視して信奉者達の訪問を断った。
しばらくはそれでよかったのだが、その後大変なことが起こった。
テオの伯父であるボサークがクラーラを掠って逃げたのだ。
ボサークはクラーラを監禁するような家には置いておけない、クラーラを守れないテオは夫失格だと、そんなような置き手紙を残して、ついでにペターク家の金庫からかなりの額の金貨を抜き取ってクラーラと共に姿を消したのだそうだ。
そして未だに見つかっていないらしい。
エステルはさすがに呆気にとられた。
ボサークといえばハイニーの家にも来ていたあの人だろう。
エステルは挨拶しかしたことがないのでよく知らないが、落ち着いた温厚そうな初老の男だったと思う。
とてもそんなことをしでかすような人には見えない。
人は見かけによらないというが、よらないにもほどがある。
「それで……どうしたの」
あまりの衝撃についうっかりと気安い言葉使いになってしまったが、テオは気にせず話を続けた。
「どうもこうもないよ。世間体が悪過ぎる。仕方ないからクラーラは療養の為に外国に行ったことにして、付き添いとして伯父が一緒に行ったことになってる。幸いと言っていいのか、親族内のことだからね」
「そう……」
そうするしかないだろうな。エステルは思った。
しかしそれでハイニーの両親は納得したのだろうか。クラーラを溺愛していた両親のことを思えばまたそこで一悶着あったような気がするのだが、エステルはこれ以上テオの長話に付き合いたくなかったので黙った。
「やっぱり僕はエステルと結婚すべきだったんだ。あの時の僕はどうかしていた」
「そうですね」
どうかしているのは今も継続してると思うけど。
エステルは面倒そうに一応返事をした。
「エステル……その、君もまだ独り身なんだろう?」
「小官の個人情報はお答えできかねます。本日の面談は終了いたしました。ご足労ありがとうございました」
しょうもない泣き言を最後まで聞いてやったのが特別サービスだ。
もうこれ以上この男に割く時間はない。
「エステル! いつでも帰ってきていいんだよ、僕も両親も君を待ってる」
「はぁ?」
うっかり声が出てしまった。エステルは慌てて口を噤む。
待ってる? 何が? 誰を?
エステルは改めてテオを見た。優しげな顔は好きだったが、今はただの間抜け面に見える。
「……おっしゃってることが全く理解できません。どうぞお帰りください」
まだぐずるテオを置き去りにしてエステルは奥に引っ込んだ。
疲労感に大きく溜息をつく。
なんであんな風になっちゃったんだろう。
そりゃ忌々しく思う気持がないとは言わない。
熱愛夫婦として商売も上手く行って順風満帆だったら正直イラッとしたと思う。
でもこんな訳の判らないことになっていて欲しいと思ったことはない。
エステルはもう一度溜息をついた。
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