第13話 フレーテスの話

「……と、いうことがあったんです」


 エステルはフレーテスとの面談の後で、先日のテオの話をした。

 コーヒー片手に公園を散歩しながら話し、屋台でサンドイッチを買ってベンチに座る。遅めのランチをここでとることにした。


「なんとまあ。喋る豚はまだ豚のままなのですね」


 フレーテスは呆れた様子を隠しもしない。

 そうだろうなと思う。エステルもそう思うから。

 この何ともいえない疲労感を分かち合ってくれる人がいてよかった。

 エステルはしみじみそう思った。


 面談といってもほとんどもう顔つなぎ程度だ。なくていいぐらいだと思う。

 でも一応、何かあった時のための相談窓口として維持されているのだろう。

 お陰でエステルの事情を知る数少ない相手であるフレーテスに、こうして愚痴めいたことが言える。


「テオから聞いた話はそれだけでしたか?」

「え?」


 フレーテスにそうたずねられ、エステルは首を傾げた。

 他に何かあっただろうか。

 奥に引っ込んだ後のことは知らないが、大人しく帰ったみたいだし。


 エステルが不思議そうにしていると、フレーテスは顰めっ面で言った。


「その話には続きがあるのですよ。聞きます? 更に食事が不味くなりますけど」

「続き?」


 なんだろう。クラーラ達が見つかったんだろうか。

 フレーテスはいい話ではない、と断ったが、今更あの人達に関していい話があろうはずもない。

 情報は大事だ。知らないでいるより知った上で対処したい。


「聞きます」


 フレーテスは頷くと、サンドイッチをコーヒーで流し込んだ。判る。このサンドイッチはハズレだった。

 エステルも同じように流し込んだ。

 だが腹は膨れるしに力にもなる。よし。

 軍で培った精神は今日もエステルを前向きにしてくれる。


「逃げたボサーク氏とクラーラ嬢の足取りですが……まずホーランデルスに入ったのですよ」

「えっ? そうなんですか?」

「はい。ホーランデルスから各国に行く船が出ていますから、更に先へ行こうとしたのでしょうね。ですが……」


 フレーテスは沈痛な面持ちで首を振った。

 もちろん演出である。

 こういう風に「語らせる」とフレーテスは実に上手い。お芝居を観るみたいな心持ちで、エステルはちょっと楽しく思えた。

 話の内容としては正しく沈痛な面持ちにならざるを得なかったのだが。


「まあまず、いったんどこかに泊まろうか、となるでしょう?」

「ですね」

「逃亡中の身なら下町に多くある手頃な商隊宿のどこかにもぐり込みそうなものですが……そこはクラーラ嬢がステキなホテルをご所望したか、ボサーク氏が見栄を張ったか。どちらかは判りませんが。そしたらあるわけですよ、港町の目立つ一等地に。いかにも豪華でステキなホテルが」

「……うわあ」


 エステルは話の流れが読めて頭を抱えたくなった。

 そのホテルはエステルも知っている。というか有名である。

 確かに高級ホテルだ。

 だが高い。

 バカ高い。

 もちろん値段相応にすべてが一流だが、正直言って貴族が使うクラスだ。


「そこに遊び慣れない上に持ち慣れない大金を持った田舎のおとっつぁんと、金の価値も知らない世間知らずでおねだり上手のお嬢ちゃんが登場ですよ」

「カモですね」

「カモです。後はオーブンに入れるだけ! ……という訳で、まあすっかり毟り取られたみたいで」

「ああ……」


 目に見えるようだ。

 あのホテルは格式で勝負をしていない。「金の前に人は平等」というホーランデルスならではの精神で金さえあれば誰でも客として受け入れる。

 いっそ門前払いしてくれれば助かっただろうに。

 それはもう、クラーラが気に入ったんだろうなあとエステルは思った。


 なぜそんなホテルのことをエステルが知っているのかと言えば、とある任務の際に高官達のお供をして一度利用したことがあるからだ。


 全てが思うままに、気付く前に、全て一級品で用意される。

 ちょっとした好みの違いでさえ魔法のように察知され、常に満足いくものが提供される。

 そして当然ながらその全てに料金が発生するのだ。


 あの時は高官のうちの一人が大貴族で、払いは全部そちらに回ったから総額いくらになったのかエステルは知らない。知らないままでいたい。


「それでも『表町』の店ですからね、身ぐるみ剥いで放り出すなんてことはしません。まだ残金があるうちに親族に手紙を書かせます」


 さすがホーランデルス、えげつない。


 そこでクラーラからテオ宛に手紙が届いたのだそうだ。

 ペターク家から盗んだ金で豪遊して、悪びれもせず「助けてダーリン私はここよ!」と。

 アホか。


「あれ? でもテオはまだ見つかってないって」


 手紙が来たのはあの面談の後の話なんだろうか。

 ……と、いうか。

 よくそんな詳細な情報をフレーテスが知っているものだ。


 フレーテスの権限の範囲を詳しく知っているわけではないので、知ろうと思えば知れる立場なのかもしれない。

 でもそれにしたって現時点ではまだ待機列に名前が並んだだけの一商会の、それも相当秘されているであろう内部事情について知りすぎではないだろうか。

 エステルは少し気になった。


「そこが豚の豚らしいところですね。今、両家で二人を離縁させる話が出ているそうです。ペターク家としてはとんだ厄物の嫁だし、ハイニー家のご両親としてはかわいい娘を連れ去るような犯罪者の身内がいる上に、ろくに捜しもしないなんて、と険悪なようで。捜してはいるのでそこは誤解なのですけどね。

 で、テオ氏は考えたわけですよ、ここでクラーラが見つかったら離縁させられる、と」

「……は?」

「テオ氏は愛する妻と別れたくない。ので、手紙が届いたことは家族に隠してこっそり一人で会いに行ったようです。ボサーク氏は追い払って、さすがにあのホテルは引き払ってペターク商会の持ち家のひとつにこっそり移し、今は秘密の通い婚? らしいですよ」

「はああ?」


 いや商会は?

 いやいや、普通にクラーラを連れ戻せばいいのでは?!

 ボサーク氏を窃盗で訴えるのは、体面もあるからそれぞれの家の判断だろうけど……えええ?


「なんか今回の一件で周りにやいやい言われて嫌になったみたいです」

「アホなの?!」


 ――待って、だったらなんで私に「待ってる」とか言ってたの。

 別に言われて嬉しかったわけではないし、むしろうっとうしかったが、何のつもりだったんだ。

 エステルが呆然としていると、気付いたフレーテスが言った。


「帰ってきて欲しいとかやり直そうとか言ってました?」

「言ってました」

「そりゃあ、久しぶりに会った元婚約者が、美しく成長しており勤め先でも有能で評価されていて、貯金もありそうと見れば、何か声をかけずにはいられなかったのでしょうね。そういうところだけ無駄に商人気質ですよねあの豚。もっともかけていい言葉の分別がつかないあたりお察しですが」


フレーテスは不愉快きわまりない、という顔で不味そうにコーヒーを飲み干した。


「えええ……」


 本当にどうしちゃったんだろうあの人。

 エステルは遠い目になった。

 まだ昼なのにどっと疲れて、フレーテスと二人で大きな溜息をついた。


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