第26話 天秤は釣り合った

 ハイニー商会は結局、フレーテスが言った通りメイルマンスで買収した。

 パトリクは人が変わったように大人しくなっており、素直に同意したそうだ。


 父は反対したらしい。だが抵抗するのは父だけだったらしく、そのことは父を弱らせた。

 パトリクはなんと強制的に父を追い出し、自分が商会長になってあっさりサインをしたのだそうだ。

 今はメイルマンスから来た人員と協力して堅実にやっているとのこと。


「姉君の薫陶が行き届いたのですね……」

「魂までね……」


 なにか失礼なニュアンスのフレーテスとファルケンを横目で見ながら、エステルは報告書を整えて紙挟みに仕舞った。


 父はすっかり打ちひしがれ、別荘に引き籠もった。

 別荘といっても街道の途中にある、泊まるだけの小屋みたいなものだが。

 街道用の野営広場が近くにあるその物件を、エステルはゆくゆくは隊商宿として整備したいと思っていたが、今の父にその意欲はないようである。


 ちなみに愛人は息子が商会長の座に就いたことで「これで自分が女主人!」とばかりにふんぞり返っていたそうだが、息子のパトリクによって離れに押し込められた。

 療養という名目だったが、実際あまりに肥え過ぎて本当に健康に問題が出ていたらしい。

 

 では本来の女主人である母テレザはというと、父を追って別荘へ……とはならず、クラーラの方へ押しかけた。

 クラーラがペターク家の持ち物件のひとつに隠れ住んでいることはとっくの昔に両家にバレていたので、当然テレザもその場所を知っていた。

 父がいる侘びしい小屋に行くはずもなく、クラーラをしつけ直すと称して転がり込んだ。


 困惑したのはテオである。

 クラーラとの愛の巣に義母が押しかけてきて居座ったのだからたまらない。

 寝室なんてひとつしかない狭い家だから、ドア一枚、壁一枚向こうで義母が耳をそばだてているような状況でクラーラと愛し合う度胸はない。

 最初は小遣いを渡して「気晴らしをしてきてください」などと言って外へ追いやっていたらしいが、すぐに金は尽きた。


 そうなるとそもそもペタークの家なんだから嫁のクラーラはともかく義母であっても客分のテレザはいい加減帰ってくれと思うのは当然で、しかしテレザは本家には居場所がないし父の暮らす小屋には行きたくないでのらりくらりと居座ろうとする。

 クラーラは母がメイド代わりとなってあれこれと世話をしてくれるので別に追い出そうとは思わない。

 テオが義母を帰らせるよう訴えても「お母さんがかわいそう」と泣くだけだし、二人の時間を持ちたいと言えば「じゃあ二人で旅行にでも行きましょうよ」となどと言い出すのでお話にならない。


 これではただ単にクラーラと義母を養っているだけの状態で、妻のクラーラはともかくいい加減テレザは帰れと強く抗議したそうだが、テレザだって長年商会を引っ張ってきた女だ、テオ程度に押し負けるはずがない。クラーラは便利なテレザに居て欲しいので泣く。

 そんな状態がしばらく続き、金が尽きたと同時にテオの気持もすっかり冷め、クラーラ達が住みついている物件を手切れ金として離縁したのだそうだ。


 損切りをしたテオだったが判断が遅かったようで、クラーラとテレザに食い潰された金額はバカにならない。

 離縁後もハイニー家に責任の一端があると半ば脅してきたそうだ。

 しかしハイニーの現商会長はテオとなんら関わりのないパトリク。しかもメイルマンスからの人員が付いている。

 話にもならず、すごすごと帰っていったらしい。


 その後エステルを訪ねて軍に来たそうだが、エステルはホーランデルスに出向した後だった。ハンゼルカにいたとしても会う気はなかったが。

 さすがにペターク商会が潰れたという話はまだ聞かないので、何とかやりくりしているのだろう。と、思う。

 ちなみにテオが再婚したという話も聞かない。


 クラーラ達はハイニー家には戻らず、手切れ金代わりに得た家にクラーラとテレザの母子二人で住み続けていた。

 パトリクは本当に最低限ギリギリの生活費しか送金せず、耐えられなくなって戻って来るならそれでよし、自分達で稼ぐ方法を見つけるのならそれでよし、と放任していた。

 野垂れ死にされてもそれはそれで困るのが客商売の辛いところだ。


 結局クラーラは狭い家でのつつましい暮らしに我慢できず、パトリクに頭を下げて実家に帰る……ことはせず、新しい男を見つけてその男と共に町から消えた。

 エステルはどこか遠いところでそれなりに暮らしていてくれればいい、と一応の無事を祈った。


 置き去りにされたテレザはさすがに一人では居られず、父の元に戻った。

 ハイニー本家に帰っても離れに愛人と一緒に押し込められるだけなので、それなら小屋の方がマシと思ったのだろう。

 贅沢な暮らしが忘れられず、いつぞやのあの調子で毎日のように我が身の不幸を長々と嘆き悲しみ、思い出したように父を責め続けた。

 父も初めは根気強く宥めていたがそのうち我慢の限界が来て、そこからは喧嘩の絶えない日々が続いているそうだ。

 さりとてどうしようもない。いつか刃傷沙汰になるのでは、と街道を通る商隊の中では噂になっている。


 エステルはクラーラ達が住んでいた家をパトリクから買い取った。

 思うところはあるがパトリクがハイニー家の後始末を黙々と続けている事実に変わりはない。

 家族との縁を繋ぎ直す気はないが、若き商会長に対する応援として相場より高く引き取った。

 買い取った家は商会関係者の宿として時々使うが、基本的に空家としておいておくつもりだ。クラーラがうっかり舞い戻って来た時に立ち寄れるように。

 愛情からではない。

 二度と他に迷惑をかけないよう、捕まえる為の罠である。





 エステルはフレーテスとホーランデルスの港町に来ていた。

 様々な国の、様々な格好をした人が行き交う、活気と喧噪に溢れる町である。

 港には大きな帆船が並び、荷馬車用の大通りはひっきりなしに馬車が行き交う。

 例のホテル……ではなく、ほどほどの格式でほどほどのお値段のホテルの、それでも最上階から港を眺め、二人はのんびりと朝食を楽しんでいた。


「メインマストが白い船があるでしょう? あれがうちの船です」

「塗ったんですか?」

「塗料じゃないんです。近くで見ると細い板状の素材が張ってあるんですよ」


 キラキラして目立つので、いいかなと思って。

 確かに目立つ。それがいいのか悪いのか、エステルには判断がつかないが、フレーテス――クリスがいいと思ったのなら、いいのだろう。


 休暇を取ったエステルは久しぶりにクリスと二人で過ごしている。

 エステルはまだ軍に籍があり、結婚後も出向先のホーランデルス軍の官舎に一人で寝起きしていた。近いので楽、それだけだ。

 クリスも商談や視察などで家を空けるので、同じ家に住んでも常に一緒にいるとは限らない。一応、二人の新居はあるし荷物も入れてあるから、たまには帰る。


 貴族の夫婦なんてそんなものらしいが、別に貴族に倣ったわけではなく、自然にそうなっているだけだ。

 一緒にいたい時は一緒にいるし、自分の仕事がしたい時は自分の仕事をする。

 傍目には熱のない契約夫婦に見えるかもしれないが、そんなことはない。


 離れている時も胸に安心感がある。

 エステルはこの世界に独りぼっちではない。


 頼れる先があるというわけではない。

 もちろん、その意味もあるけれど。

 例えば出先でふと素敵なものを見つけた時。それを話したい人がいる、そしてきっと感動を分かち合ってくれる人がいる。それが幸せだと思う。

 エステルは嬉しそうに自分の船をあれこれ説明しているクリスを見ながら、知らず頬が緩む。

 この人とずっと一緒に人生を商っていくのだ。


 ――もしかしたら。

 そう、絶対はないから。

 もしかしたら分かたれる時が来るのかも知れないけれど。

 そんな時が来ないよう、日々を大切にしていこうと思う。


 さしあたっては昨夜は楽しかった。

 除隊したクリスと違ってまだまだ現役のエステルは体力も筋力も維持している。

 

「エステル、よくない顔をしているようですが」

「クリスは、可愛い」

「複雑ではあるのですが、エステルが楽しく思うなら甘んじて受けましょう!」


 大好きな人と一緒に笑い合って美味しいものを食べて。

 色々なことがあったけど。

 今、この席に着く為のコストであったなら。

 まあ、天秤は釣り合っているのかもしれない。

 

 食事が終わったらクリスの船を見に行こう。本人は気付いてないかも知れないけれど、宝物を見せびらかしたい子供みたいな目をしてる。

 その顔をもっと見ていたいし、もちろん船にも興味がある。


 海風を感じながら、エステルはグラスを傾けた。



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【完結】婚約者を妹に寝取られた上タダ働きで二人を支えろと言われた姉が家を飛び出すよくある話 鷹山リョースケ @ryousuk

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