第16話 母来たる
「どうしてもっと考えないんでしょうね」
食事をしながらエステルはなんとなく呟いた。
どこででも調達できるものなら、長年それを扱ってきた他の商会に勝てるはずがない。
いくら定期的に契約が切り替わるといっても、替えに困るほどではない。
それに特殊な物品で他に替えがない場合は同じ商会と契約を更新することもあるのだ。
例えばポーション類など、命に関わるものなら質や使い心地を一定に保ちたい。しっかり監査を入れて同じ商会と長く取引することになる。もちろん平行して代わりの商会も探すけれど。
だからどうせなら辺境ならではの品の方が商機がある。
「なるほど。例えば?」
フレーテスが興味深そうにたずねた。
ホーランデルス人だけあって、彼も商売の話は好きだ。目が輝いている。
例えば……エステルは考える。
辺境で採れる草の実で作った調味料にいいのがある。
あれは前々から注目していた。
量は少しで風味がガラッと変わるのだ。
辺境では子供や年寄りが採取してきて、家の女達が作る。家それぞれに伝えられてきた製法があって、味が異なる。
それがまたその家の味となるのだが、標準的な製法で統一して、他の土地に売り出せばそこそこ売れると思うのだ。
他の土地に行った時にあれが無くて、エステルは物足りなかった。
調べてみるとどこにでも生えているが、群生地、しかも年間通して採取できるのはエステルの故郷の辺境あたりだけらしい。
あれなら軽くて嵩張らなくて輸送が簡単だ。
そして単価が高い。
量が少ないので大きくは稼げないが、どうしても同じような食事になってしまう軍において、ほんの少量で風味を変えられるのは、なかなか良いのではないかと思う。
食に満足できれば人は大抵のことは我慢できる。
そこまで考えて、わくわくしているフレーテスを横目で見やり、エステルはその手には乗らないぞ、と内心笑った。
「だめです。ホーランデルス商人には教えません」
「なんと、それは残念。って、私は軍人ですよ」
「ホーランデルス人と書いて商人と読むのは、ハンゼルカ人だって知ってますよ」
軽口に笑いあって、楽しいランチとなった。
パトリクから擦り付けられた毒が解けていくようだった。
◇
それからしばらくは平穏だったのだが。
ある週末の夜、宿舎のエステルの元に客が来た。
母だった。
驚愕した。
会わずに済ますことはできる。舎監に「留守にしている」と言ってもらえばいい。
だが例えば宿舎の前で見張られたりしたらどのみちバレる。
何の用だか知らないが、問題が起こっているのなら先送りにしてもしょうがない。
エステルは気が重かったが会うことにした。
宿舎の来客用の小部屋を借りることにする。
自室に入れるのはなんとなく嫌だった。
母テレザの顔を見るのは久しぶりだ。家を出てから――8年? 9年? それが長いのか短いのか判らない。変わっているだろうか。記憶よりずっと老けていたら。
そんな風に緊張と少しの恐怖を胸に抱きながら開いた部屋のドアだったが、中に居たテレザは――記憶の倍ぐらい大きく育っていた。
横方向に。
は?
エステルは入口で硬直してしまった。
誰だお前?!
「エステル! まあまあまあすっかり綺麗になって!」
たるんだ喉が震えている。
肌ツヤはいいだけに、……誰だお前??!
「えっ」
あまりのことに驚愕から立ち直れず棒立ちのエステルだったが、とりあえず座る。
落ち着け私。常に冷静に。よく相手を観察して。
本当、誰なのよ……。
「か、母さん? ……げ、元気そうね」
「元気なわけないじゃない! もう母さんずっと苦労しっぱなしで、あの家に嫁いでからずっと地獄よ! 婆さんのことだって! 本当腹立たしいったら……その上長生きしちゃって。シモンもシモンよ、ちっとも母さんのこと守らないで婆さんのいいなりで、その上外に女まで作って! どれだけ私を苦しめたら気が済むの! エステル、あなたあの女の息子に会った? とっても性格の悪い、嫌なやつだったでしょう? 母親似なのよ、あの女も図々しくて下品で身の程知らずで……」
連装弾が次々と発射されるような母テレザの愚痴にエステルは気が遠くなったが、一応気が済むまで喋らせた。
コーヒーでも持ってくればよかった。
エステルが後悔していたら、舎監の老人がそっと入ってきて、エステルと母の前にコーヒーの入ったカップを置いた。驚いてエステルが見上げると、優しげなまなざしで頷かれる。エステルは感謝し、お礼を言った。その間もテレザはずっと喋り続けている。
当然のようにコーヒーをグイッと飲み、喉を潤してまた喋り始めた。
すごい体力だ。
というか、母がここまで多弁だったとは知らなかった。
それにしても。
……うちの家系ってもしかして太りやすいのかしら。
エステルは日々の訓練の賜物で贅肉のつく余地が無いが、油断するとマズイのでは。
関係のないことを考えながら、母の愚痴から情報を選別した。
二時間近くノンストップで喋り続けた母の愚痴から抽出した情報の中でエステルに対して向けられたものは、
「帰ってこい」
これだけだった。
お断りである。
他はハイニー家の現状で、こちらはなかなか頭の痛い話だった。
クラーラがテオの元へ嫁いでしばらくした後、父の愛人と例の弟パトリクが屋敷に押し掛けてきたそうだ。
パトリクに商会を継がせることには納得はしたが、一緒に住むとは聞いてない。まして愛人の方は冗談じゃない。母は抵抗したそうだが、女は図太く居座り、追い出そうとすると金切り声を上げてあることないこと叫ぶ始末で、しかたなく住みつくのを黙認した。
パトリクは家でもあの調子だったらしくて、恐るべき短期間のうちに見事にハイニー家およびハイニー商会関係者達に嫌われ、孤立したのだそうだ。
かといって跡継ぎは「コレ」しかいない。父は従業員とパトリクの間で板挟みになった。
家に戻れば愛人とテレザが陰険な言い争いをしており、気が休まる間もない。
可愛いクラーラに癒しを求めようとしてもペタークに嫁に行ってしまった。
そんな状態が数年続くと父はすっかり疲れ果て、その間にパトリクがハイニー商会を我がもの顔で動かし、おかしなことになっていく。
心配する従業員の声に父はしばらく様子を見ようと問題の先送りで、結局ハイニーに見切りを付けた従業員が辞めてしまう。
その穴にパトリクが自分の子飼いを入れるが、大して使い物にならない。
父や古株の従業員が手を尽くして補い助けてもどんどん歯車は狂い出す。
「やっぱり愛人の子なんて跡継ぎにするんじゃなかったわ!」
今更そんなことを言われても困る。
エステルだってあの時、ハイニーはエステルに継がせると言われていたら。
多分、それだけで頑張れたのだ。
もう癒えたと思っていた胸の傷がじくりと痛んだ気がした。
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