第15話 お帰りはあちら
いちいち険のある言い方をするパトリクにうんざりしながら、エステルは必要なことを聞き終えた。
やはり夢を語られても困る。
学校ではないのだから実績を出してから来て欲しい。
軍を実績にしたいのだろうけど、額と規模が大き過ぎる。
――大勝負をしたいなら自身の信用度を上げ、相手方との信頼関係が必要だろうに、最初から印象最悪でどうするのよ。
しかもエステルはハイニー商会の内情をよく知っている。エステルが家を出てから劇的に業績を伸ばしているならともかく、資料から判るのは現状維持だ。
いや、近年は少し下がり気味かも知れない。でも長い目で見れば下がったり上がったりして平均的になるものだ。ハイニー商会はそういう商いだった。
大商会とは言われても辺境レベルでの話だが、長年維持してきたのだからちゃんと結果は出している。
エステルは両親を商人としては評価していた。
――だがお前はダメだし、お前の計画もダメだ。
エステルは目の前のソファにふんぞり返った若者を見やる。
きっとはっきりと言ってやらないと判らないのだろうと思い、エステルは爪の先程度の姉弟の情で指摘した。
だが案の定、パトリクは怒りに顔を赤くする。
「あんたが勝手に家を飛び出したせいで、俺はあんな古臭い、でかいだけの田舎商会を継がされるんだぞ! 人の心があったら悪いと思うのが普通だろう。わざわざ領都まで来て償いの機会をやろうっていうのに、なんなんだあんたは。本当にハイニーの女はどいつもこいつも嫌味ったらしくて頭が悪くて性格が悪い。親父が母さんに癒しを求めるのも判るってもんだ」
「なら継がなければいいのでは?」
「はぁ? バカなのか? そんなことできるわけがないだろう。少しはものを考えろよ。軍で体ばかり使って頭は使ってないのか? 本当にうちの姉君共は揃って使えない」
エステルはもうこの弟の話をろくに聞いていなかったが、おや、と思った。
「姉君共」ということはパトリクの中でクラーラも使えない枠なのか。
……まあ実態は確かに使えないのだが、見た目に惑って信奉者の仲間入りはしなかったのだな、と思った。
思ったが、それだけである。
「本日はこれにて終了です。ご足労ありがとうございました」
エステルは資料をトントンと揃えて紙挟みにしまった。
「は? 契約はまだしてないだろ。さっさとやれよ」
「しませんよ。先ほどから小官を侮辱し続けているようですが、それを差し引いても契約の段階には到底達していません。ご説明しましたよね? 二度は言いませんよ」
「なっ……嫌がらせかよ! 本当に性格がひん曲がった女だな」
「嫌がらせなどではありません。また良いお話がありましたらお越しください」
一応リストには載せたままにしておくけれど、どうだろう。
見込みがないわけではないのだけれど、それを教えてやる義理はない。
そもそも領都まで来て軍と契約するなんて冒険をしなくても、ハイニー商会は辺境で順調にやっていけるのだし、もし販路を広げるとしても、方向性が違うと思う。
エステルが考え込む間もパトリクが騒いでいたが、じき重量感のある足音が近付いてきて、ドアが静かに開けられた。
「我が軍の士官を侮辱し、任務遂行を妨害する者がいると聞いて」
巨漢の憲兵達が去ると室内は静かになった。
よほど魅力的な提案が出されない限り、ハイニー商会と会うことはないだろう。
「まあ、弟の名前が判ったことは収穫だったわ」
他は徒労だったけど。
エステルは時計を見た。丁度お昼だ。
美味しいものを食べて気分を入れ替えよう。
◇
エステルは少し書類を片付けた後、遅めに食堂に行ったらフレーテスがいた。
珍しい。
フレーテスとファルケンは領内をあちこち移動している。
本部に滞在している時間は短いし、その間はみっちりと予定が詰まっているから、会うとしたら面談の時か仕事の終わった夜になる。
でも夜はゆっくり休んで欲しかったので、エステルの方から無理に声を掛けることはしなかった。
エステルにとっては大切な戦友だけど、二人からしたらエステルは複数いる支援相手のうちの一人だ。
そこまで考えて、フレーテスの恋人のことを思い出した。
こればかりは、少し無理を言ってでもファルケンに時間を取ってもらおうかな。
丁度いい。フレーテスに伝言を頼もうと思って、エステルはフレーテスのいるテーブルに向かった。
「こんにちは」
「おや、エステル嬢! 奇遇ですね」
「ですね。本部に来ていたんですね」
エステルはフレーテスの横の席に座った。
声量を抑えて話をするには対面より横の方がいい。
「異動するでしょう? 色々引き継ぎやらなんやらありまして」
「なるほど」
そういえばそうだった。
定期面談もお終いになるのかな。
そうしたら個人的にフレーテスと会うことはもうないだろう。本国に帰国してしまったなら尚更だ。
それは寂しいな、とエステルは思った。
「また厄介な訪問者が来ましたか?」
「どうでしょう。どなたが来ても緊張しますね」
どうして知ってるんだろう?
エステルは心の中で首を傾げた。
憲兵隊の記録には載るから後日なら判るけど、ついさっきのことだ。
だから素直に聞いた。
「補給部にいらしてたんですか?」
フレーテスと自分は同陣営である。探りを入れる必要はない。
「あー、まあ。そんなところです。コウトニー殿と少々」
「ああ、なるほど」
フレーテスの任務を考えると、エステルの勤務状況とか、そんなあたりかもしれない。
あ。もしかして。
「聞こえてました?」
「ました」
フレーテスは渋い顔になった。判る。
ああいう訳の判らないのは、自分じゃなく他人に向けてのものであっても不愉快になるものだ。
「それは……お耳汚しを。って私が言うのもなんですが」
「そうですね。エステル嬢は被害者だ」
フレーテスは優しく慰めるように言った。
その声音や口調、表情などは本当にいたわりに満ちて感じられて、その技にエステルは感心した。
いつか自分もこれぐらい自由に自分自身をコントロールしたいと思う。
フレーテスはエステルにとって自己演出という方面での良きお手本だった。
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