第14話 初めまして

「あ、そうだ」


 フレーテスが顔を上げた。


「私、近々王都の方へ異動することになりました」

「そうなんですか」


 元々お隣の国から出向してきている人だ。

 女性兵士受け入れの件も一段落ということなんだろう。

 栄転? になるのだろうか。


「おめでとうございます?」

「いえ、単なる異動です。横異動です」


 フレーテスは首を振った。


「寂しくなりますね」


 社交辞令の決まり文句だが、まんざら嘘でもない。

 故郷と断絶してしまったエステルにとって、現状一番古い友人と呼べるのはフレーテスとファルケンだったから。


 そういえば、とエステルは思い出す。

 あれはいつだったか……。

 ファルケンと、その時ファルケンが支援していた女性志願兵と一緒にランチをした。

 楽しくお喋りして、用事があるというファルケンが少し早めに席を立ち、それからエステルとその女性も店を出た。


 店を出てしばらく歩いたところで、その女性にたずねられたのだ。

 「フレーテスさんって、恋人いるんでしょうか?」と。


 エステルとしては「さあ……?」としか答えられない。

 本当に知らない。

 というかそこまでプライベートな話をしたことがない。

 フレーテスはエステルの事情をよく知っているが、エステルはフレーテスの事情を知らない。特に知りたいと思わなかったというか、あまり興味がなかった。

 必要なら紹介してくれただろうし。

 そもそもいるとしても、国元にいるのではないだろうか。


 なのでやっぱり「さあ……?」と首を傾げることしかできなかったのだが。

 エステルのその様子を見て、彼女は思い詰めたような顔で言った。


「私、フレーテスさんと付き合ってるんです」

「えっ、そうなの?」


 エステルは素直に驚いた。

 なんとなくフレーテスは職場にそういうことを持ち込まないイメージだったので。

 あと、目の前の彼女がエステルより年下、つまり相当年の差があるように思ったからだ。

 フレーテスの年齢を聞いたことはないけれど、エステルより年上なのは間違いない。

 見た目は出会った頃とまったく変わらないので意識したことがなかったが。

 でも考えてみればこの彼女ぐらいが適齢期で、釣り合いはとれているのかもしれない。


 ――そうなんだ……ファルケンも知ってるのかな? 今度聞いてみよう。


「それで、知りたくて」


 それはフレーテスを疑ってるということ?

 確かに顔が良くて他人に対して自分の見せ方が上手くて、如才無いあたり逆に本心が判らない人ではあるけれど。


 さすがに複数人同時進行するタイプではないのでは……。

 第一、そんなタイプならあのファルケンがああも仲良くしないと思うのだ。

 ファルケンは多分、そういうのは嫌いそう。

 エステルが自分の感想を述べると、彼女は安心したようで、笑顔で別れた――。



 ……と、いうことがあったのを不意にエステルは思い出した。

 すっかり忘れていた。


 王都に戻るのなら、あの彼女はどうするのだろう。

 ハンゼルカ軍では夫婦または結婚の予定がある二人は、任地の移動に際して配慮される。

 これは女性兵士受け入れの際に将来を見越して決まったことだ。

 つまりよほどのことがない限り一緒の移動になる。


 フレーテスが移動ということは、あの彼女も一緒だろうか。

 プライベートに踏み込む気はないけれど、フレーテスのいないところで先に彼女と知り合ってしまったわけだし、水を向けてみようかな。エステルはそう思った。


「お一人で、ですか?」

「え? そうですが」

「えっ?」

「えっ?」


 顔を見合わせる。

 あの彼女は?

 えっ、もう別れた? それとも置いていくつもり?


 エステルの眉間が徐々に険しくなっていくのを見て、フレーテスは慌てて、急いで言い足した。


「いや、その。一緒に行って欲しい人は、えーと、いるんですが」


 なんだ。エステルは安心した。

 いつもの余裕ある外面が崩れて慌てているあたり、可愛げが見えて微笑ましく思った。

 年上の男性に可愛げがあるなんて生意気だけれど。

 作ってわざと見せる「隙」じゃなくて、素の「隙」がとても可愛かったのだ。

 彼のような「お上手」な人でも、好きな相手のことになるとボロが出るあたりが。

 これも芝居だったらもうエステルにはお手上げだけど。

 フレーテスはお上手であってもタチが悪いわけではないと、エステルは思っている。

 

 結婚したらぜひ知らせて欲しいな。

 なにか贈り物ぐらいはしたい。

 エステルはそう思って、あの時彼女にもう少し話を聞いておけばよかったと後悔した。

 今度こそ忘れずファルケンに聞こう。 





 エステルは執務室の自分の席で、リストを眺めながら深々と嘆息した。


「…………なんでまた」


 知った名前を見たからだ。なんて既視感。

 そこには「ハイニー商会」とあった。


 書類を見ると、書いてあることはなかなか頼もしいのだが、「それ本当に達成できます?」と聞きたくなるもので、エステルは天井を仰ぎ見た。


 なんでそう、揃いも揃って無理をするんだろう。

 もしかして辺境になにか起こっていて、販路を領都に求めないと立ち行かないとか?

 いやそれならもっと地に足のついた提案をしてきて欲しい。

 夢を語られても困るのだ。


 だがやっぱり申し込みの手順は正しいので、門前払いするわけにはいかない。

 そういうところはちゃんとできてるのになあ。

 エステルは嫌なことはさっさと終わらせようと、一番早い日時を指示することにした。





「初めまして、姉さん」


 現れたのは見知らぬ青年で、開口一番そう言った。


 姉さん。

 と、いうことは。


 ――この人が例の、父さんが外に作った末の弟?


 よく見れば確かに父の面影がある。父の顔を若返らせて厳しくしたような印象だ。

 そして淡いスミレ色の瞳はクラーラそっくりだった。

 エステルとは姉弟に見えないだろうが、クラーラとなら姉弟に見えるかもしれないな。そんな風に思った。


「初めまして、ハイニー商会殿。お名前をうかがっても?」

「そこに書いてあるでしょう」


 尊大に言われて、エステルはおやおや、と思った。

 紙に書いてあろうが目の前のお前が当人だとは限らないだろう。

 まあ、名乗ったところで当人とは限らないが。

 だが「自ら名乗った」ことと、それを確認した事実が大切なのだ。

 お決まりの手続きを知らないのならこんな場に出てくる域に達してないし、知っていて無視しているのなら無謀な試みだといえる。


「お名前をうかがっても? 答えられない理由がおありでしたら、答えられるようになってからお越しください」


 エステルはドアを指した。

 こういう手合いにいちいち付き合っていられない。


「……チッ。パトリクだ。どうぞよろしく?」


 舌打ちに加え、わざとらしく語尾を上げて挑発的に答える。

 ……なんだろう、こんなところで妙な反抗心を発揮されても困るんだけど。


「パトリクさんですね。ではお掛けください」


 やれやれ、ソファに座るだけで大騒ぎだ。


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