第20話 詰める

 エステルは母に手紙を書いた。

 父が直接エステルに会いに来て「帰れ」というなら考えなくもない、と。

 絶対来ないだろうなと思った。


 予想通り、父ではなくパトリクが訪ねてきた。


「あんたを俺の補佐にするんだってバアさんが言ってるけどさ、役に立つの?」


 エステルは宿舎のゲストルームにパトリクを案内し、舎監の老人に頼んでドアの前に重しを置いてもらった。


 そして全力でパトリクを詰めた。激詰めした。徹底的に詰めた。

 調査報告書にまとめられていたパトリクの失策をひとつひとつ丁寧にあげつらってコキ下ろし、正論で否定し、冷笑した。

 最初のうちは怒鳴り返したり癇癪を起こしたりしたが、エステルが姉としてやると、大人しく聞いた。

 そのうちパトリクが泣きだして逃げ出そうとしたがドアはすぐには開かない。

 連れ戻して続けた。


 エステルはここでパトリクを完膚無きまでに折るつもりだった。

 これがハイニー家に対しての最後のご奉公というやつだ。

 パトリクの耳元で、お前がどれほど無能で無価値で害悪な糞袋なのかということを延々と脳に流し込んだ。知識として仕入れはしたが発揮する場のなかった軍仕込みの素敵な単語集が役に立った。

 ついには床に蹲りべそべそと泣き出したパトリクの背を撫でながら、商会を継げてよかったわね、お前に居場所があってよかったわね、と優しく慰めることも忘れなかった。いい姉である。


 反応のなくなったパトリクを置いて部屋を出ようとすると、舎監の老人が開けてくれた。

 もしやずっといたのだろうか。お恥ずかしい……。


「いえ、声が落ち着いたのでお終いかと思って来ただけですよ」


 重しを退けながらエステルの先回りをして老人は言った。エステルは協力に感謝した。

 老人の腰が少し引けていたのは気のせいだと思う。





「家は捨てます」


 コウトニーの執務室へ向かうと、エステルはそう報告した。

 エステルは国軍からこの国を守る。ひいては辺境も守る。

 それで勘弁して欲しい。


「うん、そうか。私はね、そうなるんじゃないかなって思ってた」


 コウトニーはにこにことしていた。

 そして一組の書類を出した。


「ところでね、君が望むなら私は君の王都への転属願いを書くことができるのだけど」

「えっ」

「うんまあ、王都の本部から内々に打診があったんだけどね。まあエステル君の意志次第だよねってことで、ずっと保留になってたんだ」

「えっ」

「どうするか考えておいてね」


 エステルは呆然としたまま部屋を出た。

 えっ。

 確かにどこかに飛ばしてもらおうとは考えていた。

 考えていたけど。

 王都?


 ……なんて手回しがいい。やはり最初からプランが作られていたんだろうな。

 いや、王都転属の話が出たから身辺整理をさせられたんだろうか。

 どっちが先だったんだろう。


 そういえばフレーテスも王都に異動になることだし、そうしたらまた向こうで会えるかな。

 ――なんかタイミングがいいような気がするけれど、まさかね……。





 フレーテスに伝えておいた伝言が届き、ファルケンが領都に来ることを知らせてくれた。

 会うのはかなり久々なので嬉しかった。

 エステルは宿舎に招いて夕食を御馳走することにした。御馳走といっても大したものではないが、以前エステルの作った辺境風の家庭料理や味付けを気に入ってくれたようだったので。

 週末の夜、ファルケンは様々な種類のワインを何本も担いでやってきた。

 挨拶もそこそこにファルケンは大いに食べて飲んだ。 


「私これ好きよ。この風味は何のスパイスなのかしら。ふっと思い出してずっと気になるの」


 例の草の実から作る調味料で味付けをして焼いた薄切り肉を、ファルケンは薄焼きパンに挟んで満足そうにかぶりついていた。

 特に名前もない料理だが、辺境では一度に大鍋で大量に作り置きしておく定番の品だ。一度にたくさん食べると早々に飽きるが、少しだけ食べると美味しい。


「それで、相談したいことって?」


 腹具合が落ち着いたファルケンが新しいワインを開けながら聞く。

 ファルケンが持ってきてくれたワインはどれも美味しくて美味しくて、エステルの方が本題を忘れかけていた。

 なんだっけ。

 そうだ、フレーテスの恋人のことだ。

 それもあったが、とりあえずテオと再会してからのこと、実家のこと、エステルの方針などを話した。ファルケンは黙って聞いてくれ、そしてエステルを抱き締めた。


「エステルはとても強い人ね。私はあなたが誇らしいわ!」


 多少酔いが回ってはいたけれど、ファルケンのあけすけな好意に、エステルは大いに慰められた。


 そして恋人の件である。


「前に一緒にランチをした、パヴラって今も支援してるの?」

「パヴラ? たまに様子を見るけれど、頑張ってやっているわよ。ええと……今はどこの部隊だったかしら」

「フレーテスさんの恋人だよね?」

「誰が?」

「えっ?」

「ええ?」


 エステルはファルケンと顔を見合わせた。


「誰がフレーテスの恋人ですって?」

「え、パヴラ」

「それはガセね。エステルったら、どこでそんな情報掴まされてきたの」

「パヴラが自分で言ったの。『フレーテスさんと付き合ってる』って」

「ああ、そういう。パヴラの妄想だわ」


 バッサリと切って捨てるファルケンに、エステルは驚いた。

 違うの?! でもあんなに思い詰めて、すごく真剣だったのに……違うの?


「心で想うのはまあ、自由よ。でも口に出してはいけないわね。もし他にも吹聴してるようなら見過ごせないわ。ありがとうエステル、教えてくれて」


 そう言われると何だか告げ口したみたいな気持になったが、虚言であれば確かによろしくはない。


「昔から時々いるのよ。ほら、フレーテスは外面がとてもいいでしょう? 勘違いさせないラインを守ってるつもりでも、そんなの、ねぇ」

「ああ……お上手ですものね」


 判る気がする。もともと黙っていても整った顔をしているのだ。あれで冷酷なイメージ作りをしていればまた違っただろうがあの調子なので、エステルのように一歩引いて見る視点がなければまんまとはまり込むのだろう。


「もしかして相談ってそのことだったの?」

「そうなの……ほら、王都に異動になればもう会うこともないだろうし、もし結婚するなら何か贈り物ぐらいしたいなって」

「あら、エステルも王都に行くんでしょう?」

「えっ?」


 そういう話は聞いたが。

 どうしてファルケンが知ってるんだろう?


「まだ悩んでる」

「えっ?」


 何故悩むことが? という真正面からの疑問を顔中に表したファルケンに見つめられて、エステルは居心地が悪くなる。

 迷っている。 

 王都の本部なんて、そんな貴族ばかりの大きなところに行って、何をするんだろう。平民出身もいるけど生え抜き選りすぐりの優秀な人ばかりだ。エステルにできることがあるようには思えない。

 そういうしり込みする気持がある。

 と、同時に、新天地でどこまでやれるか試してみたいという意欲や、ささやかな野心もある。


 そう話すと、「それで何を迷う要素が?!」と驚かれて、そう言われたらそうかなとも思い、そのあたりで飲み過ぎたワインに呑まれて、後の記憶はあまりない。


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