第21話 隣国の貴族事情

 結局エステルは酔い潰れて寝てしまったらしく、目覚めるとベッドの上だった。

 幸い二日酔いではない。いい酒だったということもあるだろう。

 起き上がって居間にいくと、居間ではファルケンが腕立て伏せをしていた。

 何故。


「おはようエステル。朝の体操よ、一緒にやる?」


 やらない。と、思ったけれど目が覚めるかなと思い直し、少し付き合った。

 疲れるまでやらず、ほどほどで止めてシャワーを浴びに行った。


 バスルームをファルケンに譲り、その間にエステルは朝食を用意する。

 コーヒーを淹れ、パンを切ってレバーペーストを塗る。ハムと葉野菜で簡単なオープンサンドを作った。


 朝から豚一頭食べるファルケンには足りないかもしれないけど。

 懐かしい会話を思い出してエステルは笑った。


「なぁに、思い出し笑いなんて」


 バスルームから出たファルケンが笑いながら皿やポットをテーブルに運んでくれる。エステルはカップを出しながら答えた。


「本当は朝から豚一頭食べるんでしょう?」

「一人一頭よ」


 声を上げて笑って、朝食にした。


 あの時は流してしまったけれど、今更ながらファルケンは貴族令嬢なんだろうなと思う。そのファルケンと気安い付き合いをしているフレーテスもやはり貴族なんだろう。

 明かされないのだから知らなくてよいのだろうと思っていたけれど、そろそろ知っておいた方がよいのでは、となんとなく思った。


「ファルケンって貴族なの?」

「それ聞いちゃう?」

「そろそろ聞いた方がいいのかなって思って」

「そうね。でも誤解しないでね、深謀遠慮があって教えなかったわけじゃなくて、本当に大したことないから、わざわざ言うのも恥ずかしいぐらいなのよ」


 ファルケンは大きな一口でオープンサンドに食いついて飲み込む。下品にならないし、とても美味しそうに見えるからすごいと思う。


「私とフレーテスは親戚なの」

「そうなの?」

「でも二人とも分家も分家、家系図でいうと端っこの方で、なんなら省略されるぐらいなのよ」


 貴族のことに詳しくないエステルはそれでも貴族には違いないのでは、と思ってしまう。

 そんなエステルの疑問を理解して、ファルケンは言った。


「ハンゼルカの貴族って結構きちんとしてるのよ。でもホーランデルスは伴侶を複数持てるから貴族の血筋だけで数えるとバカみたいにいっぱいいるの」

「ホーランデルスってそうなの?!」

「あら、知らなかった? 王族や貴族家当主は妻が複数人いることが多いわ。でも普通は一人よ。私は本家の当主の二人いる弟の下の方の第四夫人の次女」


 エステルは脳内で家系図を作ろうとして、面倒になった。

 ファルケンが「でしょう?」という顔をする。


「基本的に長子相続だけど、出来が悪いと『事故死』するから、二番目以降にも一応意味があるの。でも継承が終わると残りはみんないらなくなる。家名も継がせず領地も付けず、新しい家名だけ与えて追い出すわけ。

 なので私はファルケンフット家の当主よ。総勢一名だけど。そんなの食っていけないし、どこかの貴族の何番目かの夫人になるのも興味なかったから軍に入ったの」


 隣国の貴族の仕組みをエステルはただただ興味深く聞いていた。

 なんとまあ。

 それでは貴族の総人口というか、貴族「家」はとんでもなく増えるのでは。


「フレーテスは一応当主筋よ。本家では何番目の夫人が生んでも子は全員嫡子としてまとめて数えるから、彼はなんと九男坊。上に男が八人もいたら、もう貴族男子としての存在価値はゼロどころかマイナス」


 笑い飛ばしつつも、それは同情的な苦笑いで、ファルケンは続けた。


「それでフレーテスも総勢一名のフレーテス家当主として切り離されたってわけ。でも彼の場合お母様、第六夫人なんだけどね、お母様が目をかけてくれているからマシなのよ。それでも体を鍛えろってことで軍に放り込まれたんだけど。うちの軍はこういう、家から追い出された貴族子女の受け皿みたいになってるの」


 知らないことばかりだった。

 エステルが素直にそういうと、「そりゃ自慢できるようなことじゃないもの。陰口の類だから、文明的なハンゼルカ軍人がわざわざ話題にしたりしないわ」とファルケンは言った。


「そんなわけでハンゼルカの由緒正しい貴族と違って軽いもんなのよ。だから気にしなくていいの」


 ハンゼルカ側は気を使って貴族扱いしてくれるけど、とファルケンは笑った。

 そうなんだ、じゃあいっか。

 とはならないと思うけど。

 それでも態度を変えないで欲しいというファルケンの気持は伝わったので、知識として飲み込むに留めた。


「そうそう、昨夜エステルの話を聞いていて、私、思ったのだけど」


 洗い物を終えたファルケンが手を拭きながら言い出す。確かにお姫様は洗い物などしない。


「私エステルに教えておく技があると思ったわ」

「は?」


 それからファルケンはいくつかのシチュエーション別にとある技をエステルに集中的に指南した。

 軍の訓練で似たようなことはやっているのでエステルも飲み込みは早い。半時間ほどで理屈は理解はした。


「大体判ったけれど……これ使う機会なんてある?」

「あるわ。もしこの先エステルが判断に悩むことがあったら思い出して」


 そんな機会あるだろうか。判断に悩むことはきっとたくさんあると思うけれど、この技との関連性が見つからない。

 でもファルケンの勝負勘とでもいうようなものを、エステルはこれまでたびたび目にしてきたので、ファルケンがそういうのなら何かあるのかも、と思うことにした。


「練習しておいてね!」

「う、うん」





 宿舎の前でファルケンと一緒に迎えの馬車を待つ。

 貴族士官の使う官舎には馬車の設備があるので、時間を伝えてこうして迎えにきてもらうこともできるそうだ。


「でも本当の貴族なら自分の家の馬車を使うのよ。私達は外国人だから馬車まで持ってこなかった、ということになっているの」


 本家の人間ならちゃんと本国から持ってくるし、そもそも官舎に入らずこっちで屋敷を買うわ、とファルケンは言った。なるほど大きな格差があるらしい。


 ほどなくしてハンゼルカ軍の紋章がついた馬車がやってきた。

 ファルケンがドアに手を掛けようとして、「あら?」と声を上げる。

 ドアは内側から開き、中には人が乗っていた。


 フレーテスだった。


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