第22話 新たな選択肢

 ファルケンは馬車からフレーテスを引きずり下ろすと、素早く乗り込み、笑顔で去っていった。

 残されたエステルとフレーテスはなんとなくお互いの顔を見る。


「ええと?」

「エステル嬢にお話がありまして」

「あ、はい」


 ぎこちない。なんとなくばつが悪かった。

 だが外で立っていてもしょうがない。

 エステルは部屋へ案内しようとしたがフレーテスはそれを固辞したので、舎監の老人に伝えて以前母が来た時に使った来客用の小部屋を借りた。


 エステルは部屋からファルケンが持ってきたワインが入った籠とカップを取ってきた。グラスなんてしゃれたものは持ってないのでしょうがない。ついでに舎監の老人にも一本差し入れをして、小部屋に戻る。





「これはファルケンが選んだワインですね」


 ワインはフレーテスが注いでくれた。カップ相手にソムリエよろしく丁寧に注ぐのでちょっと笑ってしまった。わざとやっている。こういう小芝居も上手い。


「判るのですか?」

「抜栓してすぐ飲めて、香りが華やかで口当たりが軽くてグイグイ飲める。ファルケンの好みです。味にはあまりこだわりません」

「なるほど。ちなみにフレーテスさんの好みは?」

「私は……ああ、あった。これですね」


 フレーテスは籠からもう一本引き抜いた。白ワインだ。

 エステルにラベルを向ける。

 そこにはホーランデルス語で「フレーテス」と書かれていた。


「えっ?!」

「私の家名はここから来てるんです。雑でしょう?! 好きなワインからって」


 一応、母がワイナリーを買い取ってはくれましたが。

 フレーテスはそう言って「フレーテス」を籠に戻した。


「ベタベタに甘いのでデザートとして飲むといいですよ。田舎の小さなワイナリーで少ししか生産されていないので、ほとんど気付かれないですね」


 確かに。聞いたこともなかった。


「あ、家名って」

「ファルケンから聞きませんでした? そういう頃合いかなと思ったのですが」

「はい、聞きました」


 こうして頭の回転が速くて察しが良くて手回しがいい人ばかりに囲まれているから、あと一歩自信が持てないのだ。

 エステルは内心八つ当たりをした。


 ファルケンから聞いたことを話すと、フレーテスは頷いた。


「本当にそのような感じです。一応、親族というつながりはありますよ。家名は継ぎませんが、それに準じた称号のようなものを付けます。私の『デ』やファルケンの『ファン』がそうですね。名でどの家系筋かが判るようになっています」


 ファルケンの言い様では継承が終われば同世代の子達は問答無用で叩き出されるのかと思っていたら、名が代わり嫡子としての権利がなくなるだけで、そのまま家宰や騎士として家に残ることもあるのだそうだ。


「令嬢はほとんど他の貴族家に嫁ぎます。市井の者に嫁いだ場合は貴族籍が消滅します。ファルケンのように独立するのも自由です。自分で稼ぐ必要がありますが」


 市井の者、とはハンゼルカでいう平民のことだ。


「子息の場合はまあ……ほとんど軍でしょうか。稀に嫡子が令嬢しかいない家に婿に入ることもありますが。騎士団で成り上がって実家の強い令嬢を妻にもらって自分の新しい家を盛り立てていく、みたいな感じですね。市井の大商会に婿に入る選択もあります。この場合、令嬢と同じく貴族籍は消滅します」

「なるほど……」


 エステルはワインに口を付け、興味深く聞いた。

 これから王都でやっていくなら、領都よりずっと貴族が多い。隣国とはいえ貴族の仕組みを知っておくことは有用だと思った。


 ――ファルケンもフレーテスもそれを見越して解説してくれてるんだろうなあ。


「ところでエステル嬢、王都への転属に迷っているとうかがったのですが」

「えっ」


 どの筋からの情報だろうか。

 確かにコウトニーに言われた時、エステルは即答しなかったし、まだ申し出ていない。

 迷っていたのも確かだ。昨日までは。

 でもファルケンに相談して、エステルは今朝からもうすっかり王都に行く気になっていた。

 ただ実家の動向が気がかりなのも本当で、出来れば顛末を知ってから発ちたいと思っていた。


 ――王都に行った後でも、調査をお願いすればいいことだわ。


 メイネルス探偵社の初回サービス料金は大変財布に優しかったが、あれが倍、三倍になってもまあまあなんとか予算内だ。心の安寧のための必要経費と思える。


「やはり実家のことですか?」


 そうフレーテスに聞かれ、それはその通りだったので頷いた。

 少し前にパトリクに教育的指導をしたことを話そうとしたが、フレーテスが先に口を開いた。


「それに関して、新しい選択肢をご提案しに来ました。穏健かつ完全に解決できる方法です」

「それは……どのような」


 その整った顔で自信満々にプレゼンを始めるフレーテスに、うわぁ魅力的と思いつつ、どんな案なんだろうと純粋に期待感が高まった。

 フレーテスがわざわざ持ってくるのだから、きっとエステルが考えもしなかったクレバーなアイディアに違いない。


「エステル嬢がご結婚すればいい。他家に嫁いでしまえばもうハイニー家を継ぐことはできません。ハイニー家及びハイニー商会の皆さんは覚悟も決まるでしょうし、エステル嬢も煩わされなくて済みますよ!」


 エステルは草原狐のような顔になってフレーテスを見た。


 ――フレーテスさん、知ってます? 結婚って一人ではできないんですよ?


 うっかり毒を吐きそうになったが、既の所で押し止め、平板な声でたずねた。


「で、その他家はどこから調達してくるんです?」

「ここに!」


 自信満々のフレーテスに、エステルはつい周囲を見回してしまった。

 どこに?


「どこに?」

「ここに」

「テーブル?」

「家具と結婚はできません。エステル・デス・フレーテスになりませんか?」


 沈黙が流れる。

 エステルはしばしの間、フレーテスの言葉を脳内でよく吟味した。

 そして質問した。


「何故『デス』?」

「そこなんです?! 『デ』の正式な伴侶は『デス』になります」


 エステル・デス・フレーテス。


 エステルはもう一度吟味して、言った。


「言いにくいですね」


 とてもひどいことを言われたかのように、フレーテスは胸に手を当て、眉尻を下げて僅かに上体を反らせる。


 あっ、可愛い。


 エステルは過大な衝撃を受けて働きが停止している脳でそんなことを考えた。


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