第23話 一緒に商売がしたい
落ち着け、私。思考停止しちゃダメ。考えて。
フレーテスがなんのつもりでそんなことを言い出したのか。
どんな裏があるのか。
考えろ、考えろ私。
エステルが知らず知らず険しい顔になって考え込んでいると、フレーテスが仕切り直し、とばかりに居住まいを正した。
「まあ待ってください、今少し私にお時間をください。このフレーテスが如何にお買い得かを説明させていただきます」
「ぇえ……?」
新製品の売り込みみたいになってきた。エステルは思った。
そこは説明されなくても判る。
顔もいい、頭もいい、お金も……まあ普通に士官のお給料があるだろう。
でも貴族でしょう?
ファルケンと二人して繰り返し「大したことはない」と説明されたけど、貴族家に嫁ぐなんて、怖ろし過ぎる。
それに……
エステルが黙っていると、フレーテスは話を続けた。
「私はずっと軍人を続けるつもりはありません。当初の予定以上に長居をしたと思っているぐらいです。それだけ便利に使われ、いえ頼っていただいたということですが。
私は軍を辞めた後は母が経営する商会を手伝うことになっています。手伝うといっても、自分の商会を立てるつもりです。メイルマンス商会はご存じでしょうか?」
メイルマンス。エステルは頭の中の帳簿をめくった。
ホーランデルスに本部がある大商会だ。
大商会といっても形態が少し違う。
メイルマンス商会という商会だけではなく、メイルマンスグループとでもいうような、大小様々な商会や組織の集まりなのだ。
エステルが理解したことに頷いてフレーテスが続ける。
「そのメイルマンスが私の母の実家なのです。跡継ぎは兄に決まっていますからご心配なく。面倒はありません。つまりですね」
フレーテスはここが重要、と一度切った。
営業用の顔ではなく真面目な顔になったので、エステルも真剣に耳を傾ける。
「私と婚姻を結ぶと、まずハイニー家の跡継ぎ問題からは解放されます。そして、もしエステル嬢がお望みでしたら、ハイニー商会を丸ごとメイルマンスで買収します。もちろんハイニーの屋号はそのままです。ただ、経営の援助にメイルマンスから人を出します」
ご家族ではなく、関係者のことが心配だったのでしょう? とフレーテスに言われ、エステルは今度こそ頭が真っ白になった。
丸ごと買収? メイルマンスに?
確かにメイルマンス傘下になれば安泰だ。販路も広がるし、仕入れの幅も広がる。傘下になろうと思ったって審査が厳しいという話も聞いていた。ハイニーみたいな辺境の地元商会なんていくら老舗といっても普通なら相手にされない。
それがフレーテスと結婚し、親族の末席に加わることで融通してくれるという。
父やパトリクがどうしようもなくても、実権をメイルマンスに移してしまえばどうすることもできない。
大人しくこれまで通り堅実に経営するなら商会長として残してくれるし、補佐もしてくれるのだろう。
馬鹿なことをやろうにも最終決定前に阻止されるだろうし、独断で動けば……まあ、命までは取られないだろう。
エステルが何もせずとも、気がかりが全て解決する。
ハイニーの名前も残るし、パトリクがもし性根を入れ替えたなら跡継ぎにもなれるだろう。真面目にやればハイニー家も存続する。
従業員や関係者の生活だってむしろ上向くかもしれない。
万事解決だ。
――でも。
判ってる。フレーテスの提案はこれ以上ないほどに厚遇だ。
――でも、でも。
「……あの時、私は家のために婚約解消して……、今度は、家のために結婚するの……?」
家のため、というのは少し違う。判ってる。
始まりはテオとエステルとクラーラの問題だから。
でもエステルの中では不可分に結びついていた。
家の問題を自分の婚姻で解決することに、思いがけない抵抗感があった。
「エステル嬢」
気がついたらエステルの座る足元にフレーテスが膝をついていた。
「えっ」
「大変申し訳ありませんでした。私は順番を間違えたようです」
痛恨の極み、とばかりに顔を顰めたフレーテスがエステルの手を取った。
「まず私がどうしてエステル嬢と結婚したいのかをご説明するべきでした」
「あっ、はい」
「結論から申し上げて、私はエステル嬢と一緒に商売がしたいと思いました」
一緒に商売がしたい、はホーランデルス商人特有の賛辞だ。
財布を共にしてもいい、契約書にサインをしてもいい、という信頼と信用が込められている。
――それは……ちょっと、嬉しいかも。
エステルはその意味を知っていたので素直に嬉しく思ったし、頬が赤くなった。
フレーテスは、初対面の頃からエステルが気になっていたという。
さすがにそれは話術でしょう、とエステルの目が厳しくなるとフレーテスは慌てて抗弁した。
「あの時エステル嬢は悲しんではいましたが、同じぐらい憤慨していたでしょう? 不誠実で不確かな愛とやらのために契約をないがしろにする態度に、それでよしとする価値観に。そしてなによりその過ちを正す力が自分にないことを悔しがっていた」
こう言っては失礼ですが、田舎のまだ子供みたいなお嬢さんが、恋や愛に溺れるでも囚われるでもなく、なんと冷静で理知的で、そして苛烈なんだろう、と。
フレーテスはそう言った。
そんなことはない。エステルは思う。
テオに恋をしている自分に酔っていた。きっと、テオを好きな自分の方が、テオよりもっと好きだった。
ただ頑張っていれば自動的に好かれるのだと思っていた。
相手に働きかける面倒から逃げていただけ。
「その後の訓練でも決して折れず、常に周囲を観察してよりよい選択肢を探している。私のこともそうでしたね」
「フレーテスさんのこと?」
「はい。エステル嬢はいつも『観客の目』で私を見ていたでしょう?」
エステルは羞恥で真っ赤になった。
バレてた……!
失礼にもほどがある。
エステルが縮こまると、フレーテスは慌てて手を振った。
「いえ、私は嬉しかったんですよ。私これでも子供の頃は役者になりたかったんです。反対されましたが。まあ両親の仕事を考えるとそうだろうな、と今は納得しています。だからエステル嬢が私の振る舞いの意図を理解しつつ『芸』として楽しんで、そして評価してくれていることは、嬉しかったのですよ」
そう言われてもいたたまれない。
エステルは顔を覆って突っ伏してしまった。何様だ私……!
「弟君を指導した話も聞きました。その後どうなったか聞きます? メイネルスが頼みもしないのに追跡調査してますよ」
そうだメイネルス!
エステルはがばっと顔を上げた。
何かひっかかると思ったら。
メイルマンスが直営する商会や組織は似たような名なのだ。
あれ、だったら。
メイネルスを紹介してくれたのも、仕込み……?
そう思ってフレーテスを見ると、「私だってまさかコウトニー殿がメイネルスを紹介するとは思いませんでした!」と言った。
――『うん、いくつかあるけど、君にはここだね』
ああ。
常に誰かの手のひらの上というのは、なんて悔しい。
エステルは思わずそう叫び、フレーテスも同意した。
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