第24話 可愛い
「私は軍を辞めたらやりたいことがたくさんあります。商売もそうですが、その他にも色々考えていることがあります。それをエステル嬢と一緒にできたら、どんなに楽しくて面白いだろうかと思いました」
フレーテスは何の小芝居もなく、生真面目にエステルを見据えて語った。
「あなたはきっと私の足りない部分を補ってくれる。私だって昨日今日で言っているわけではありません。あなたと一緒にあの町を出てから九年? 十年? 見極めるには十分な時間でしょう?」
そして天秤は釣り合っていなくてはならない。
フレーテスはそう言った。
それもホーランデルス商人の言い回しだ。
取引は公平でなければならない、という様な意味である。
「なので、私はエステル嬢の問題を解決する手段を色々と取り揃えて来ました。将来的にも私の商会で存分に腕を振るっていただきたいですし、なんならエステル嬢の商会を新しく立てたっていい。資産もまあまああると思います。融資の形でしたら当主家から結構引っ張ってこられますよ。ホーランデルスに戻るつもりですが、ハンゼルカと行き来できますし、海の向こうにも行けます。都会に飽きたらワイナリーのそばに山小屋を建ててワインでも作りましょう。如何でしょうか」
如何でしょうか、と言われても。
エステルは困った。ただ、困った。
ファルケンもフレーテスも貴族と言っても名目上だ、みたいに言うけれど。
こういう、お互いの利益を秤にかけて婚姻を決めようとするところ、多分とても貴族らしい考え方なのだと思う。
解決方法としてはすこぶる良い。なにせ人任せにできるから楽だ。もうあの面倒な人達に時間を取られたくない。
野垂れ死にでもされると今度は葬式を出しに帰るはめになる。面倒臭い。
ほどほどにつつましく人に迷惑をかけないよう、エステルと関係ないところで生きていてほしい。
その希望が叶う。
フレーテスは嫌いじゃない。嫌いじゃないどころか、パヴラまで思い詰めなくとも軽く憧れる程度の女の子ならたくさんいると思う。
で、でも。
「何かご懸念が?」
「これは参考までにおたずねするのですが……」
「はい」
「フレーテスさんは愛とか恋とかには否定的でいらっしゃる?」
「まさか! 恋はともかく愛は人には必要なものだと思っていますよ」
心外だ、とでもいうようにフレーテスが驚く。
そしてすぐ、ああ、と理解の色を浮かべる。さすが察しがいい。
「なるほど、あまり自覚はないですが、私ごとき末席の者でも貴族の考え方をしているのかもしれませんね」
うん、と首肯してフレーテスは続けた。
「でもエステル嬢、自然に惹かれ合ったとしても、裏切ることがあるのが人というもの」
ご存じでしょう? と目線で問われ、エステルは詰まった。
「なら最初にきちんと条件を出し合い、契約を交わして、その上で恋や愛を育てた方が無駄がないと思いませんか?」
伴侶を増やす時、愛人を持つ時、離婚する時、個人資産の範囲、親族の取り扱い等々、状況別の可否とその賠償金を最初に決めましょう、と自信満々に言われ、エステルは悩んだ。
これが貴族と平民の感性の違いというやつなのだろうか。
エステルは恋をして、共に在りたくなって、その手段として結婚するようなイメージを持っているが、フレーテスは条件が整った相手と結婚し、結婚したので相手に恋をする(努力をする)のだと言う。
なるほどなあとは思うし合理的だとは思うが……なんだろう。エステルは戸惑う。
多分……まだ小娘みたいな夢を見ているのだと思う。
惹かれ合って恋して結ばれる、といった。
それにこれってプロポーズでしょう? こんな宿舎の応接間で、寝起きの普段着の時に(そういやそうだった!)、商談みたいに。
つまらないことだけど、勝手なわがままだけど、もうちょっとこう……夢を見たかったなって。
エステルはこっそり溜息をついた。自分自身に対してだ。
自分がこんなにぐずぐずと煮え切らない、優柔不断な人間だとは思わなかった。呆れてしまう。
商売ならもう結論は出ている。なのにどうも踏み切れない。
フレーテスはエステルの躊躇いを承知して、納得できるまで待ってくれている。
とりとめのないことをぐるぐると考えていて、ふとファルケンのことを思い出した。
――『判断に悩むことがあったら思い出して』
あれを?! 今?!
エステルは顔を上げてフレーテスを凝視した。フレーテスが「何か?」と小首を傾げて見返す。
えええ……
でも、ファルケンの言うことだもの……。
多分エステルはもう考え疲れていたのだと思う。
なんでもいい、賽を投げる、棒を倒す、そんな勢いが必要だった。だけだと思う。
「フレーテスさん、ちょっと……こちらのソファの前に立っていただけます?」
「はい? ……このあたりですか?」
不思議そうにしながらもフレーテスは言われるがままに移動して、エステルの示した位置に立った。
「はい。そこです。それで……少し重心をこちらに移して、はいそうです。では失礼!」
「はあっ?!」
エステルは一瞬でフレーテスの重心を崩し、足を払って腕を引き、ソファに投げ落とした。
ぼすん、と思いの外大きな音がし、安物のソファがギッと鳴る。フレーテスはそんなに大柄でも重くもないが、エステルの勢いが強かったようだ。
「えっ? ……ええっ?」
突然ソファに投げ落とされたフレーテスは仰向けにひっくり返った格好のまま、何の構えもない「素」の顔をしていて、本当に混乱している。
それを上から見下ろして、エステルは――胸が高鳴った。
可愛い。
うん。
私はフレーテスさんを好きになれる。ううん、好きになる。
これがときめきというやつだ。きっとそう。
誤解でも思い込みでもいい。
死ぬまで醒めなければいいんだもの。
まず自分の気持が決まれば、後はどうとでもなるし、どうとでもしてやるんだから。
どきどきと胸を打つ鼓動に、熱くなる頬に、恥ずかしくなってエステルは両手で顔を覆った。
フレーテスからすると突然投げ飛ばされて、投げ飛ばしてきた相手が照れているという、にわかには理解し辛い状況である。
「あの……」
起き上がりながらまだ衝撃が抜けきらないフレーテスに、エステルは真っ赤な顔で奇行を詫びつつ、答えた。
「条件を詰めましょう」
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