1-1 日常から非日常へ

 時計の針が定刻になった。はやる気持ちを抑えてチャイムがなるのをじっと待つ。最後に自分の名前の欄をもう一度確認した。ちょっと前に、名前を書き忘れて提出してしまったことがあるのだが、下手くそな字のせいで一発でわかったぞ。とさらし者にされた事があるのだ。剣崎 哉太ケンザキ カナタ。ちゃんと書いていることを確認した時、壁につけてあるスピーカーからジジッと音がした後大音量で終了のチャイムが鳴り響いた。

 

 「終わった~!」


 カナタはそう言って大きく伸びをした。三学期末試験が今日でようやく終わった。来年は最上級生であり、進路のことについても本格的に考えていかなければいけなくなるのだが、とりあえずは憂鬱なテスト期間を乗り切ったことをお祝いせねば。などと考えていると後ろの席から軽く小突かれる。


 「ちょっと、邪魔だってば」

 

 どうも思い切り背伸びしたせいで、後ろの席の邪魔になってしまったらしい。教卓では解答用紙を集めた教師が休みの注意事項などを話している。進路相談のスケジュールなどの話もあり、それを聞いていたのだろう。

 

 「悪い、ハルカ。」

 

 カナタはあまり悪びれることなく謝りの言葉を口にする。カナタの後ろの席に座っているのは、仁科 遥華ニシナ ハルカ

 振り返るとハルカは眉間にかるくしわを寄せてこちらをにらんでいた。きりっとした顔立ちで人によるとにらまれると怖いと言われることもあるが、小さい頃からの付き合いなので今更なんとも思わない。すこし明るめの髪の凛々しい顔立ちをしている。誰に対しても分け隔てなく接するので、男女問わず人気がありカナタとは幼なじみということになる。

 

 「カナタもそろそろ進路決めないと、後であせっても知らないからね!」


 カナタがまだはっきり進路を決めていないことを知っているハルカが弟にでも言うような口調で言うので、つい冗談が口をつく。

 

 「どこも落ちたら爺ちゃんのとこで雇ってもらおうかな。師範代でいいや」

 

 笑いながらそう返すとハルカは一瞬何か考えたようだが、馬鹿じゃないの!と頬を膨らませて席を立った。ここで言う爺ちゃんとはカナタの祖父ではなくハルカの祖父の事である。ハルカの祖父は剣術道場をやっていて、小さい頃は妹のヒナタと二人よく行っていたものだ。きっかけは剣や刀が大好きで、剣士になってみたいとまぁ少年なら誰しも思う頃近所に道場があったのだ。それは行くだろう。同じく興味がありしょっちゅう道場に来ていたハルカとも仲良くなり、爺ちゃんも孫に教えるついでに俺たちにも竹刀を持たせてくれたのだ。

 まあ、俺は途中で飽きたのとちょっとしたことがあってあまり行かなくなったのだが……。

 昔を思い出しながら、帰るべく荷物をバッグに入れていると机の周りに人が立った。見上げるとそこには予想通りの見慣れた友人の顔がならんでいる。


 「カナタ。今日行くだろ?」


 丸刈りの少年っぽさを残した顔立ちのこいつ松園 昴マツゾノ スバル。 

 スバルが言っているのは、郊外にあるショッピングモールの近くに新しくできたゲーセンだ。新しい機種がいくつもあるらしい。そして比較的小柄なスバルの隣でまるでスバルに隠れようとするかのようにやや遠慮がちに立っているのが大橋 大吾オオハシ ダイゴ

 名前に大きいが二つも入っているだけあって縦も横も、さらには厚みもありいかつい風貌のこの友人は見た目に反して穏やかな性格で動物好きな優しい男である。

いつもつるんでいるのはこの二人なのだが……


 「田島君と中尾君も行きたいんだって、いいよね?」

 

 カナタの心の疑問を感じ取ったの如く、ダイゴがそう言った。スバルとダイゴの反対側に田島と中尾が立っている。帰りに三人で町に遊びに行こうと約束していたのだ。別に増えても構いはしないのだが、それほど仲が良いわけでもないのでどうしたのかと怪訝に思っていると、田島と中尾は顔を見合わせると勢いよくカナタの机に手をついて顔を寄せて言った。


 「その!剣崎君さ、例の物ないかな?」


 などとぶっこんで来た。


 「なっ!お前ここで!」

 

 焦ったカナタは周りを見渡し、聞かれたくない相手を見つけて様子をうかがう。カナタの視線の先ではハルカが友人と談笑しているのが見える。どうやら聞こえなかったようだ、内心でそっと胸をなでおろす。二人は例の物としか言っていない。それが何を指すかはわかりようがないのだが、隠したいことをかぎつける我が幼馴染の鼻は予測を超えてくることは経験則で理解している。まして今回のブツはばれた暁には道場へ強制連行の上稽古という名の制裁が不可避と思われる。絶対にばれるわけにはいかないのだ。


 「最近は入荷していない。・・・希望は?内容によっては準備する」

 

 声を潜め、額を突き合わせるようにして商談を行う。そして希望を聞いて金額を伝えたあと、もう一度感づかれてないかそっと確認して、二人に了承を伝えた。


 「そんな怖いならやんなきゃいいのに……」

 

 ダイゴのあきれた声が聞こえた気がするが、これはビジネス。多少はリスクもつきまとうのは仕方のない事なのだろう。たぶん、きっと。

 例の物とは、道着をきたハルカの立ち姿の写真だ。その凛とした姿のファンは意外と多く、ぜひ買いたいと言う奴がいたので軽い気持ちでこっそり撮ってきたところ、そいつはちょっとびっくりする値段で買い取った。それから時折こうやって声がかかり、いい小遣い稼ぎをさせてもらっている。ほかの奴らにとっては普段見ない道着姿は特別なものがあるらしい。男子だけではなく女子にも売れるのだ。

 また何気なさを装って道場へ行き、こっそりと撮ってくる計画を立てる。カナタに言わせれば普段からりりしい雰囲気のハルカの、さらにりりしい道着姿など普段の延長線上にあるだけではないかと思うのだが。それよりも好きな小物などを見ている時とか、本人は隠しているがお気に入りの小物やぬいぐるみに愛称をつけて大事にしている時などにみせる柔らかい笑顔の方が価値があると思う……いや、さすがにそんなところを盗撮したりしないしわざわざ教えたりもしないが。


 「なに?ニヤニヤして。スバル君たち待ってるわよ」 「はうあ!」

 

 そんなことを考えていると、いつの間にか戻ってきて帰り支度を整えたハルカから急に声をかけられ、思わず変な声を出してしまった。これには声をかけたハルカも驚いたらしく「なんて声だしてんのよ」と口をとがらせ、目を丸くしている。

 そんな顔もなかなか……と一瞬思ってしまったのは内緒だ。

 慌てて考えを打ち消したカナタはハルカの肩を掴んで出口に向けて軽く押しながら言った。


 「ちょっと考え事していたんだよ。ハルカも帰るのか?途中まで一緒にいこうぜ!」


 「ちょ、ちょっと。押さないでよ!」


 考えていた相手に急に声をかけられ慌ててしまう。教室の出口ではいつの間に移動したのか、スバル達がニヤニヤしながらこっちを見ていた。覚えてろよと、視線で文句を伝えながらも耳が熱い……きっと顔が赤くなってるに違いない。 文句を言われながらもハルカを押す力を弱められないカナタだった。

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