3-7

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「あ、あ……なんで、なんてことを!自分がなにやったか」


 声を震わせ、手で口を覆った幸子が信じられない顔をしながらも言った。


「うるさいな、外に行けばこんなのそこら中でやってるよ。俺は噛みつきゃしないだけで」


 それに対し、心底うるさそうに克也は返す。そしてあんたもすぐこうなるさ。とわざとらしく言った。


幸子の後ろでは前島と言っていた女が、顔を青くして立ち尽くしていた。驚きすぎて口を開けたまま呆然としていたが、やがて克也と倒れている田中を交互に見ると大きく息を吸って叫ぼうとした。


 「ひ、ひとごろ………」


 叫ぼうとした前島に模造刀を投げつけた。今は叫ばせたくないし、見た目にももう少しインパクトが欲しいと思っていたところだ。


 投げた模造刀は前島の顔に当たって、前島は顔を抑えてうずくまった。その隙に倒れていた田中の傷口から流れる血を両手ですくうようにして取ると、いまだ口を開けたままわななかせている幸子の口元に押し付ける。


「うっ、……何てことをするんだい!」


 さすがに我に返って袖で口を拭いながら幸子は克也の胸倉をつかむ。


「ふん……」


 それに対し、何も感じてない様子の克也はそれを払いのけ、前島の髪を掴んで強引に顔をあげさせると幸子と同じように田中の血を口元に塗り付けるように押し付ける。


「うっ、いい加減に……このガキ!」


 その常軌を逸した克也の行動に怒りで顔を引きつらせ、前島は立ち上がり掴みかかろうとする。幸子もまた克也を捕まえようとしている。

 それらを乱暴に払いのけると、次はどっちをやろうか。と不敵に笑う。


 その克也に身の危険を感じ恐怖しながらも、武器を投げて手放した克也をどうにか取り押さえんと二人がかりで襲い掛かってくる。


「ああ。そろそろいいか。」


 それを乱暴に振り払いながら後ろに下がっていた克也だったが、そう言うとわざと掴まれる。そして呟いた。


「世界は壊れたんだ、いいじゃねえか殺すくらい。」


 その言葉で完全にタガが外れたのか二人がかりで克也を掴み、殴りつけたきた。黙ってされるがままの克也の意識は後ろの階段に集中している。そしてとうとうその時がやってきた。


 物音に気付いたのか、途中から足早に階段を上がってくる。そこで必死に抵抗しているフリをしながら、背後に気配が迫った瞬間克也は言った。


「たすけて、。」





 ヒナタは克也と別れた後、慎重に一階を探索していたが特に変わった物も人もいなかった。古い非常口みたいな鉄の重い扉がいくつかあって、どれも内側から施錠されている。


「失礼しまーす」


 一応小声で断りながら開けたが、そこは何もないスペースがあるだけだった。一応奥に階段があってその先にも扉があったのだが、どれも施錠されているのか開かなかった。

 その他には、金属製の棚が並んでいる殺風景な倉庫っぽい部屋、ロッカーが四つほど並んでいて壁に鏡が掛けてあるだけの手洗いがある部屋。一階にはあるのはそれだけだった。


 一階を調べ終わったヒナタは克也が昇って行った階段をあがる。そこは事務所のような部屋と給湯室、シーツやカバー、洗面用具が収められているリネン室?みたいな部屋があるだけだった。

 

「不思議な造りな場所だな」


 階段の所まで戻ると、いったん立ち止まって振り返りながら感じた事を呟く。


 行けるところは全部行ってみたのだが、 一階の面積よりも二階がだいぶ狭いのだ。これは壁の向こうに一階の駐車場から三階の客室への直通通路があるためなのだが、そんなことはヒナタには分からない。


「まさか、隠し扉があるわけじゃないだろうしね」


 そう呟いて、三階へ行こうとした時だ。まさにその三階から物音が聞こえてきた。

 それも複数のように聞こえる。

 

 「……上に誰かいたのかな。それとも」


 呟いて気を引き締め三階への階段をあがる。なるべく足音がしないように上っているつもりなのだが、階段と言うのは意外と音が響く。


 踊り場まであがってきたところで、物音が人がもみ合う音だと気づき、足早にあがるとすぐに見えたのは克也の背中と、それに掴みかかっている二人の女性の姿だった。

 その口元は血に塗れておりヒナタが見た時には、どちらもすでに克也を掴んでいる。


 すでに一刻の猶予もない。さらに、ヒナタに気づいたのか克也が言った言葉。


「たすけて、。」


 そこから無意識に動いていた。


 克也の左肩ごしに鬼丸で勢いよく突く。間に克也がいるために振り回すことはできない。回り込んでいる時間も惜しい。

 踏み込みの力の乗った突きは二人のうちヒナタに近い左の髪色の派手なほうの喉にきれいに入った。


「かはっ!!」


 大きくのけぞり、口から空気と一緒に血泡を吐きながら後ろ向かってたたらをふんで倒れようとする。それと同時に移動して克也より前に出るとあお向けに倒れようとしているのどの部分を叩く。

 ごぼという嫌な音が聞こえる。

 

 そして振り返り、もう一体の方を見た時には克也が振りほどいたのか地面に手と膝をついた状態で、こちらに背中を見せている。

 深く考えないまま、鬼丸をふりかぶり無防備な後頭部、延髄の位置に振り下ろした。


 大きくびくんと体を跳ねさせ、動かなくなったのを見て息を吐く。


「大丈夫?」


 そして克也にそう訊ねた。


 克也は……襲われていたというのに、何とも言えない嫌な感じの笑みを浮かべていた。


「助かったよヒナタちゃん。俺もあっちはなんとかやったんだけどね」


 何か本能的に忌避感と不安を感じながらも克也が指す方をみると、そこにも女性が倒れている。

 それを見てドクンとヒナタの心臓が跳ねる。


 兄を探しに出てきてから望まぬとも何体かの感染者と交戦した。交戦しながら自分なりに対策を立てながら。感染者は弱点と思われる後頭部や首の付け根らへんに強い衝撃を与えれば動きを止める。逆に言えばそれ以外にいくらダメージを受けてもその動きを止める事はなかったことを思い出す。


 

 ……これ以上は考えたくない。ヒナタの理性が考えるのをやめさせようとしているのだろうが、答えが目の前にあり、いやでも思考が進んでいく。 



 

 克也がやったという相手は腹部に刺し傷らしきものがあり、大量に出血している。だがそれ以外に傷が見当たらない。


 思い過ごしであってほしい、そう願いながら克也に聞いた。声が震えて喉の渇きも強く感じる。


「……ねえ、大倉君。このかん……この人たちって。」


 克也の顔には、あのいやらしい笑みがずっと張り付いている。


「いや、感染者とかもしかしたら略奪者とかに襲われるかもとは覚悟してたけど、身内とその友人たちに襲われるとは思ってなかったよ」


 どこか軽い口調で克也は言った。

 ヒナタは克也の顔を見ることがどうしてもできなかった。あの笑みを見るのが嫌だし、何より自分が先ほど倒した女性に張り付いたように目が離せなくなっていた。


 

「……え、と。感染して」



「してないよ。感染はしてなかった」


 ヒナタの問い掛ける事がわかっていたのか、かぶせるように言った言葉が、耳元でリフレインする。


「大丈夫だよ。こんな世界になっちゃったし、感染者だろうがそうじゃなかろうが一緒だって」


 だんだんと膝が震えてきて立っていられなくなりその場に座り込んでしまう。


「俺が一人、ヒナタちゃんが二人。俺たち共犯者だね!」


 いっそ嬉しそうに聞こえる口調で克也は言う。まるで仲の良い友人同士が同じ物を持って、お揃いだね。と言っているような感じで。


「私……人を、殺しちゃったの?」


 自分に問いかけるようなつぶやきがヒナタの口からこぼれる。それと同時に、カラン!という音が響いた。ヒナタの手から鬼丸がこぼれ落ちた音だ。

 力が抜けて落としてしまった無意識に拾おうとするが、感染者の物とは違う鮮やかな赤が、全体にまとわりついている。

 それがまるでお前がやったことだと証明しているようだ。

 

 これが日常の中での事であれば起こりえなかったことだろう。いくら襲い掛かられているとはいえ凶器も何ももっていない年配の女性二人。そこまで慌てることもなく、いったん状況の確認ができたはずだ。

 しかし非日常の世界に変わってしまった今、女性であろうが感染者は危険な存在だ。悠長に構えてはいられない。

 またこんな世界にあって、冷静に見えていたヒナタもどこか通常の精神状態ではなかった。いくら変異しているとはいっても人型の、しかもまだ動いている者の急所を鉄パイプで攻撃することに躊躇はするはずだ。

 強くともヒナタはまだ中学生なのだ。

 

 さらには悪質な克也の誘導がヒナタに考える暇と冷静な判断を奪っていた。


 いわば罠にはまった形なのだが、もはや考える余裕すらヒナタに残っていない。

 

 「いやだ……」


 思わずそう呟いてヒナタは数歩後ずさる。短い期間だったが相棒として一緒に戦ってきたそれをどうしても拾う事ができない。


 「俺が言わない限り、この事は誰にもわからないよ。そしてヒナタちゃんが誰かに言わない限り、俺がやったこともわからない。二人で秘密を共有するって事さ」


 いつの間にか隣に来ていた克也が言った、まるでささやきかけるように。

 克也がいつ動いたのかもわからないほどヒナタの動揺は激しい。それを見た克也が満足するような顔をして笑っていることさえ。


 そして少しだけ躊躇したが、克也はヒナタの肩に腕を回す。それに対してもヒナタは反応をみせない。


「大丈夫だよ、俺がついてる。一緒に行こう、しばらくは家族にも会わないほうがいいと思う。もう少し落ち着いてから戻ればいいさ」


 家族と言う言葉に反応したのか、ピクリと反応してゆっくりと克也の顔を見た後、ぽろぽろと涙を流し始めた。

 取り返しのつかない事をしてしまったと動揺するヒナタは、もうどうしていいかもわからなくなって克也の言葉に縋りつくしかできなくなっていた。

 そしてその誘導に従いフラフラとこの場を離れる。その時目の端にチラリと鬼丸が映った。

 

 たくさんあったパイプの中から一番長さと重さがしっくり来た物を厳選して、短い間ではあるが、名づけまでしてここまで一緒に戦ってきた戦友ともいうべき鉄パイプは、あれだけ気に入っていたのにもうヒナタには持つことができなくなっていた。

 

 

 そして半ば呆然自失の少女はゆがんだ笑みを浮かべる少年に肩を抱かれて階段を下りて行った。


 

 ヒナタと共に戦い、多数の感染者達を退けてきた鬼丸は突然その役目を終え、廊下に転がった。その身に多少の傷とわずかな血糊、ヒナタが書いた(おにまる)の字を残して。

 

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