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「ヒナタちゃん」


 走り出してすぐ後ろから呼び止められた。何か言い忘れでもあったのだろうか、鬼丸しか渡してないから忘れ物はないと思うけど……そう考えながらも足を止め振り向いた。


 聞こえなかったふりをして走り去っても良かったのだろうが、ヒナタにそんな事はできないし何よりも出会ったばかりの頃よりもほんの少しだが克也の事を信用してしまっていた。


「ごめん、呼び止めて……」


 さっきまでと違う笑みを浮かべた克也はそう言って歩いて来る。


「ううん……それはいいけど。どうかした?」


 少しでも信用している事は言葉や態度にも現れ、それは克也にも伝わる。心の中でほくそ笑んでいる克也は、それをおくびにも出さずむしろ躊躇する振りさえ見せる。


「実は、言いにくいんだけど、お願いがあって……俺がここまで来たのはヒナタちゃんを送るためだけじゃなくてさ……」


 そう前置き、克也はさっき考えたストーリーを話し始める。

 自分にはたった一人の家族の母がいる。今日は珍しくこの時間に家にいなかった事から職場にいると思われる。職場はこの近くのある宿泊施設ということ。たった二人の家族なので、いてもたってもいられず便乗してここまできたが感染者のうろつく中、一人で様子を見に行くのは難しいと思う。もし、できたらでいいから職場まで一緒に行ってくれないだろうか?職場はここから十分ほどのところだから、それほど時間は取らせないと思う。ヒナタちゃんならこの気持ちがわかると思ってお願いしてみた。母が職場にいてもいなかったとしてもそこまでの同行でいい。嫌ならかまわない、気が乗らないなら断ってくれていい。もしできるならでいい、手伝ってもらえないだろうか……と。


 これらの事を辛そうな、それでいて申し訳なさそうな顔をつけて情感たっぷりに話してみせた。

 半分は本当だ。克也の家族はババア一人だし、この近くに勤めてもいる。今日もいるとは限らないが。一人でそこまで行くのも無理だろうし、兄を探してここまできたヒナタの事も絡めてみせた。


 案の定、刺さったようでヒナタの心が動いているのがわかる。それに嫌なら断っていいと言われても、そう簡単には断れないものだ。


「それは心配だね、わかるよ。私もそうだったから……わかった、様子を見に行くだけなら手伝うよ」


……釣れた!

 克也は笑いがこぼれるのを我慢するのが大変だった。




 それから二人は身を潜めながら、克也の母が勤めるという建物の近くまで戻ってきていた。以前よりもさらに増えているのか、たくさんの感染者が徘徊していたが幸い接触は避けられている。


「ああ、あの建物だよ」


 そう言うと克也は一つの建物を指差した。50mほど先に見える建物はこぢんまりとしていて、飾り気のない年季の入った見た目をしている。

 外から見える窓は全て塞がれていて中の様子がわかる事はない。


「…………なんか、お化けかなんか出そうだね」


 ヒナタがポツリと言った。確かにそうかもしれないが、すでにそこらにお化けに類する者が沢山いるではないか。今更何をと思ったが言葉には出さない。

 とにもかくにも次のフェイズへ移行しよう。


 母を探したい。といい出した頃から克也は恐ろしい程冷静になっていた。今も目的の建物を意識にいれつつ、しっかりと周りの状況も確認している。それどころか後に着いてきているヒナタの事さえ把握しているように感じる。

 感染者の一挙一動に右往左往していた先程までとは雰囲気がまるで違う。


 その事にヒナタは違和感と不安を感じる。今の克也はまるで感情を排した機械のようにも感じてしまう。


「お母さん、無事だといいね」


 その不安を振り払うように克也に話しかけた。

 

「ん?あ、ああ。そうだね、でもこんな状況だからね。何があっても驚かないよ。それよりもヒナタちゃんは問題ない?ごめんね、俺のわがままに付き合わせて」


 それに対しての答えはやはり、あまり感情を感じさせないものだった。


「あそこが入り口だ。建物の中は造りが複雑になっていて、部屋数も結構ある。手分けして探索をお願いしていいかな?」


「……でも、大丈夫?建物の中はきっと狭いから戦いにくいと思う。あの人達に突きはあまり効かないから、長さのある模造刀は不利かも、二人で行ったほうが……」


 とヒナタが戦いになった時の注意点をあげる。その顔は本当に心配そうにしている。

 

 (本当にいい子だな。ほとんど他人といっていい俺に付き合いここまでするんだ、それにとても強いから危険な世界になった今、最高のボディガードといえるしな。何よりかわいい。こんな子をそのまま手放すなんてもったいない。うまくやって俺だけを見るようにしてやる。君は俺にこそふさわしい)

 そんな事を考えているとは想像もできないほど、普通の顔をしてヒナタの心配に答えた。


「うん、確かに振り回せないと勢いもつけられないから俺じゃ無理だね。もちろん無理はしない、奴らを見かけたら隠れてやり過ごすか逃げるかするよ。それか……ヒナタちゃんに助けてってお願いするかもね」


 建物の影に隠れながら克也はそう言うが、ますますおかしい。常に見え隠れしていた高慢さがすっかり鳴りを潜めている。おかしいが……無理な事はしないと冷静に対応できそうな今の方がいいのか?と、ヒナタが迷っているうちにも、克也は進んでいく。

 そのまま建物の中へと入っていくと思っていると、入り口と言っていた所の前で立ち止まった。


「シャッターが開いている。」


 そう言う克也の視線の先には、いつもはきっと全部閉じてあるのだろう、シャッターが半分ほど開いている。


「……シャッターは関係者しか開け方がわからないようになっていると聞いていたけど……開いてるって事は中に誰かいるのか……」

 

 と克也が呟いている。でもそれは克也の母、もしくは関係者がここにいる事の可能性があがったとういう事ではないだろうか?なぜためらうのかがわからない。


 そう思っていると克也は振り返って、言った。


「ヒナタちゃん、もしもこの中で誰かを見かけても話しかけたりせずに、俺に教えてほしいんだ。」


「え?」


 そうする意味がわからず、思わず聞き返すと、克也はこころなしか焦ったような顔をしている。


「ええと……母か関係者の可能性が高いんだろうけど、もしそうじゃないやばい奴だったとしても、ヒナタちゃんは分からいだろ?顔を知ってる俺じゃないと」


 「そうか、そうだね。中に人がいるからって、絶対そこの人とは限らないもんね」


  大規模な災害があった時でも、泥棒や略奪に走る人がいると聞いたことがある。中にいる人が、もし盗みに入った人だとすれば鉢合わせしてしまったらどんな行動に出るかもわからない。極端に言えば目撃者を殺してしまおうと考える人もいるかもれない。

 納得した様子を見せたヒナタに克也は、頼むよ、ちゃんと知らせてくれよ。と、何度か念を押して建物の中へと入っていくのだった。

 

「じゃあヒナタちゃんは一階の奥から順に見て言ってくれる?俺は上から見て来るよ。」


 克也はそう言うと、返事も聞かずに階段を上がるのだった。



この建物の一階は倉庫や従業員のロッカー室、客用の駐車場しかないことを克也は知っていた。もし誰かここにいるならきっと三階の客室フロアにいるだろう。色々と考えを巡らせながら、少しだけ二階に寄って、三階まで駆け上がった。

 わざと足音を響かせながらあがっていくと、ベッドで廊下が塞いであった。もともと従業員が清掃などで使うだけの通路なので広くはない。


「バリケードのつもりかよ」


 わざと聞こえるようにそう言ってみる。すると廊下の先から人の気配がして、やはり思っていた人物が顔を見せた。


「克也……」


 ここで会うとは思ってもみなかったのだろう。その表情からは無事を喜ぶ感情は全く見えない。


「おいばばあ、息子がわざわざ来てやったんだ。何嫌そうな顔してんだよ」


 ますます渋い顔になる克也の母、幸子。隣にあと二人ほど同僚か友人か知らないが、同年代の女性が立っている。

気の強そうな体格のいいのと髪の色がやたらと派手なやつだ。

 あの子が例の?とか小さい声で話しているのが聞こえたから、きっと職場で克也の愚痴をこぼしていたに違いない。


 克也の母が働く三階建てのこの建物は、簡易的な宿泊施設で車ごと入って部屋を利用できる造りになっているので、モーテルともいえるかもしれない。

 もっともかなり古い建物であり、表通りから離れた立地のためラブホテル代わりに使う者や、違法な物の取引現場に使われたり公な関係にできない者が使う場所となっていた。


 もともと克也はここにヒナタを連れ込んで、あわよくば監禁しようと考えていた。一階の駐車場から直接部屋に出入りできるようになっていて、部屋が独立した造りになっているのは誰かを閉じ込めるのに都合がよいと考えたのだ。


 しかし誰かいるかもしれないと考えて、もう少し手っ取り早い方法を思いついた。うまくやればヒナタを洗脳できるかもしれない。そのためにヒナタに先に接触しないよう言ったのだ。別行動もそれが理由である。


「あんたどうしたんだい?そんな顔してる時はろくな事考えてない時だ。何をするつもりだい?」


 克也が考えにひたり、ひそかにほくそ笑んでいると幸子が警戒してそう声をあげた。


 「へぇ、さすが一応親だってことか。子供の考えていることはわかるってか?」


 皮肉っぽく言う克也に幸子は顔をしかめる。

その時幸子の隣に立っていた体格のいいほうが幸子をかばうように前に出て言った。幸子が田中さんと言っているのが聞こえたからこの女は田中と言うようだ。

 

「ちょっとあんた、大倉さんからだいたい話は聞いてるよ。ここは今以上の人数は無理だから、よそに行きな。……大倉さんもいいね?」


 田中と言う女は克也に向かって少し前に出てそう言い放った。その後幸子聞いてに確認しているが、何も言わないところを見ると幸子も同じ意見なのだろう。

 その後派手な髪色の女が克也を何度か見ながらこっちに聞こえない大きさの声で二人と話している。その表情に嫌悪感がありありと浮かんでいるので聞こえなくても大体内容の想像はつくが……田中と言う女が前島さんと呼んでいた。

 

 もとより克也も今更助け合えるような関係とは思っていない。今も利用できる道具としか見ていない。


「大丈夫、用事が済んだら出ていくさ、最後に渡したいものがあってね。」


 そう言うと克也は手に持った大きなビニール袋を少し上げて見せた。いい関係ではない事は聞いているだろうが、まがりなりにも肉親が、最後に。といえばさすがに拒みにくいだろう。


 克也の想像通り、警戒はしているようだが止める声はでない。田中という女も幸子をかばうように前に出ただけだ。

克也が持つビニール袋も自分が受け取るつもりなのだろう。前島はずっと幸子の後ろでこちらをにらんでいる。


 別に誰でも構わないさ、あとはタイミングだな。時折どうでもいいような行動を挟み時間を調整する。かすかに階下から聞こえる足音に集中しながら……


「それは何だい?」


 警戒心をあらわにして幸子が聞いてくる。他の者は家族の最後の別れと思い、少し油断しているが克也の事をよく知る母だけは克也が何かをもってきたのがおかしいと思っているようだ。

 それに答えず、にやりと克也が笑う。嫌悪感しか与えないような笑みにそこにいる全員が警戒するが、少し遅かった。

 さすがに幸子も息子がそこまでの事をするとは思っていなかったのだろう。驚き、開いた口はふさがらずおののいている。

 

 克也が持っているビニール袋は下の階にあったふつうの物で、中身もそこらに散らばっていたものを適当に詰めただけにすぎない。その中に持っていた脇差の模造刀を隠し持っている以外は……


「あ、あんた……それ、何をやって」


 幸子が混乱して言葉にならないまま口にしている。その目の前には田中の腹を貫通して、模造刀が先端を見せていた。


「ハハ、模造刀でも先はとがってたからな。よく刺さるわ、ゾンビよか簡単だな」


 もうこらえられないといった様子で悪辣な顔をした克也は、田中という奴の腹に深く差した模造刀の柄をぐりぐりと押し込みながら笑っている。

 克也がそれを動かすたびに、ごふりと田中の口から血が溢れ出してくる。そして模造刀を抜くと幸子に向かって、その女性を無造作に足で押した。

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