1-3


 「ふう。ただいま」

 

 自宅の玄関を開け、誰に言うでもなくヒナタは帰りを告げる。誰もいない事は分かっているので返事を期待したわけではない。両親が共働きの剣崎家ではこの時間に誰かいる事はほとんどない。カナタが早く帰っている事もあるが、今日にいたってはそれもない事がわかっている。シン。とした家に、なんだか誰もヒナタの帰りを待ち望んでいないのではないか。ふとそんな風に考えてしまい頭を振ってその考えを追い出す。ヒナタは後ろ手に玄関のカギを閉めそのまま自室がある二階に上がって行った。二階には部屋が二つあり、奥が自分の部屋で手前は兄カナタの部屋である。


 「はぁ・・・」


  自分の部屋に入りドアを閉めると、再度ため息がもれる。少し前からカナタがなんとなくよそよそしい感じがして妙に気になっているのだ。四つも年が違うんだし思春期の男女の兄妹なんてそんなものだと友達なんかは言うが、なんとなく違う気がする。なので、今日は久しぶりにカナタと共に帰りながら話そうかとわざわざ高校のほうまで足を延ばしたのだが、今日に限って友人と遊びに行くだなんてなんとも間が悪いものだ。

 まあ、約束も連絡もしていないので仕方ない。今度ゆっくり話してみよう。なんなら明日から冬休みだ。どこかに連れて行けと甘えるくらいは許されるはずだ。兄妹なのだから。


 ヒナタは制服を脱ぐとシワにならないようにクローゼットにかけた。ふと扉についている姿見が目に入り、そこには下着姿のまま眉間にしわを寄せている姿があった。

 ずっと続けている稽古のおかげか均整の取れた体だ。若干起伏に乏しいのはこれからの成長に期待するところである。まだ中学生だし。無理やり意識をそらし鏡に向かって笑顔を作り、両手を握って気合を入れると道着の入ったバッグを持って、ラフな服装に着替えて部屋を出る。

 部屋に一人でいるとまた色々考え込んでしまうかもしれない。こんな時は道場で汗を流すに限る。考えをふりきるようにヒナタは家を出て、歩いても十分の場所にある仁科道場へと向かった。


 格式がありそうな門をぬけ、母屋を右手に見ながら道場の方に向かう。ここの道場主である仁科晴信はカナタと同級生でヒナタとも幼馴染のハルカの祖父であり、今はヒナタの剣術の師匠である。もともとは刀剣好きで剣士に憧れたカナタがしょっちゅう遊びに行って入りびたり、同じく興味のあったハルカが一緒になってやりだし、いつもカナタについて回っていたヒナタと三人で真似事をやっていたのだが、次第に本気になっていった。カナタは途中で飽きてやらなくなったが、孫であるハルカも本格的にやりだしていたし、ヒナタも中学に入ると同時に正式入門して門弟となった。

 才能があったのか、師匠の教えの賜物か。いまでは公式戦で道場の代表として県大会の常連となりつつあった。


「あれ?」


 更衣室に向かう廊下を歩いていると、やけに静かなのに気づいた。いつもは誰かしら稽古をしているのに。と疑問に思いつつも更衣室の扉を開けようとした時、後ろに気配を感じた。そしてそれはヒナタが振り返るよりも先に動いていた。


「い~らっしゃい!ヒナタちゃん!」


 そういってヒナタの後ろから抱き着いてきたのは、カナタの同級生でヒナタとも幼馴染である、仁科遥華だ。妹のようにかわいがってくれるのはうれしいのだが、気配を消して近づくのはやめていただきたい。


「こんにちはハルカ。きょうは道場、静かだね?」


 抱き着かれたままヒナタは挨拶と先ほど感じたことを聞く。


「ん~、そういえばそうだね。あたしもさっき帰ってきたばかりだから」


 抱き着いたまま一緒に更衣室へ入りながらハルカは答えた。道場が休みとかいうわけではなさそうだ。そしてハルカはカナタたちと一緒に遊びには行かなかったらしい。その事になんとなくうれしくなってしまう。ちなみにハルカはカナタの同級生であり当然ヒナタの4つ年上になるわけだが、幼なじみでしょっちゅう一緒にいるカナタが呼び捨てで呼ぶのを、幼いころのヒナタもマネして呼んでいたのがそのまま定着してしまった。中学に入ったばかりの頃さすがにどうかと思い、「ハルカちゃん」と呼んだら微妙な顔をされ、「ハルカさん」と呼んだら悲しい顔をされてしまった。「ハルカ姉ちゃん」ではずいぶん迷っていたが、最終的には「ハルカ」でいいよ。といわれ結局そのまま呼んでいる。

 

 そのままロッカーのところまできた時ハルカのポケットから微かな振動と短いメロディが聞こえてきた。そこでようやく回されていた腕が外される。振り返るとハルカがポケットからスマートフォンを取り出していた。


「……?」


 スマホの画面を見たハルカは怪訝な顔になり、すぐにどこかに電話をかけ始めた。ヒナタの耳にも微かに呼び出し音が聞こえてくる。

 そのまま十数秒まったが、相手は電話をとることはなく「もう……」と小さく呟くとハルカは発信を止めた。


「誰から?」


「父さん。なんかいきなり訳の分かんない事言うから直接聞いてみようと思ったんだけど……」


 そう言うとハルカはスマホを操作して画面をヒナタに見せる。画面には一般的によく使われているメッセージアプリが呼び出されていてタブに「とうさん」と表示されている。


『急いでおじいちゃんの道場か、おじいちゃんが不在なら非常持ち出し袋を持って公民館に行きなさい。また後で連絡する』


 とあり、急いで打ったのだろう、意味不明な改行や誤字もあったがそう書かれている。


「どういうこと?」


 何があったとか何のためにとかが何も書いて無く、確かによく意味が分からないがなんだか不穏な文章に不安をおぼえてハルカに聞くが、ハルカも分からないから電話で聞こうとしたのだろう。だまって首を振る。

 たぶん何か危険な事があるから避難しなさい。とういう事なのだろうが、何に対して避難するのか分からないと動きづらい。なにより日本人というのは普段から災害や犯罪などがあまり身近でないためか、はっきり危険を実感しないとなかなか慌てないものだ。


「なんか近くで凶悪犯罪でもおきたかのな?」


 軽い感じでハルカは言う。ハルカの両親はどちらも警察に勤めていて、特にお父さんの孝蔵さんはバリバリの刑事だ。犯罪と結び付けて考えてしまうのだろう……でもハルカにおびえる様子はまったくないし、たぶん犯人が来たら逆にやっつけてやろうとでも考えていそうだ、怖いのでやめてほしい。


 とりあえず二人とも着替えはしないでネットニュースなどを検索しながら道場のほうに行くと、ちょうど師匠の晴信さんもやってきたところだった。昼寝でもしていたのか、髪の毛が凄いことになっている。


「おお、ハルカにヒナタ。なんか孝蔵のやつが慌てて電話してきてなぁ。言うだけ言って電話を切るもんだから何が何だかかよくわからんのだが、子供たちを守れというからな。何かあったのかの?」


 孝蔵というのは先ほど連絡のあったハルカの父だ。晴信にも連絡があったのだろうが不幸にも寝起きであったと思われる晴信に事情が伝わらなかったようで、しきりに首をかしげている。

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