5-2

5-2

「うわっ!」


「ちょ、まっ!」


 スバルを巻き込んで足を滑らせたダイゴは、斜面を跳ねながら滑っていく。スバルはそれを止めようと反射的に手を伸ばしたのだが、止めきれるはずもなく引きずられてすべっていった。


「おおい、だいじょうぶか?」


 やや急ぎめに坂を下りながらカナタが声をかけると声が帰ってきた。


「なんとか……あちこち擦りむいたけど」


「このっ、バカダンゴ!気をつけろっつったろうが!」


「ごめんよ、スバル君。下が見えたら油断しちゃって」


 元気に会話しているから大丈夫だろう。ダイゴの言うように、もう大分降りていてあと少しの所だったのだ。


「ほら、ゆず」


 それでもダイゴ達の所へ急ごうと、ゆずに手を伸ばす。


「……?」


 きょとんとゆずはそれをみていたが、カナタがゆずの手を掴んで降り始める。手を引っ張って支えてやりながら。


 少し降りると、まだスバルとダイゴが絡まるように倒れていた。別にけがをしている様子はない。


「何やってんだお前ら。」


「ついでに休憩してた。ダイゴ枕けっこういい感じなんだよな。お前罰としてしばらく枕な」


そう言ってスバルは立ち上がろうとする。


「ええ!スバル君よだれを……「シッ!」


 ダイゴの言葉をスバルが止める。その様子に、全員が身を沈める。人の手の入っていない山なので下生えの雑草や灌木は身を隠す程度の高さはあるのだ。


 がさっ……がさっ……と音が聞こえる。しばらくその態勢のまま息をひそめていると、茂みの向こうにぼろぼろの服を着た男が姿を現した。頼りない足取りながら枝に服が引っかかり裂かれようとも意に介さず歩いて行く。肩口に大きな傷があり、乾いた血がその付近を赤黒く染めている。


「感染者だ…………」

 

 さらにその後ろから十体前後の感染者が姿を現した。みな同じような有様で、同じ方向に向かってゆっくりと歩いている。


「まずいな……」


 カナタは呟く。今の状況は非常にまずい。今のところ身を隠せているが近くを通る感染者がいるかもしれない。かといって動けば草の音で一発でばれる。ばれてしまえば相手は多数だ。


 こっちの近くを通らない事を祈るしかないのだ。


「だめだ、来る」


 声を潜めて、それでも鋭くスバルが言った。スバルの視線は横の茂みの奥を見ている。音を立てないようにそっちを見ると、茂みの奥の方で感染者の姿が見え隠れしている。その進行方向だとカナタ達が隠れる所の近くを通る事になる。


「どうしよう……」


 そう呟くダイゴは寝転んで、起きようとした中途半端な態勢のままプルプルしている。こっちもそう長くは持ちそうにない。


 危険を承知で、音を出すのを気にせずダッシュで逃げるか、カナタとスバルが足止めして足の遅いダイゴとゆずを先に逃がすか……その場合ゆずがどういう反応を見せるか分からないのが不安要素ではある……。


「ここにいてもどうせ見つかる。一気に逃げよう」


 カナタそう言うと、ダイゴもスバルも頷いて返す。ゆずは黙ってカナタを見つめている。つないだ手に力がこもった気がした。そういえば手を引いたままだったな。と心のなかで苦笑しながら、ダイゴがそっと体制を整えるのを見つめる。


「いくぞ!」


 そう言おうとした瞬間。感染者達のさらに向こうで激しい音がした。何か大きい物が茂みを転がり落ちるような音だ。

 感染者達は一瞬立ち止まり、音の方を見るとゆっくりそちらへ進路を変える。


「今です!。こちらへ」


 そこに知らない声聞こえる。声の主を探すと、カナタ達と同じように下生えに体を隠して女性が手招いている。


「音が停まればまたこちらに向かってきます。はやく移動を!」


 その女性が何者であるか、危険はないのか、言ってることが本当なのか。何も分からないが今の状況よりはましである。

 カナタ達はなるべく音を立てないように女性の後を追いかけた。



「ここまでくればとりあえずは大丈夫でしょう。かの者達はあの山を越えようとしますので」


 そう言って周りに比べ一段低い山を指さす。


「あ、ありがとうございます。あなたはどうしてこんなところに?」


 カナタはとりあえず感謝を述べて、女性の事を尋ねた。それはあまりに普通の雰囲気だったからだ。武装はおろか着ている服も普段着っぽいし、荷物も持っていない。

そう訊ねるカナタに薄く笑った女性は優雅に話しだした。


「どういたしまして。私は翠蓮スイレンと申します。あら……うちにおいでになったのではなかったのですか?お迎えに上がったのですが。」


微笑んだまま翠蓮と名乗った女性はそんなことを言うではないか。という事は目の前の女性は目指している鍛冶師の小屋から来たという事だろう。

 

「あなた方が山に入ったのは把握しておりました。むしろなかなかお見えにならないので、やきもきしておりましたら先生が迎えに行くよう言われましたので……」


と、なんでもない事のように言う。


「迎えって……そんな簡単に。しかも把握してたって……」


 呆気にとられ、スバルが呟く。それが聞こえたのか、スバルの方に近寄って、翠蓮は言った。


「あら、こんなご時世ですもの。危機管理は重要ですわ。私、先生の身の回り全般を任されておりますので、先生が懸念無く作業に集中していただける環境を守るのもお仕事ですわ。それに私こう見えて結構強いんですよ?」


 そう言い、口に手を当てて軽く笑った。


 掴めない女性だ。危機管理と言っても、こんな広い山のどこから来るかもわからない奴を把握するなんてことが簡単にできる訳がない。結構強いと言うが、体は細く鍛えているようにも見えない。


 慎重に見ていると、手を繋いだままだったゆずが、カナタの手を引いた。


「ん?どうしたゆず」


 かがんでゆずに聞くとゆずは翠蓮を見たままカナタに言った。


「その女の人、武器、持ってる」 


 カナタ達に緊張が走る中、別段慌てるようなこともなく静かに翠蓮がゆずを見る。穏やかに微笑んでいるのだが、妙な圧力を感じる。


「あらあら……余計な警戒をしていただかないようにあえて見せないようにしていたのですが……まさかお子様にばれるとは少々驚きましたぁ」


 そう言い、クスクスと笑う。


 それに対し、若干むっとしたゆずがカナタに半分隠れながら言い返しす。


「む……私はもう十五。お子様ではない。」


「え?」


 それにカナタ達も驚いた。背格好や人との応対に慣れてなさそうな感じからもう少し下だと思っていたのだ。実際今も、道が悪いとはいえカナタがずっと手を引いてここまできている。他人から見れば絶対小学生の妹の世話をするお兄ちゃんの図だろう。


 翠蓮は相変わらずくすくすと笑っていたが、スッと立ち上がり洋服の乱れをなおすと、恭しくカナタ達に頭を下げた。


「では、改めまして。私、こちらにお世話になってます鍛冶師の龍 安明ロン アンミンの身の回りを仰せつかっております翠蓮と申します。先生をおたずねになりお客様がおいでになると事でお迎えにあがりました。こちらへどうぞ」


 整った所作で翠蓮は言うと、案内するように歩き出した。いったん考えたが、カナタも後に続き、そえぞれ歩き出すのであった。


 

「なんか勢いに飲まれてっけど……どう思う」


 歩きながら顔を寄せてきたスバルが言う。


「まあ……目的の場所に案内するっていうなら行くしかないんじゃないか?」


 半ばあきらめの境地だ。それにしても。


「ゆずはよくあの人が武器を持ってるってわかったな。どこで気づいたんだ」


 カナタが手を引くゆずに聞くと、ゆずはあいかわらず歩きにくい道を下を見ながら歩いていたが顔を上げて少しだけ得意げな顔になって言った。


「うん……わかった。なんとなく?」


 どうもはっきりとした回答は得られないようだ。



 やがて沢の音がだんだん大きくなり、川が近い事を思わせる。慣れているのか、翠蓮は悪路をものともせず歩いて行くが、時折後ろを振り返りこちらに合わせる余裕すら見せている。

 こちらは身の軽いスバルはいいとして、ダイゴは少し前から喋る余裕もなくなっているし、カナタもゆずを気遣いながら歩いているので、余裕はない。

 しかも完全防備のカナタ達と違い、翠蓮の格好はいたって普通だ。いかにもお手伝いさんがしそうなシックなセーターに足首ほどまであるロングスカートという格好だ。なぜこの悪路をスイスイ歩けるのかわからない。


 そう思いながら立ち止まってこちらを待つ翠蓮を見ると、翠蓮はまた口にを当てクスクスと笑うとカナタ達を気遣うように言った。


「あと少しで着きますので、もう少々我慢なさってくださいね。何しろ先生が求める物が大体このような場所にありますので。あと差し出がましいようですが、皆さまは自然の流れに逆らって歩かれてますから、歩きにくいし疲れるのでございます。もう少し自然の流れに沿って動けばそれほど大変な道のりではありません」


 そう言いにこりと笑うとまた歩き出した。自然に沿うと言われても意味が全く理解できないのだが、翠蓮の動きを見ると確かに滑るように動いている。やれと言われてもできそうにないが……


 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る