3-2

 …………克也は空腹を感じて目を覚ました。


「はあ!?もう三時じゃねーか!何やってんだよ」


 いら立ち紛れにドアを叩きつけるように開けて、一階へ降りていく。居間か台所には母親がいるはずだ。


「おいばばあ!飯はどうしたよ。俺に餓死しろっていうのかよ!」


 一食程度で大げさにも程があるが、これが大倉家の日常であった。克也は学校でいじめられているわけではないのだが、おそらくは本人の性格から友達もおらず、どちらかといえば敬遠されていた。そんな学校が面白いわけもなく度々さぼるのでまともに授業を受けていない。特別頭が良い訳でもなく、テストなど苦行以外の何物でもない。なにしろ受ける時と答案が返されるときの二回もみじめな自分を突き付けられるのだ。したがってここ数日のテスト期間中は学校をさぼっていた。


 声を荒げながら克也は台所と居間を見たがそこには誰もいなかった。もちろん食事の用意などされていない。


「あのばばあ……いいさ、そっちがその気なら俺にも考えがあるさ」


 克也は悪い笑みを浮かべて、居間にある箪笥の引き出しの一つを引っ張り外した。そしてその奥に手を入れて探ると封筒を握っている。

 その封筒をさかさまに降ると、預金通帳、カードと印鑑が入っていた。


「あめえんだよ。俺の目をごまかされると思ってんのか」


 ほくそ笑んだ克也は後ろを向き、欄間の隙間にある隠しカメラを見た。これと同じものがこの家の主な部屋全てに仕掛けてある。学校をさぼれば平日の昼間、両親は仕事でいなくなる。仕掛ける時間はたっぷりとあるのだ。

 そもそも隠さないといけない原因は克也が勝手に持ち出し使った事が一度や二度ではないためなのだが。母親はこれまで何度も隠し場所を変えていたのだが、克也はなんと自宅を盗撮して隠し場所を掴んでいたのだ。


 気分が良くなった克也はお気に入りの服に着替え、飯でも食いに行くかと玄関を開けた。ちょうどその時、通りの向こうに感染者の姿がありそれに気づいた克也は危うく声を上げそうになったが、何とかこらえて扉を閉めると念入りに施錠した。


 足音を忍ばせ自分の部屋まで戻ると、我慢していた息を吐く。


「おいおいおい!なんだよ、どこか遠くの話だと思ってたら、近くにいるんじゃねーか!」


 克也は喜びの悲鳴を我慢していたのだ。俺の時代が来た、そう信じて疑わない克也は映画や漫画などで見聞きしたゾンビの対処法を思い出す。まずは……ちっとダサいが。そう考えながら今着ていたお気に入りの、本人はおしゃれだと思っているジャケットを脱いで、厚手のデニムジャケットに着替えた。もちろんズボンも同じものだ。そして腰にネット通販で買った小ぶりのサバイバルナイフを差す。あとは……ペッパースプレーが効く場合もあったな。まぁそんなもんないか、とりあえず殺虫スプレーを肩掛けのカバンに入れる。もちろんライターも忘れない、噴射しながらライターで火をつければ簡易火炎放射だ。笑っているのだろう、克也の口元はゆがみっぱなしだった。


「奴らは音に敏感だから物音を立てるのは厳禁だ」


 珍しく正しい事を言っているのだが、誰も聞く者などいない。思い浮かんだゾンビの設定をそれらしく呟いているだけだ。


「くっそ。銃があればな……勝ち確なんだが」


 呟きながら銀行をめざして歩き出す。先ほど自分で物音は厳禁だと言ったのをもう忘れているようだ。それに、素人が奇跡的に弾丸一発で感染者を一人倒せたとしても、響き渡る銃声で何倍もの感染者を呼ぶだろう。弾などすぐに尽きる。


 そのまま役に立つかどうかすらわからない蘊蓄を垂れ流しながら歩いている。


 「いやあっ!誰か、だれかぁっ!」


 大きめの通りを避け、建物の間を縫うように進んでいた克也の耳に若い女性の悲鳴が聞こえる。これまでも悲鳴や叫び声などは時折していたが、何もする気はなかった。が、今のは近く進行方向の先みたいだ。


「もう出番か……これだから主人公ってやつは」


 ため息交じりに訳の分からないことを言いながら悲鳴が聞こえた方向へ行くと、感染者に追い詰められた女性の姿があった。まずはこっそりと様子を見るつもりだったが、女性も必死である。克也の姿を認め、助けを求めた。


「助けっ、助けてください!」


 必死の女性の懇願にも克也は動かない。


「いまいち好みじゃなかったな、そういうのは映画だとヒロインの役目だろーがよ」


「何して、ちょ!お願い助けて!」


 明らかにこっちを見ているのになぜか動かない克也の姿に、涙で顔をぐちゃぐちゃにして助けを求める声にも必死さが増す。


「ちっ!みっともない姿しやがって。醜いんだよ」


 そう独り言ちて、いっそもう見捨てて立ち去ってしまおうかと思ったが、実戦の訓練にはなるかと思い足音を忍ばせて感染者の後ろからゆっくり近寄る。


「早く、お願い、早く!」


 座ったまま後ずさりしていた女性の背中はとうとう壁につき、感染者の手は今にもその体に届きそうだ。


「いやぁあっ!」


「うるせーんだよ!」


 克也は叫びかえして感染者の頭めがけてナイフを突き立てた。

 どのゾンビ系の話でも大体頭が弱点だ。主人公たちは果物ナイフや、下手したらガラス片などでもサクッと頭を突き刺して倒している。

 所詮克也の知識はその程度である。頭には頭蓋骨という固くて丸くなっている骨がある現実を把握していない。


 しかしこの時は運がよかった。力も技術もない克也のナイフは頭蓋骨に阻まれ、すべって下に流れた勢いを止める事もできず、そのまま首の後ろまでを大きく傷つけた。しかも克也は刺す瞬間目を閉じていたので自分のナイフがどんな軌道をとったのかも理解していなかった。

 どこがよかったのかもわからないが、克也の一撃を受けて、感染者は膝からがっくりと崩れ落ち、そのまま倒れてしまった。


「はぁ、はぁ……」


 顔中を汗と涙で濡らし感染者を見つめる女性は魂が抜けたようになっている。汚れているが見たことがある制服を着ている。どうやらその女性は克也が向かっていた銀行の行員らしい。克也はそんな呆然としている女性にずかずかと近づき、その腕を強引に掴んだ。


「ひっ!」


「おい、銀行は開いているのか」

 

 怯える女性に何一つ気にすることなく自分の聞きたいことだけを聞く。女性は何を言われているのか分からないといった顔をしていたが、繰り返し聞くとようやく消え入りそうな声で答えた。


「あ、あの……近隣で、トラブルがあった場合、その……防犯のため閉めるように、なってて……」


 要約すると、どうも銀行は閉まっているようだ。ATMだけでも開いていないのかと聞こうとおもったが、面倒になってやめた。


「ちっ!」


 思わず舌打ちすると、女性は可哀そうなほどに肩を跳ねさせて怯えている。今にも感染者に捕まる寸前だったのだ、無理もない事なのだが、克也にそこを思いやるといった心は無かった。


 むしろ怯えてこの場から消え去りたいといわんばかりに縮こまる女性に嗜虐心が湧いて来る。

 自分は命の恩人なのだ、当然である。とでも思っているのか、克也は縮こまっている女性を足で地面に転がす。


「っ!何を……」するのかと口にする前に、克也は女性の体をまさぐり始めた。


「ちょっと、いや!何する気……やめて!」


 再び絶叫が響く。その声に感染者が来たらどうするのか。思わず克也は周りを見回したが、克也にとっては幸い、女性にとっては最悪な事に付近に動くものはなかった。


 周りを見るため、克也が体を離した隙に女性は逃げようとするが、腰が抜けているのかどこかケガをしているのか力が入らず、それでも這いずるようにして何とかその場を離れようとする。


「おい、どこ行くんだよ。命の恩人様にお礼もせずに……ひどい女だな」


 言いながら女性を掴もうとした克也の手がピタリと止まった。


「お前…………噛まれてるのかよ。」


 ひどく冷めた表情と声で克也が呟く声に、思わず女性はその視線を追ってしまった。視線の先、自分の左のふくらはぎの部分にはえぐれたような大きな傷がある。さっきちょうど克也が来たときだろう。地面に座り込んだまま後ろに下がっていた時に、噛まれたのかもしれない。

 恐怖で動転したので、気づかなかったのか、激しく出血している自分の脚を見て、慌てて助けを求める。


「そんな……助けて、助けてください!病院に、いや救急車を!」


 冷めた顔で自分を見る克也に女性は懇願する。他には誰もいないのだ。例え自分を襲おうとした相手でもすがるしかない。


 「はっ……噛まれてしまったなら、もうだめだ。感染を止める方法はねえよ」


 訳知り顔で適当に言うが、言われた方はたまらない。今にも倒れそうな顔になって助けを求めようと口を開くが、あまりの事に言葉が出なかった。


 さすがの克也もこのうえに襲う気にはならなかったらしく、黙って立ち上がった。


「あ……あ、その……」


 そして絶望に染まり、蒼白となっている女性を一顧だにせずその場を去るのだった。

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