1-6

 後ろからけたたましくサイレンを鳴らし、タイヤとブレーキをきしませながらパトカーがカナタ達の横を三台ほど通っていき、車体を横にして停車した。

 両側のドアが勢いよく開いて、警官が飛び出すとトランクから透明の盾を出して構えた。


「警察だ!そこで止まれ!」

 

 パトカーから降りた警官が大声で警告をするが、血だらけの男はフラフラと歩き寄り躊躇なく警官にも襲い掛かった。


「うわっ!まじかよ」


 となりでスバルが叫んだ。警官の持つ盾が透明なだけに様子がはっきりと見えてしまう。血だらけの男は盾などおかまいなしに警官に両手を伸ばし、大きく口を開けて噛みつこうとしている。見境なく攻撃しているようで、盾を噛んで自分の歯が何本か折れてしまっているのに、まったく構う様子はない。

 それどころか、止めようと周りの警官が警棒などを使って押しとどめようとしているのに、動きを止めることさえできないでいる。


 「離れなさい!この……離れろ!」

「だめだこいつ正気じゃない。引きはがせ!」


 警官たちは一人の男に複数で抑えにかかっているが、少しずつ盾を持つ警官のほうが押され始めている。十メートルほど先で起きている光景にカナタ達は我を忘れて一歩も動く事が出来なくなっていた。

  

 そうしている間にも警官たちの周りから同じように血まみれの格好をした人が寄ってきている。男性もいれば女性もいる。老人もいればカナタ達と変わらないくらいの年代の者もいる。皆一様に生気がなくどこかしらに大けがを負っている。

 やがてそのうちの一人が、必死に初めの男を抑えようとしていた警官の後ろから近づき、首筋に噛みついた。


「うわっ!あああっ!」


 噛まれた警官は手で傷口を抑えるが、見たことないくらいの量の血液が抑える手の隙間から流れ出るのが見える。


「やめてくれえっ!」


 その隣の警官がまた今度は別の女性から噛まれようとしていた。必死に防ごうとしているがその両手はあちこち嚙みつかれているようで、すでに真っ赤にそまっている。


「うわっ、うわああっ!」


 これまでパトカーの無線で連絡をとりあっていた若い警官はその状況を見て無線を投げ出し、腰から拳銃を抜きとり落としそうになりながらも構えた。


「よせ!まだ発砲の許可は下りていない!撃つな!」


 同じパトカーに乗っていた別の警官が、あわてて降りて叫んでいる。


 「で、でも!ならどうしたら……」


 「いいから落ち着け!サスマタを使え!引き剝がす。いくぞ!」


 パトカーの近くにいた若い警官と助手席側の年配の警官は大声でそんなやり取りをして、変な形をした棒を持って行ってしまった。


「あんなもんでどうやるんだよ……」


 カナタが思わず独り言ちる。相手は普通の状態じゃない。パトカーや警官たちの騒ぎの声を聞きつけてだろうか、近くの建物や物陰から次々と同じように血だらけの人が出てきている。動きは早くはないようだが、中には噛みつかれた傷が大きかったのか首から上が90°近く横に倒れていたり、片腕の先が無かったり中には腸のようなものをお腹から引きずって歩いている者もいる。


「あ……、あれって……」


 震えた声を出すダイゴの視線の先には、さっきまで一緒だった友人らしき姿もあった。カナタ達の姿を認めても走ってくるわけでもなく、友人に会って嬉しそうにするわけでもなく、ただ虚ろな表情とおぼつかない足取りでこちらに向かってきている。二人とも少なくない血を流している。制服のもとの色が分からなくなっているほどに。


パン!


 あまりの景色に我を忘れ呆然としていたカナタ達の近くで乾いた音が響いた。肩をはねさせながら見ると松柴が両手を叩いて鳴らしたようだ。


「あたしとした事がぼうっとしてしまってたよ。ここは危ない、逃げるよ!ダイゴ君おぶってもらって悪いけど、今から言うところに走ってくれるかい?」


 そう言う松柴に、ダイゴは青白い顔で何度もうなづいた。


「二人ともついてきな!途中まではさっきの道を戻るんだよ、急いで!」


 声高にダイゴの背中から指示を出すと、それを受けダイゴが走り出した。カナタもスバルと一瞬顔を見合わせてダイゴの後を追うのだった。

 人間理解の範疇を超える出来事に遭遇すると、どうしていいか判断できなくなるらしい。考えてみると、化け物のようになってしまった人たちが歩いて近寄って来ていたのに、進むことはもちろんの事、逃げることもできなかった。刻一刻と自分の死が近づいてきているのに何の対策もなく、ただ突っ立っていたのだから……

 正直今でも冷静に行動できるかと言われれば怪しい。それだけに冷静に行先を示す松柴の声が、かなたにはひどくありがたく感じた。


 どれだけ走っただろうか、先を走っていたダイゴがようやく足を止めた。それを見てカナタも足をとめ、思わず辺りを見回すがここでは見えるかぎり人の行き来は全くない。さっきの街中ほどではないが、広い敷地を持つ工場やオフィスのような建物が立ち並んでいる。カナタは来たことがなかったが、工業地帯のような一角なのかもしれない。

 

「あの建物に」


 松柴が指した建物は、真新しい二階建ての建物だ。正面に立派なゲートがありその脇には守衛室もある。そこにはちゃんと守衛が詰めていたようで、こちらに気づいた制服姿の年配の男性が周りを警戒しながらゲートを少しだけ開けて出迎えてくれる。


「会長、ご無事で!お供からはぐれたと連絡があった時は肝が冷えましたよ。ともかく中へ……この子らは?」

「出先で少しトラブルがあってね、この子らに助けてもらった上にここまで運んでもらったんだいわば恩人さね。さ、ダイゴ君や中に頼むよ」


 会長という言葉にどきっとして立ち止まっていると、松柴さんは中へと促してくれた。ダイゴも動揺を隠しきれていないが松柴を背負っているため言われれば進まないわけにはいかず、目を白黒させながら建物のほうに歩いていく。

 

特に特徴もない建物は入り口らしき自動ドアが正面に見えるほか、奥のほうに荷物の出し入れのためかトラックが数台搬入口らしきシャッターにお尻を向けて停まっている。


 守衛の案内に従い、入り口らしき自動ドアをくぐると男性と女性が二人立っていて出迎えてくれる。

 スーツ姿の男性はしきりに外を気にしながら近づいてきた。


「連絡を受けて急遽計画を急がせてます。その……本当なんでしょうか?」


 額の汗をハンカチで拭いながら男性は言った。こちらに向かっている途中に松柴は何カ所か電話をしていたが、ここに連絡していたのだろう。横で聞いている限りかなり一方的に言うことを伝えていたようだったので、焦ってはいるものの半信半疑の様子だ。


「間違いないよ。アタシが現場で実際に見てきたからね。おそらくすぐに拡がる。安全な場所を確保する必要があるんだよ。それから食料や日用品もだよ。ありったけかき集めな!少々無理をしてもかまわない、卸しから直接取っていってもいいからとにかく限界まで買いな」


「そこまで……なんですか?断片的だとは思いますが連絡は受けてます。が、いまいち……その、現実味がないというか」


「実際にご対面してしまったら、その時には手遅れだよ!いいね?急ぎな!」


 松柴はそう言い切ると男性は了承の返事を残して走って行った。


「会長、ヒノトリだけではなく他の三社も独自に動いているようです。それと、すでに電話もネットも使えません。これまでに集めてまとめたものを報告してもよろしいでしょうか」


 残っていた20代半ばくらいの女性がファイルを見ながら話しかけて来る。険しい表情で眼鏡の位置を指でなおすと近くのドアをあけたままにしてある部屋へと一行を促した。

 そんなやり取りが行われている横で、カナタ達はといえば全く状況についていけずに口を開けて立ち尽くしていた。

 

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