第30話 ミスズさん、よーしよーし!
アリアの出現により予定が一気に前倒しになり、急遽彼女の故国“ダンコフ”に向かうこととなったが、なにもかも振り切ってしまうわけには行かない。数多ある国のひとつが破滅の危機にあろうとも、それとは無関係に世界は回っているのである。
ミスズは両手を使って腱鞘炎になりそうなほどにぎにぎし、魔法力がすっからかんになるまで石を搾り出した。それでも一晩眠ると、ほぼ満タンまで回復し、しかも前より増えてしまっているのだ。
「ミスズさん、これ、キリがないよな?」
魔法力が増えるのは結構なことだが、いずれ洞窟探索を休んでにぎにぎしても追いつかなくなってしまうだろう。
「…けど、ウチが居らんくなったら、赤い石使うてる人が困るやろ?」
「しかし、困る度合いで言うと、俺を呼んだ国の方が困っているのだ」
ダンコフでは死人が出ているのだから、赤い石不足で湯が沸かせなくなるのとはレベルが違う。
「…うん。それは分かるんやけど…」
ラウヌアの人々を人面獣心の輩と断じ、交流を避けていた後ろめたさから、突然聞かされたダンコフの悲劇よりも、ここでやれることを優先したいミスズの気持ちも分かる。
それは痛いほど分かる。
正直俺も、この街付近で探索しつつ、マンガのような巨大肉や、巨大タコヤキに舌鼓を打つ暮らしをしていたいと思っている。
だが、ミスズの隣に座るアリアの、縋るような視線が許さない。
なお、アリアはミスズの隣で空気椅子に座っている。アリアの姿は俺の脳内にしかない仮のビジョンなので、椅子は必要ないと分かっているが変な感じだ。
「…よし、こうしよう」
膠着した空気を切り裂いて、俺は三本の指を突き出した。
「三日だ。俺は三日間一人で洞窟探索する。その間ミスズさんは全力で赤い石を作ってくれ。それでここでの商売は切り上げる!」
ミスズの表情とアリアの反応を伺いながら言葉を紡ぐ。
「…それでいいか?」
俺はその言葉をふたりに向けて投げ、それ以降をミスズに向けて続けた。
「…ミスズさんさえ良ければ、魔女をやっつけてから、またここに来てもいいし」
はっとした顔で、俯いていたミスズが顔を上げた。
「せ、せやな。あんまり我侭言うてたら、おっちゃんに置いてかれてまうかも知れんしな」
そう言ってミスズは、“にへっ”と笑った。
「置いてなんかいくかよ。言っただろう? ミスズさんあっての俺なんだって」
俺はミスズの、手触りのいい鉢形の頭をそっと撫でた。
翌朝。例によっていつの間にか隣で寝ているミスズを起こさないようにベッドを出て、装備を整えて洞窟に向かう。
その途中で、魔法力が尽きるまでミスズが出しまくった赤い石を出荷するべく、互助会に寄った。
俺の顔を見たとたん、ニイナが挨拶もそこそこに切り出した。
「お早いですね! 今日はおひとりですか? 赤い石ですね? ありがとうございます! 在庫が少なかったんですよ!」
なんと!
このところ毎日のように出荷しているのに、需給逼迫しているとは、ニイナのやつ優秀すぎる。以前なら嬉しい悲鳴ってヤツだったのだが、今となっては勘弁して欲しい。
「そ、そうか。鋭意増産中だから、期待してくれ」
「嬉しいです! 赤い石のおかげで互助会も潤っているんですよ!」
元気なニイナの話を聞いていると、後ろめたさが募る。
なお、互助会を通す前から買ってくれていた店があったが、今は配達の暇がないので、互助会に手数料を払って頼んでいる。
もちろん、販売価格は以前と同じく、一般より割引している。
「明日もお願いしますね!」
背中から浴びせられた声に手を挙げて応え、俺は互助会を辞した。
「…参ったなぁ。…本当に参った」
ラウヌアを出るときに事情を話さなければならないのは気が重い。
いっそバックレてしまおうかと思ったりもしたが、なけなしの社会経験が“ダメだ”と言っている。
「…はぁ」
ため息を吐きつつ、俺は初級洞窟に向かった。
『申し訳ありません。私がもっと早く出て来られていれば…』
風バイクの中でふわふわ浮きながら、水戸泉に塩をブチ撒かれた青菜のようにアリアが項垂れた。確かに、アリアの登場が実際よりも早くて、ラウヌアの人々との関係が深くなる前だったら、俺たちの腰も軽かっただろうが、今となっては中々に面倒だ。
植物だって、根っこが深くなると移植しにくくなるものだ。
ちなみに、俺が今乗っているのは、以前建具屋に注文していた試作品の風バイクである。要するに魔女の箒の豪華版みたいなヤツだ。専用に調整された緑の石を胴体部の穴に入れると、中に貼り付けられた化学繊維に反応して起動するので、誰でも運転できるのだ。
なお、試作品しか作られなかったので、俺のネクタイは少し短くなっただけで済んだ。
「まぁ、仮定の話をしても仕方がない。なるようにしかならん!」
『…ありがとうございます』
少し生気を取り戻したアリアが、はらりと顔に掛かった金色の髪の間から、力なく微笑んだ。
そうこうしている間に初級洞窟に着き、さっさと例のホールにやって来た。
ホールには誰が設えたのか、二階に上がる梯子があったが、こんな怪しい物は使わない。俺は緑の石を使って二階に上がった。
ミスズは居なかったものの、代わりにアリアが居たし、ミスズの石を一袋拝借して来たので、初級洞窟程度なら探索には困らない。
唯一の危険は、間違ってチョーダに手を出してしまうことだったが、幸いヤツには出会わなかったので、“アレ”をもう一度やるような事態にはならなかった。
すぐにアリアが治してくれるのだとしても、やはり痛いのは嫌だ。
普通に戦えば、チョーダに勝てるのは、この洞窟ではイキタスくらいではないか。
いくらチョーダが増えても、イキタスは毒で死ぬようには見えないし、平気で毒ごと食ってしまうだろう。
もしかしたら、イキタスの毒というのは、チョーダを毒ごと食って濃縮した結果なのかも知れない。とんでもないシガテラだ。
二階、三階を粗方踏破したので、帰ることにした。大きな負傷はなかったし、予想外にアプリも稼げたので、収支は上々だ。
だが、一度も苦戦はしなかったのに、何故か疲労が激しい。
二階の起点まで戻ると、梯子が壊れて落下してしまったらしく、階下のホールには数人の怪我人が転がっていた。
「誰が架けたか分からない梯子を使うからだよっ…と」
緑の石を使って飛び降りて、青い石を使って怪我人を癒してやったところ、大層感謝された。この辺りじゃ法術師は珍しいとカレンが言っていたのは本当らしい。
「大魔法使いミスズ様の御慈悲だ。ありがたく受け取るが良いぞ」
とか言いながら、剣士シオンはクールに去るぜ。
法術師が珍しいのなら、青い石を売ればいいのではないか。
効果が微妙な薬草よりずっと売れそうだ、などという考えが浮かんだが、これ以上しがらみが増えることを思うと寒気がした。
家に帰ると、ミスズが膨れていた。
黙って出かけたことに対して怒っているのだ。
「だが、ぐっすり寝ていたから、起こすのも可哀想だと思ってな」
言葉をかけてもそっぽを向くだけなので、思い切って抱きしめる。
「ミスズさん、よーしよーし!」
「うぎー!」
最初は振り解こうとして暴れるが、構わず抱きしめていると、強張っていた身体が次第に弛緩してくる。
ここですかさず殺し文句を投入!
「ごはん食べに行こうか、ミスズさん?」
「…行く。お腹すいた」
ミスズが怒ったら、こうすれば大概機嫌が直る。
今回、彼女の不機嫌の種は、俺がちゃんと帰って来た時点で粗方消えているので、後はメシで一押しすれば悪くてプラマイゼロ。
良ければ上機嫌までアライメントが回復するのだ。
「んはは、今日はどこ行く?」
ミスズが上機嫌で俺を見上げて言った。
俺たちの食事は基本外食だが、俺たちに限らず、火事に対する恐怖から、多くの者は外食で済ませているらしい。赤い石がバカ売れしたのには、軽くて取り扱いが楽という以上に、火を使わずに煮込み料理ができるからという理由がある。
「なんでもいいぞ。最近の俺たちは、お金持ちだからな!」
「んはは、お大尽やなぁ。好きでもない魚ばっか食べてた頃が懐かしいわ。おっちゃんのお陰やで。ほんま、おおきになぁ」
ミスズは、何度目か分からない礼の言葉を口にした。
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