第19話 間違いが起きたらどうするのだ?

 俺が風バイクの設計図ぽいものを描いている前で、ミスズは何事か考えながらグーパーしていた。決心したように口を開く。

「…なぁおっちゃん、魔法石作れるの、ウチだけやんか?」


「いまのところそうだな。少なくとも、俺たちが知っている限りはな」

 ミスズが何を言わんとしているのか、俺は考えを巡らした。

「ここの人ら、魔法石の便利さ知ってもうたやん?」


 俺は最初、ミスズは利益を独占することについて言っているのかと思った。

「魔法石を作る能力はミスズさんにしかないものだし、独占してしまうのは仕方のないことだろう?」


「せやから、ウチらが帰った後どうなるんやろかなって…」

 そういう話だったのかと、俺ははっとした。

「…む。確かに気にならないでもないが、それはどうしようもないな」


「……」

 黙り込んでしまうミスズ。俺はいつも大事な一言が足りない。

「あー、えっと、…だな。大丈夫だ、ミスズさん。どうしようもないというのは、”俺たちにはどうしようもない”ということだ」


「…?」

 首をかしげながら、大きな眼を俺に向けるミスズ。

「人間というものは、一度便利な生活を手に入れたら、失ったときに“元に戻るだけだ”で済ませたりできないものだ。だからなんとかして維持するに決まっている」


「なんとかって、どんなん?」

 問い詰めるようにミスズ。

「…例えば、輸入に頼っていたものが入ってこなくなったら、国内で作ろうとするよな? だから魔法石も、作れるヤツを捜すとか、似たようなものを科学的に作ろうとするとか…」


 自分でも信じ切れていないことを、他人に説くのは実に苦しい。

「例えば、イギリスの産業革命って習ってないか? 薪になる木を切りつくしてしまったから、仕方なく石炭を使うようになったんだ。そこから今の科学文明が始まった」


「…そうなん?」

「とにかく! 必要に迫られたら、人間というものは凄い能力を出して何とかするんだ!」

「…必要は発明の母って言うやつ?」


「それだ、それ。よく知ってるじゃないか」

「学校でガリバー旅行記読んだ」

「あ、ああ、ガリバーなら、俺も図書室で借りて読んだな。中身は殆ど忘れてしまったが、結構深くて難かしい話だったから、感想文を書くのに困ったのは覚えている」


 読んだのは本当だが、実は“必要は発明の母”がガリバー由来だということを忘れていたので、文脈から理解した。


「…ここ来たときな、みんな知らん言葉喋ってるし、ヤフーの国かも知れんて思うて、怖かったんや。ちゃんと話したらエエ人も居るのに、なんか悪いことしたやろかなって思う。もっと仲良うなっといたらよかったんかなぁ」


 ヤフーとは、ガリバーが訪れたとある国に住む、人間に似た獣のことである。

彼らは食欲と性欲のためだけに生きているならず者だ。

 なお、”あのヤフー”は、これに因んで命名されたらしい。


「この国にも、洞窟の前に居たようなやつらが居る。何年も孤独に生きてきたミスズさんには悪いが、俺としては、キミがそんなやつらと関わったり、騙されたりしなくて本当に良かったと思う」


 俯いていたミスズが、顔を上げて俺を見た。

「でも、自分の気持ちとして、今までを取り返そうと思ったんだよな? だから、自分が帰った後のことを考えるようになったんだよな? うん、それはとてもいいことだと思うぞ」


 不意に、ミスズが立ち上がった。

「…ミスズさん?」

 ミスズは、テーブルを回って俺のそばに来たと思ったら、向かい合う形で膝にまたがった。俺の首に腕を回してしがみつく。


「おっちゃん、あんがとなぁ…」

 回されたミスズの腕に力が込められた。

「礼を言われるようなことは、まだしていない。むしろ俺の方が…」


「居るだけで嬉しいんやって。ウチがこんなこと考えるようになったんも、おっちゃんが来てくれたお陰やし」

「そういうことか。…絶対になんて大きなことは言えないが、いつかキミを護れるほど、強くなりたいと思う」


 以前から他者を護ることに慣れているため、突然降って沸いたミスズを、自分の身体よりも大事に考えるのは、職業的なものと考えていた。

 結局のところ、護られたいミスズと護りたい俺という、共依存の関係なのだろう。

 だが、それを超えた愛しさを感じているのも確かだ。


「そんだけやないよ。ホンマに、おっちゃんに会えてめっちゃ嬉しかったんや。今まで誰ともマトモに喋ってなかったさかい、話したいことようさんあったし。誰かと話すんはあっちに帰ってからかな、はよ帰りたいなって、ずっと思ってたわ…」


「……」

 俺は、だらりと垂らしていた手を、無言でミスズの背中に回した。

「あのな、ミスズさん…」


 孤独を拗らせると、それが解消されたときに必要以上に馴れ馴れしくなったり、媚びたりするものだ。…と言いかけたが、詰まらないことを言うのは止めた。

「…いや、なんでもない」


 口には出さなかったが、自分の心には刻み込んだ。この子はただ人の温もりが欲しかっただけだ。

 勘違いするな俺。


「みんなが怖く見えていたのに、どうして俺を信用した?」

「おっちゃんは日本の人やし。帰れるかもって、嬉しい気持ちにさせてくれたんやもん。騙されてもええわって」


「こんな可愛い子を騙すようなヤツは、俺がプチッてしてやる」

 しがみ付いていたミスズが身体を離した。

 少し赤い顔をして、柔らかな笑みを浮かべている。


「おっちゃんとウチは、いちえんてくしょーやもんな?」

「一蓮托生な?」

「それや。ウチとおっちゃんは、どっちもむこうに帰りたいんやから、絶対に相手を裏切ったりでけんし、危のうなったら嫌でも助けんならんやろ?」


「その通りだ。少なくとも俺だけは、ミスズさんを裏切らない」

 とは言ったものの、俺はミスズほど“帰りたい”とは思っていない。

 俺は独身で、近い親戚も居ないため、帰りを待っている者は誰も居ない。


 身寄りがないからこそ、無茶な生活をしていられたのだ。

 さらに、配置換えや結婚話のせいで、令嬢や相棒にも捨てられたような気分になっていたため、ますます帰る気がなくなっている。

 しかし、少なくともミスズだけは帰してやりたいとは思っている。


「あんがとな、おっちゃん…」

 何度目かの礼を言うと、ミスズは俺の眼を覗き込んだ。あまり帰る気がないのがバレるのではないかと、俺は緊張した。


「…頑張ったな、偉かった」

 気まずさを誤魔化すように、手のひらを、そっとミスズの頭に載せて優しくスライドさせる。


“いいことを教えてやろう。仮に、もしも、万が一、将来あんたが女の頭を撫でるようなことがあったら、絹ごし豆腐のように優しく扱え。手を無造作にポンと置くな。上からの衝撃は頸にくる。女の頸は弱いのだから、レコードの針くらいそっと乗せろ。そして髪が傷まないよう、撫でる方向に気をつけるんだ。逆撫でされたら犬猫だって嫌がるが、女はもっと嫌がるぞ。言うまでもないことだが、犯罪にならないように気をつけろ。”


 元相棒の言葉が、懐かしく思い出される。

 俺はフッと微笑んで、心の中で“役に立ったよ”と告げた。

「…んはは。手ぇ重いわ、頸折れる」


「えぇ?」

 “これでもダメなのか?”と焦って、慌てて放そうとした俺の手に、ミスズは自らの手を重ねた。


「…もっと撫でてや。優しゅうな。ウチ、ホンマに頑張ったんやから」

「ん。分かるぞ…なんて言えないな。…正直、子供がこんなところでひとり、どうやったら生き延びられるのか、ぜんぜん分からない」


「ウチも、忘れてもた。夢中やったし」

 俺は、そんなこと忘れてしまえと思った。

 帰れたなら尚更、忘れてしまえと思った。


「クラスいちのゲラやって言われてたのに、こんなんウチらしゅうないわ」

 その声は、少し鼻声になっていた。


 外からスズメぽい鳥の声が聞こえる。

「…なんでこうなった?」

 俺の腕を枕にして、ミスズが可愛い寝息を立てていた。


 こうしている場合ではない。

 俺は自分の身体を点検し、重大インシデントが発生していないことを確認した。

「んぁ、おっちゃんおはようさん」


 俺がもぞもぞしていたのに気付いてか、起き上がって伸びをするミスズ。

「なんでキミは、当然のように全裸で、なんで当然のように俺のベッドにいるのだ?」

「せやかておっちゃんの身体、ぬくいんやもん。枕が固うて高すぎるんと、宇宙人みたいな寝言いうのんはイマイチやけどな」


 俺の腕を勝手に枕にしておいて、この言い草である。 

「キミはもう子供ではなく充分大人だし、俺はキミの父ちゃんではないのだ。おっさんだが男だぞ。だいたいキミには婚約者が居るのだろう? 間違いが起きたらどうするのだ?」


「…間違いって、どんなん?」

「んぐ…」

 頸をかしげ、きょろりんとした眼で俺の眼を覗き込んでくる。


 これはからかっているのではなく、本気で言っている顔だ。

 この子に“間違い”について説明するのは、実に苦労するだろう。

 というか説明不可能だ。


 そして、実際に間違いなど起こしてしまったら、俺は一生後悔する。

 要するに、完全に詰んでいる。

「…なんでもない。俺は起きる」

 困る。本当に困るぞ。

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