萌やし屋シリーズ4 異世界召喚されたがギフトは無いし何をしたらいいのかも聞かされていないんだが 第一部
戸ケ苫 嵐
第1話 序 さようなら、せかい
いくつかのかがり火で照らされた、薄暗い神殿だった。そこが薄暗いのは単に夜が深いからであり、洞窟の奥にあるわけではない。
周囲に立ち並ぶエンタシスの間から、柔らかな月の光と清浄な微風が忍び込んでいる。
そこに十数人の式服を着た神官が、無言で並んでいる。
「…アリア」
静寂を破って、いかつい顔の中年男が、目の前の少女の名を呼んだ。
「仰らないでください。…覚悟はできております」
アリアと呼ばれた少女は、ぎこちなく微笑んで、祭壇への緋毛氈を歩んだ。
途中、両側から現れた女官がアリアの外套を脱がせたが、彼女は歩みを止めることなく、夜目にも鮮やかな白い裸体を祭壇の直前まで進めた。
腰くらいの高さの祭壇に仰臥する刹那、彼女の目に月明かりが射した。
『さようなら、せかい』
『さようなら、わたしの…からだ』
石材の冷たさを背中に感じながら、アリアは眼を閉じた。もうその青い眼が開かれることはないのだと、誰もが思った。
祭壇に置かれた、いくつかの水晶を組み合わせた装置を、神官の一人が注意深く作動させる。軽い唸りをあげたあと、装置は光線を発し、天井のある点を照らし出した。そこには星のようなマークが描かれている。
視線を下ろした神官たちは、目顔で疎通し、無言で頷いた。
「アリア、頼んだぞ」
大神官の言葉に、アリアは眼を閉じたまま頭を少し動かした。
この国は危機に瀕していた。
あるとき突然、死人使いの魔女が、動死体の軍団を率いて国土を席巻した。
ひと思いに街や城を落とさない辺り、この国を支配するつもりなのか、そうではないのか。躊躇っているようでもあり、遊んでいるようでもあり、彼女の目的はまるで分からない。だが、今までに何組もの腕自慢たちが魔女討伐に向かったが、ことごとく動死体と化して戻ってきた。
ここに至り、国を護る神官たちは悟った。
炎で炎を打ち消すことができないように、この世界の人間では、あの魔女を倒すことはできないのだと。
ちょうど同じころ、誰の配剤かはわからないが、城の宝物庫で古代の秘宝、件の水晶装置が発見された。
どうやらそれが、異世界から勇者を召還するための装置であろうと判明するのに、たいした時間はかからなかった。
しかし、神官たちは使用を躊躇する。
なんと、それを作動させるには、神学を修めた清らかな乙女がひとり、命を捧げねばならぬと分かったからだ。
誰かひとりを生贄にすれば、世界は救われる。
そんなことなら話は簡単だった。
だがそれは“生贄”と呼ぶべきものではなかった。
それは、乙女の肉体を炸薬として、その魂を異世界に打ち出すというシステム。飛ばされた魂は、勇者を発見しだい捕らえて帰還するのだ。
「まるで釣りだな」
そんなこと呟くものも居た。
形としては確かにそうだが、エサの意思が釣果に直結する釣りなど聞いたこともない。
飛ばされた魂に勇者の選定が任される以上、誰でもよいというわけにはいかず、無理やり任命し、犠牲を強いるわけにはいかないのだ。
多くの者が諦め、幾人かが胸中に覚悟を固め始めたとき、高く手を挙げ、名乗り出る者が居た。それがアリア・ノストゥである。
儀式が後戻りできない段階まで進んだころ、突然の爆発が巻き起こり、光芒と爆音が、薄闇と静寂を切り裂いた。
「何事だ? こんなときに…!」
光が炸裂した方向に顔を向けて、先のいかつい顔の男が叫ぶ。
「大神官、恐らく魔女の手の者と!」
「…まぁ、他にはなかろうな」
大神官と呼ばれた男は苦々しく呟くと、アリアに向き直った。
「アリア、もう中止はできん!」
大神官は言葉を切ると、囁くように付け加えた。
「心配するな。必ず送り出してやる」
アリアの耳にその声と、言葉に込められた心は届いていたが、儀式の不首尾を恐れたため、それに答えることはしなかった。
ただアリアは、自らの役割を従容として受け入れていた。
「祭壇に近づけるな!」
大神官の命通り、神官たちは防護法術を駆使して魔物を倒していった。
防護法術には回復や補助、強化や弱体などがあるが、直接敵を倒す法術は少ない。そのため、弱体化で魔物を捕獲し、武器で倒すというやり方をしている。
さすがに神官集団である。負傷者はすぐに法術で回復させ、一人の死者も出すことなく、魔物の数を減らしていく。
「ぐはぁっ!」
しかし、最後の魔物と相打ちになって弾き飛ばされた神官の一人が、祭壇にぶつかり水晶装置が倒れた。
「座標が…!」
別の神官が慌てて手を伸ばしたが、間に合わなかった。
水晶装置が祭壇から落ちて砕けるのと、アリアの身体が光を発して弾けるのが、ほぼ同時に起こった。
大神官は呆然とした顔で、よろよろと祭壇に歩み寄り、崩れ落ちるように膝を衝いた。
「なんということだ…無駄死にか…」
そこには、最前までアリアの身体だった灰が、薄く積もっていた。
「アリア…」
あふれる涙を拭おうともせず、叫んだ。
「わが娘よ!」
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