第2話 助けてください!
その日俺は、鬱屈した気分で夜の公園を歩いていた。
身長は百九十センチ超、体重は百キログラム超のデカい男が、黒いスーツを着て安全靴を履き、街中を歩いていると嫌でも目立つ。
人相は悪くないと思うのだが、イケメンと言われたことなどない。
顔がどうだとかは関係なく、そんな風体の男にはマトモな人間は近寄らない。
そんな扱いが嫌なので、人気のない場所を選んで歩いている。
しかし動物には好かれる。
特に大型犬(主にメス)は無条件で懐いてくるので、それだけが救いだ。
若いころは”悪いやつ”をやっつけることを趣味にしていた。
街に出て、”悪いやつ”を挑発して喧嘩を吹っかけられるように振る舞い、相手がその気になれば、得たりとばかり打ち倒す。
実に屈折した青春時代だったが、そんなことをしているところをスカウトされ、今の仕事に就いたのだから、人生とは分からないものだ。
現在は給料を貰って人を殴っている。
俺の名誉のために言うが、仕事は反社会的勢力ではない。
格闘家やボクサーでもない。人を殴るのも時々だ。
仕事は、とある令嬢のボディガードである。
その令嬢は幼いころに誘拐され、銃で撃たれて死にかけた過去があり、心配した父親がボディガードをつけたという経緯がある。
俺の仕事は、件の令嬢が外出している間、常に相棒とともに付近で警戒することであり、それは家に帰るまで続く。
いや、その日までは続いていた。
その日俺は、精神的ショックを受けていた。
俺がボディガードを始めたころは小学生だった令嬢が、近々成人するにあたり、警備体制の変更が計画されることとなった。
要するに俺は男なので、男では入れない場所も多いから都合が悪いと判断されたのだ。
そしてもうひとつ、二十代後半の女であるところの相棒から、“結婚する”と聞かされたためである。
屈託のない笑顔を向けてくれる令嬢のことは、歳の離れた妹か娘のように感じていたし、相棒のことは、”背中を任せられる女”と評価していただけで、どちらにも恋愛感情を持っていたわけではない。
少なくとも表面上は恋愛感情はないと思っていたが、これほどのショックを受けていると言うことは、心の奥では恋慕を抱いていたのかもしれない。心の奥のことなど、自分にだって分かるものか。
少なくとも、十年近くの付き合いで、家族のように身近に感じていた彼女たちから、離れざるを得ない状況になった。
そういうわけで、今日俺は、予想外の大ダメージを負ったのだ。
ムシャクシャしながら公園に向かうと、”悪いやつら”が、”嫌がっている女を無理やり誘っている状況”に“出会った”。
出会いに行ったと言ったほうが正しいかも知れない。
仕事以外で人を殴るのは久しぶりだが、“義を見てせざるは勇なきなり”とか言うから仕方がない。
あぁ、仕方がないとも。
サップという人を殴るための手袋を着け、いざというときのためにボイスレコーダーを作動させた。
スタスタと近づいて確認する。
「お嬢さん、こんばんわ。十人くらいの変な奴らに絡まれているようだが、助けが必要かな?」
実に不自然なセリフだが、仕方がない。
「なんだよオッサン!」
「助けてください!」
「りょうかーい!」
気持ち悪いくらいの、邪悪さに満ちた笑顔であったろう。
若いころは木刀を武器にしていたが、今では相手に木刀を渡して、それを素手で叩き伏せるという、二重に屈折したやりかたになった。
正当防衛を狙ってのことでもあり、歳を経て狡猾になったのかも知れない。
嬉々として木刀を相手に投げるが、元々武装している連中だったので、余計な気遣いだったようだ。
さっさと片付けた俺は、いささかの食い足りなさを感じながら、女に帰宅を促した。
その瞬間。
『ツ……バクカ……ンサ……ルマ!』
突然、ノイズ交じりの声が響いた。
「なに…?」
俺はとっさに振り返ったが、後ろには誰も居ない。
それもそのはずで、その声は頭の中から響いていたのだ。
直後、雷のような衝撃と、目もくらむような光が俺を撃った。
そして光の中には、ブロンドの髪とアイスブルーの眼をした女。
“けっこう可愛い…?”とか考えている場合じゃない。
「ぐ…がっ…!」
これは雷じゃない。
その証拠に、目の前の女は、不思議そうな顔で俺を見ている。
スタンガンでもない。
あれはもっと痛い。
なにより、文字、言語、音声、映像。
あらゆる情報が、奔流のように俺の脳内を駆け巡っていく。
今の俺を具体的にあらわすと、ぐるぐるバットをやった後、サンドバッグをぶつけられて、懐中電灯を至近距離から眼に当てられ、耳は早送りの音楽を大音量で聞かされるという状況に近い。
痛くはないが、難しいことを考えたときのように頭の中がむずむずする。
脳の血管の中を虫が這っているようで、むしろ痛みよりも耐え難い。
それは俺にとって初めての感覚だった。
違法な薬の禁断症状はこんな感じなのだろうか。
「くそ、冗談じゃねぇ…」
堪らなくなった俺は、女を押し退け、人気のないほうへよろけながら歩き出した。
早くここを離れなくては。ここで倒れたら、さっきの奴らに袋叩きにされてしまう。
俺は公園を出て、目立たない路地に向かった。
「あの…、救急車呼びましょうか…?」
あとを心配そうについてくる女。
返事をするのも億劫になり、いよいよ視野が狭まってきた。
“こいつは…やばい…”
コメカミをぐりぐり突いて、なんとか正気を保とうとした瞬間、暗闇が襲ってきた。
「うわっ!」
叫んだと同時に、俺は暗くて深い穴に落ちた。
間 逃がさへんで!
「あれは、あの光は…!」
森の中で薬草を採取していた少女は、天を仰いで目を見開いた。
頭上はるかを、燐粉を撒き散らしながら、金色の光が横切っていく。
「来たで、来よったでぇ…!」
ややもすると大きくなる鼓動を抑えながら、手のひらから出した緑の石を、興奮で震える腿に叩きつける。
緑の光が下半身全体に広がり、足元から立った風が少女の身体を浮かび上がらせた。
「何年待ったと思うてんねん。逃がさへんで!」
かけっこの“ヨーイ!”のようなポーズのまま、風のように木々の間をすり抜ける。
少女の目は件の光に釘付けになったままなので、自動で木々を避けているように見えるが、実は少女の身体は風のカプセルで包まれており、やんわりと木にぶつかりながらぬるりと通り抜けているのだ。
しばらく追いかけると、光は森に落ちて大きく弾けた。
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