第38話 殺しはしないが、殺さないだけだ
命からがら砂漠を抜け、ロッキビン近傍まで来たが、どうせレクバールと同じように物騒な街だろうと判断して素通りした。
自由民の街は自由すぎて、日本人の平和な感覚には合わない。
地図を確認すると、ダンコフの首都ルタリアは意外と近い。俺たちの目的地ダンコフ城も、ルタリアの街に隣接している。
『この辺りに来たことはありませんが、ダンコフの領土までは十サットもありません。地図に出ていない村もありますし、ロッキビンに寄らないのは、いい判断だと思います』
「よし、ロッキビン素通りはイマフさんも賛成だそうだ」
「流石やなおっちゃん!」
ミスズは言葉を切ると、少しトーンを落として続けた。
「…けど、イマフさんが一緒なん、ええなぁ」
背中合わせなので、顔は見えない。
「そうだな。ミスズさんにもイマフさんがいたら、俺が来るまでも寂しくなかったのにな」
本当にそう思った。
「…せやけどまぁ、もうどうでもエエわ」
そう言ってミスズは、背中合わせの俺を肘で突いた。お返しに俺は、ミスズのうなじを指でコリコリと撫でた。
「くくっ」
笑うミスズの振動が背中に伝わる。
「んっははは!」
やれやれ。砂龍と戦った直後であり、魔女と戦う直前だというのに。あえて“お気楽”とは言わないが明るいもんだ。
…斯く言う俺もだな。まるで物見遊山で、悲壮感の欠片もない。
徹夜で風バイクで走った後、砂龍に食われて車体を失ってしまったので、その後は当初の“立ったまま平行移動”で砂漠を越えた。
砂漠の起伏のために、実際の距離以上に時間がかかったお陰で、もう若くない俺の脚は棒のようになってしまったし、背中もバリバリだ。
『もうすぐダンコフ領ですが、そこからダンコフ城まで四十サットはあります。安全な場所でお休みになった方が宜しいのでは?』
ここから四十サットなら、単純計算でも六時間はかかる。
「ミスズさん、少し休まないか?」
俺は後ろのミスズに問いかけた。
「ええやんええやん。なんぼウチが若ぅても、メシ喰わんとやっとれん。ゆんべは干し肉しか喰えんかったし、ぬくいモン喰いたいわ」
『お疲れでしょうから、そのほうがいいと思います』
『気が急いているだろうが、こういうときこそ休まねばな』
荒地から草原に入り、小さな繁みなども現れるようになった。
アリアが言うには、この辺りからダンコフ領らしいが、使えそうな土地は領土にしておくというのが、なんと言うか、あざとい。
俺は開けた場所で風バイク初期型を解除した。
「さぁメシやメシや!」
ザックから固めのパンと弱い酒、ドライフルーツ的ななにかを出し、干し肉の入ったディーズスープも作る。青い石を使えば清浄な水がいくらでも飲めるので、水代わりの弱い酒は要らなかったかも知れぬ。
次の食事は恐らくルタリアだし、持って来た食料は全部食べてしまっても問題はないだろうが、慎重を期して半分残そう。
「…なぁ、おっちゃん、半分でも三食分くらいあるで?」
慎重すぎたようだ。
ラウヌアを出たときの俺は、いったい何日かかる予定だったのだろう?
「ぷぁあ、腹いっぱいやぁ…」
「あぁ、もう入らん…」
俺はアリアとふたり分食わないとな。などと、妊娠した女のようなことを考えて、少し笑ってしまった。そんな馬鹿なことを考えられるのも、安心感からだろう。
安心感と、満腹と、砂漠越えの疲れに、三位一体の攻撃をしかけられ、俺はつい眠り込んでしまった。
バジィ!
どれくらい眠っていたのか分からないが、誘蛾灯に虫が接触したような音が、俺を目覚めさせた。
「…なんだ…?」
『防護障壁にそれが』
そう言ってアリアは、空中に止まった矢を指差した。
『それと、十人ほどの人間に囲まれているようです。あの辺りの小さな繁みとか…』
わざわざ開けた場所を選んだのは、敵が攻めてきたらすぐに分かるようにという配慮だったが、まさか二メートルほどの小さな繁みに潜むとは思わなかった。
「…んー、どないしてん?」
眼を擦りながら、ミスズが伸びをした。
「どうやら悪党に囲まれているようだぞ」
俺はミスズの視線を誘導するように、矢を指差した。
「いったい何者だ?」
「おー、なんかバリヤー張られてるやん? イマフさんの仕業か?」
そこで初めて俺は、アリアに魔法を使わせたことに気付いた。なんて鈍感なんだ。
「ほな、ちょちょいとやっつけたろうかね」
こきこきと腕を回し、頸を鳴らすミスズ。
「ミスズさん、くれぐれも…」
「分かってるて。やり過ぎたらおっちゃんに嫌われてまうしな」
別に嫌いはしないがと思っていると、ミスズは眼を閉じた。ミスズが言うところの“魔法屋”に行ったようだ。
『防護障壁を展開していても、攻撃魔法は撃てるのか?』
『はい。外側からの攻撃は跳ね返しますが、内側からは通します』
内側からは魔法を通すとは、都合よすぎるのではないかと思ったが、思えば風バイクにも都合のいい特性があった。歴史の長い技術体系は、そんな風に使う者に都合よく磨かれていくのだろう。
なんてことだ。“内側からは魔法を通す”という仕様を知っていたら、“チョーダの嫌な倒し方”は、する必要なかったじゃないか。最初は仕方がなかったとは言え、その後は怯える必要はなかった。“無知は罪なり”と言ったのは誰だったか、本当にそうだな。
「戻ったでぇ!」
不意に眼を開いたミスズは、右手を高く差し上げて叫んだ。
「往生せぇやぁ!」
往生させたらダメだぞと思いながら見ていると、手のひらから幾筋もの光が、うねりながら四方八方へ飛んでいった。まるで獲物を探す光の蛇といった風情だ。
「うわぁ!」
「ぎゃあ!」
「ぐわっ!」
耳を欹てると、幾つものうめき声が聞こえる。
「ミスズさん、ちょっと見てくるから、念のために赤い石を一握り」
「おっしゃ。気いつけや」
赤い石を受け取り、付近の繁みを探ってみると、光の蛇を食らった黒尽くめの男が、全部で八人倒れていた。幸いなことに全員生きていたため、“往生せぇやぁ!”はミスズ流の冗談か、ちょっと物騒な掛け声だったようだ。
「アリアは十人ほどと言っていたが、倒れていたのは八人。数が合わないが、逃げたような気配はなかったから、これで全部だろうな」
レクバールで会った黒尽くめと同じ組織の人間だろうが、あの男が俺たちより先に砂漠を渡ったとは思えないので、伝書鳩みたいななにかで、復讐依頼を送ったのだろうか?
それとも完全に無関係な、純粋追い剥ぎ行為なのか?
キャンプに戻り、ミスズに石を発注する。
「ミスズさん、効き目が弱い傷治しの青い石と、弱めで長~く効く毒増しの黄色い石を八個ずつ頼む」
「なんやそれ、めんどくさい注文やなぁ」
ミスズはもにょもにょ言いながら考え込んでいたが、両手を俺の前に突き出すと、いっぺんに青と黄色の石を出した。
「サンキュ」
貰った石を持って繁みを回る。まずひとり目。
「な、なにをするつもりだ?」
「心配するな、殺しはしない」
そう言うと、安心したのか、強張っていた男の肩が少し下がった。
「心配しなくてもいいが、安心はするな。殺しはしないが、殺さないだけだ」
「なに…?」
「訊こう、なんで俺たちを狙った?」
「そんなこと、言うわけが…」
「あぁもういい。もう分かったから言わなくてもいい」
もしも只の追い剥ぎなら、“追い剥ぎ”以上の理由はないし、理由を訊かれること自体意外に感じる筈だ。
こんな反応をするということは、復讐依頼を受けたクチだということだろう。
やはりこの世界にも、伝書鳩的ななにかがあるようだ。
俺は光の蛇で穿たれた傷跡に黄色い石を詰め、青い石で癒した。
「じゃあな、真っ当に生きろよ」
近くに落ちていた男の剣を手渡してやり、背を向ける。
「ヘッ、ありがとうよ!」
俺が背を向けたとたん、剣を構えて勢いよく立ち上がった男が、スローモーションのように緩慢な動きになり、膝ががくんと落ちた。
「…おぉ…っ?」
四つん這いになって荒い息を吐く男の傍に、俺はしゃがんだ。
「残念だったな。殺さないだけだって言っただろう?」
「てめぇ…、なにをしやがった…?」
「教え…」
男の前にしゃがんで、額に思い切りデコピンを打ち込む。
「ない!」
それから俺は、全員に同様の“治療”を施してキャンプに帰った。
「どないしとってん・ちんとんしゃん?」
「傷を治してやったんだ。ありがとうよって言ってたぞ」
うん、嘘は言っていないな。
「さよか。おっちゃんも人がエエなぁ」
ヤツらは殺されても文句は言えない稼業だが、殺すのはこちらの気分がよくない。アリアやミスズに手を汚させるなど以ての外だ。
かといって、赦せば他の人に害をなすであろうことは、火を見るより明らか。赦した悪人が人を害したなら、それは俺がやったも同然だ。そんなことは我慢ならない。
ならば、まともに動けない身体にしてやるしかない。
まぁ、慣れたら真面目に働くくらいはできるんじゃないか?
「…知らんけどな」
「ん? おっちゃん、なんか言うたか?」
「いや、なんでもない。それじゃ、出発しようか」
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