第25話 まるで三百六十五歩のマーチやな。

 まずは祭壇に向かう。

 改めて観察すると、祭壇と言うよりもひとり掛けのソファのような形をしている。


 だが、これがそうだとしたら、人間のものよりかなり大きく、背もたれと肘掛の部分が極端に低い異形のソファだ。

 祭壇の隅から隅まで観察したが、文字などは発見できなかった。


「…これは?」

 唯一、背もたれにあたる部分の上部に、スターマークのようなものが刻まれていた。スターマークとは、要するに“*”である。


「ミスズさん、これはなんだろう? こんなマーク、こっちで見たことはないか?」

 俺が指差したところを、ミスズが覗き込む。

「どれどれ…? おっちゃん、これ“水”やんか」


「ミズ? 漢字の? ははは、ミスズさん、なんで日本語なん…」

 急に頭の中がムズムズし始めた。思わず祭壇に手を衝く。

「…むう。俺、前もこんなことなかったか?」


「あったやろ! 何言うてんねんて思うこと、何べんもあったわ!」

「…いや、そうじゃなくて…なんだろう?」


「ホンマに何言うてんの? 心配になるわ」

「…だよなぁ」

「しっかりしてや」


 幸いムズムズが去ったので、祭壇から手を離す。

「ミスズさん、一応水をかけてみよう」

「この、字のとこでええのん? かけるでー」


パシャア


 ミスズが青い石を砕いて、バケツでぶちまけた程度の水をかけた。

「…むむっ?」

 ふたりでググっと顔を寄せ、穴が開くほど眺めたが変化はない。


「ほらー、やっぱり水なわけないやん?」

「いや、それは俺が言うべきセリフなんだが?」

「時間もないし、探索しよ、探索」


 極まりが悪そうにそっぽを向いて歩き出すミスズ。

 それについて歩きだすと、数歩進んだところでいきなり振り返った。

「なんだ? どうした?」


「…ドリフやったら、見てない間になんか起こるんやけどな」

 そんなマンガみたいなことが…と思いつつも、違和感に気付く。

「ドリフ? ドリフターズ? やけに古いものを知ってるんだな」


「は? ドリフが古い? 古うはないやろ、なに言うてんの? ドリフ言うたらナウなヤングにバカウケやん?」

「そ、そうなのか。若い子の流行には疎くてな」


 若者の間でレトロなモノが流行っていると聞いたことがあるが、こっちに来る前に、YouToneや衛星放送で、古い動画を見ていたのだろうか?

 …いや、ミスズはインターネットのことは知らなかったぞ?


「……」

 また頭がムズムズしそうだったので、俺は考えるのをやめた。


 二階を暫く探索したが、バケモノは一階と大差はなかった。

 しかし、そのバケモノが持っているアプリは、一階よりかなり多い。

 大袈裟な言い方をすれば“人跡未踏の地”なのだから当然だろう。


 そのおかげで、昨日とは比べ物にならないほどの実入りがあった。

「おっちゃん、初めて入る場所なだけあって、めっちゃ稼げるな!」

「ああ、できれば三日のうちに全体を探索してしまいたいものだ」


「おー! 頑張ろー!」

 しかし、その目標を阻むように、この階にはウナボリという、やや危険なバケモノが出るのだった。


 ウナボリはうなぎの身体にダツの頭を付けたような生物で、地面に開いた五センチくらいの穴を気付かずに踏んでしまうと、飛び出してきて足に刺さる。言うなれば生きた罠であるが、他の洞窟にも出るバケモノなので、存在自体は珍しくはない。


 また、装備さえ万全ならほぼ危険はないし、十日に一回踏んだら運が悪かったと言われる程度で、過度に恐れる必要は無い。

 しかし、ここの二階から上は生息数が多いうえ、洞窟の床が凸凹なこともあって、ウナボリの穴なのか、単に明かりに照らされてできた影なのか分かり辛いのだ。


「ウナボリなー。街に持って帰ったらエエ値で売れるらしいんやけど、厄介なんよなぁ。鉄の靴でも履いてたらエエんやけど」

「出るならいっそ、全部の穴から出ればいいのに、出るのはごく一部だからな。歩きにくいったらないぜ」


 鉄の靴がない状態でここを進むには、危険を承知で穴を踏み、素早く後ろに下がる。

 ウナボリが居る穴なら少し遅れて飛び出してくるので、頭を斬り飛ばす。

 出てこなければそこを踏んで前進する。


 これを歩数分繰り返さなくてはならない。

「一歩進んで二歩下がり、また三歩進むって、まるで三百六十五歩のマーチやな。んはは」

「笑ってる場合かよ。このままじゃ三日で回りきれないぞ」


「しゃあないな。結構稼げたし、明日は鉄の靴買うてこよ」

 ミスズの言葉に安堵し、今日はこのまま頑張ろうと、健気な俺は歩を進めた。


「…ちょい、おっちゃん?」

 後ろから、ミスズの潜めた声が聞こえた。


「どうした?」

 振り返り、同じように声を潜めて答える。


「これこれ。これ、なんやろ?」

 そう言ってミスズは、洞窟の隅を指差した。


 見ると、洞窟の壁沿いに、直径五センチほどのチューブのようなものが横たわっていた。赤い石で照らすと、それは洞窟のずっと前から、ずっと後ろまで続いている。

 余りにも普通に、壁に溶け込む色だったし、ウナボリに気を取られていたため、暫く気付かなかったのだ。


「これは、もしかして…」

 近づくと、チューブの表面にはウロコのようなものが見える。

 あえて呼ぶなら“不確定名:長い蛇”といったところだが…。


「多分、アレやろな」

 恐らくこれがチョーダだろうが、口に出すと気付かれてしまいそうで、名前を呼ぶのも憚られる。


「…けど、めっちゃ長い言うても太さはこんなもんやろ?」

 言って自分の手首を出し、ニヤリと笑う。

「…ヤれるんちゃう?」


 俺も一瞬“イケるかも?”と思ってしまった。

 コイツを倒したら報奨金が貰えるとか、未亡人が洞窟ガイドを書き直すだろうとか、皮算用その他がちらついたが、慌てて振り払った。


「いやいやいやいや! そういう物騒なことを考えるな! パーティが全滅させられるようなバケモンを、今の俺たちが殺れるか!」

 俺はできるだけ小さな声で、できるだけ強めに言った。


「けどおっちゃん、こんなとこに居ったら、間違うてシバいてまうこともあるやろ?」

 チョーダを指差しながら言葉を切ったミスズは、悪い顔になって後を続けた。

「…間違うてシバいてまうくらいやったら、バッチリ準備してシバいた方がエエやん?」


「そ、それはそうだが。…だめだぞ? 帰れなくなるぞ?」

 この脅しはずいぶん効いた。

「そ…そやな。命は大事にせんとな」


 ミスズの言葉に安堵しつつも、なぜこの蛇が危険なのか、ダメだと思いながらも興味が湧いてしまうのだった。


 結局その日は三百六十五歩のマーチに明け暮れ、帰りに防具屋で、革の長靴の底に付ける鉄の板を買った。登山靴に付けるアイゼンのようなものだ。

「俺の分だけでいいのか?」


「ウチはおっちゃんの踏んだトコ歩くし、いらんやろ?」

「はした金を惜しがって、怪我しても詰まらんぞ?」

「勿体無いのもあるけど、それめっちゃ重いねん。ウチは頭脳労働なんやで?」


「…あー、納得した」

 確かに、手に持つのと脚に装着するのとでは、感じる重さがまったく違う。

 “軽めの鉄下駄”とも言える、無駄に脚が鍛えられそうな重さである。


 逆に言えば、そんなものを履かねばならぬほどウナボリは恐れられているのだ。

 ウナボリ自体は致命的ではないが、不注意で踏めば確実に怪我をする。それを治療する手段を持っていなければ、次に現れるバケモノの餌食になるのは必至だ。


 そしてこの辺りに法術師は少ない。

 滅多に踏まないが、踏むと死ぬとなると、恐れられるのも当然だ。


「…ヤだねぇ」

「なにが嫌なん?」

「こいつだよ、こいつ」


 言って、俺はウナボリが十匹くらい入った袋を掲げた。

 全部首を飛ばされ、腹を開かれて魔石を抜かれているのに、まだウニョウニョ動いている。この生命力の強さも、珍重される理由なのだろう。


 その後、互助会に寄ってウナボリを提出した。

「これは中々、綺麗に捌いてありますねぇ」

 ニイナの言葉に、ミスズが“ふふん”といった顔で俺を見た。


「はいはい。ミスズさんの包丁捌きは板前さん並みだよ」

「んふー(鼻息)。伊達に長いこと魚捌いてへんで?」

「それに、首の際を斬ってあるから可食部も多いですね」


「…だそうだ。俺もたいしたものだろう?」

 俺はミスズに、先ほどの“ふふん”を仕返した。

「ま、まぁ、おっちゃんも中々なんちゃう?」


「それでは一匹二十アプリで十二匹。締めて二百四十で引き取りましょう」

 値段を提示したニイナを無視して、日本語で会話していた俺たちに痺れを切らした。

「…なんですと? 二百四十じゃ不満とな?」


「いや、すまん。二百四十で充分だ」

 ニイナに侘びてアプリを受け取り、互助会を辞した。

「エエやんウナボリ。オイシイやん」


 ホクホク顔で足取りも軽いミスズ。少し先で振り返って言った。

「そう思わん? おっちゃん?」

「うーん。手間を考えれば、とてもオイシイとは言えないぞ」


 ウナボリという邪魔者がいなければ、もっと稼げていたはずなのだから、それが多少高く売れたとしても本末転倒だ。


「むーん」

 顔をしかめて下唇を出す。

 そんな仕草もまた可愛い。


 ミスズが可愛いなんて、できるだけ考えないようにしていたのに、最近ではそんな思いが、不意をついたように浮かび上がる。

 俺は手を伸ばし、艶やかな黒髪に覆われた頭を優しく撫でた。

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