第10話 ちんちんなんか見慣れてるわ

「おっちゃん、風呂は好きか?」

 そろそろ太陽が傾こうとしている夕方に近い昼下がり、突然ミスズが言った。

「むこうでは毎日入っていたから、その程度にはな」


 あちらの世界での俺は、警護対象も相棒も女性だったので、不快感を与えぬように入浴は欠かさなかった。

 しかし、こちらに来てから、一度も風呂に入れていないのだ。

 これはもう、身に染み付いた習慣を狂わされて気分はよくないし、いくら春か秋のような気候であるとは言え、好き嫌い以前に入るしかないのだ。


「入りたない?」

「入りたいな!」

 食い気味に即答する。


「…しかし風呂というか、ここは川だが?」 

「ほな沸かすさかい、ちょっと下がっといて」

「お? おぉ」


 意味は分からなかったが、ミスズが示すほうに退がった。

 それを確認するとミスズは、皮袋から取り出した赤い石を、無造作にポイと投げた。


ドン!


 大音響とともに、川と川原の境目の辺りに、半径二メートルほどの半球状の穴が空いた。

「次はコレや」

 今度は茶色い石を放り込むと、穴のそこここから泥がうじょうじょ湧いてきて、穴の壁が固まった。


「おっちゃん、そこちょっと崩してんか」

 そう言ってミスズは、川と穴の間を指差す。

 言われたとおり穴の壁を崩すと、川の水が滔々と流れ込んだ。


「最後はまたコレ。…三個くらいでええかな?」

 赤い石を三個放り込むと、穴の中の水は見る間に沸騰した。

 入浴には熱すぎると思ったが、その後も水は入り続け、流れが止まった時には、ちょうどいい温度になっていた。


「おお、これはなかなかいい感じだ」

「ほなおっちゃん、お先にどうぞ」

 手を突っ込んで水温を見たミスズは、俺に入浴を促して、川原の茂みに入っていった。さすがに恥ずかしかったか、もしくは気を使ってくれたのだろうと解釈した。


 洗面器がないので、鍋を使ってのかけ湯の後、湯船に入る。

「くはあぁ…。やはり湯船につかるのはたまらんなぁ」

 便宜上“湯船”と呼んだが、これはただの穴だ。

 さしずめ“湯穴”とでも呼ぼうか?


 などとくだらない事を考えていると、茂みからミスズの声。

「おっちゃん、もう浸かった?」

「あ、ああ、もう入ったが?」


ガサッ!


 茂みを掻き分ける音とともに、ミスズの素足が現れた。

「ちょっとだけよ~ん」

 色っぽい感じのうそ臭い声を出しながら、足をピロピロさせる。


 何度か見ているので今更驚きはしないが、続いてバスタオル的な布を身体に巻いた本体が現れると、事情が変わった。

 大事な部分は隠れているが、逆にそれがツボだったりするし、更に身体のラインがある程度分かるバスタオル姿は、いつものだぼっとした外套とのギャップもあって色々ヤバい。


「お、おい。ミスズさんも入るのか?」

「ウチが沸かしたんやし、入ったらアカンて道理はないやろ?」

「そ、それはそうだが。混浴なのだぞ? キミは平気なのか?」

「あ、おっちゃん恥ずかしいん?」


 悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、俺が崩したところにしゃがみ、ミスズは石を積みなおした。彼女の裸は何度か見ているのに、その仕草と、バスタオル的な布からはみ出した足に、俺の心臓が大きく跳ねた。


「俺じゃなくて、キ、キミは恥ずかしくないのか?」

「心配せんでも、ウチ、こっち来る前は父ちゃんと一緒に男湯入ったことあるし、ちんちんなんか見慣れてるわ」


「女の子がちんちんなんて言うんじゃない! …それに、キミはちんちんの本当の恐ろしさを知らんだろ!」

 俺は何を言っているのだ? という後悔が、ちらと横切った。


「ちんちんのホンマの恐ろしさって、なんなんそれ? ビョーンて伸びて、ブスって突き刺されたりすんの? んはは!」

 腰をかがめ、心底可笑しそうに笑うミスズ。


「なっ…!」

 偶然なのだろうが、俺が赤面&絶句するのには十分だった。

「…わ、わかった。もう何も言わんから、早く入ってくれ…」


 さっさと湯船に入らせたほうがマシだと判断し、俺が横を向いたのと、ミスズがバスタオルをはずしたのは、ほぼ同時だった。

「鍋、鍋はどーこやろかなっと。あ、鍋、そんなとこにあるやん~」

 というミスズの声が俺の耳に届いた。


 鍋はと言うと、横を向いた俺の目の前にある。

 最後に使ったのは俺なのだから、それは当然なのである。

 湯船の縁を回って取りに来る気配がしたので、眩暈を覚えながら、すばやく鍋を湯船の対岸に押し出した。


「おじゃま~」

 かけ湯の音の後、チャプンという水音と伝わってくる波紋が、横を向いている俺にもミスズの入湯を教えた。


「ひゃあ~」

「や、やはり露天風呂はいいものだな?」

「こんなん、めっちゃ安全なトコでしかでけんのやけどな。この辺りは拓けてるから割りと安全やし、おっちゃんも居るから平気やろ?」


 買いかぶらないで欲しいなと思いつつ、赤い顔をミスズに向ける。

「あ、おっちゃん。ひとつ聞きたいことがあるんやけど?」

「な、なんだ?」

 神妙な声で顔を寄せてくるミスズに釣られ、つい小声になる。


「銭湯のおっちゃんが、風呂から上がったときにマタをタオルでパーンてすんの、なんでなん? みんなやりよったんやけど、何の意味があるん?」

 どんなややこしいことを聞かれるのかと警戒していた俺は、かなり拍子抜けした。


「ああ、あれは、歳取ったらだれでも自然にやるんだ」

「おっちゃんもやるん?」

「俺はまだそんな歳じゃない」


「歳が関係あるんか。なんやおもろい話やなぁ」

「ぜんぜん面白い話じゃない。もう三十年も経てば、キミもやるかも知れん普通の話だ。そのときに俺が言っていたことを思い出せ。待ちきれなければ帰ってから父親にでも聞け」

「んじゃそうする。なんかまた楽しみが増えたわ。んははばば」


 笑いながら顔を湯に浸け、口から泡を出すミスズ。

 そうこうしている間に、空が赤く色づいてきた。

 こっちでも夕焼け空は赤いのだなと、何度目かの感慨を抱く。


「風呂は気持ちいいが、毎回石を何個も使うのは、大変じゃないか?」

「うんにゃ」

 そう言ってミスズは、手品のような手つきをすると、川原に赤い石をジャラジャラと落とした。

「こんなもん、なんぼでも作れるし」


「おいおい、そんな雑に扱っていいのか? 暴発とかしないのか?」

「爆発させよと思わなんだら、爆発したりせんし、爆発させんとゆっくり燃やすこともできるんやで? めっちゃ便利やろ?」

 言って、そこここに赤い石を投げると、川原に落ちたものはポッと火が点って、いい感じの灯りに。湯船に入ったものは、水底で赤く輝いて追い焚きになった。


 確かに、最初に湯船を掘ったのも、お湯を沸かしたのも同じ赤い石だった。

 赤い石万能すぎるだろ。便利と言うより、都合が良すぎる。

「石を作るときに爆発せえってすることもできるし、使うときにすることもできるんや。せやけど、せえってせんかったら、ただの魔法入りの赤い石やで?」

 話が分かりにくいが、小学生レベルの日本語だから仕方がない。


「まったく便利すぎるほどの便利さだな」

 俺は呆れながら答えたが、はたと気付く。

「ミスズさん? この魔法石は誰にでも使えるのか?」

「試したことないから分からんけど、多分おっちゃんにも使えると思うで。それがどうかしたん?」


「それ、街で売れないか?」

「へっ?」

 鳩豆顔になるミスズ。

「この前ラウヌアの街に入ったとき、あちこちで薪を燃やす煙が出ていて、薪自体もたくさん積んであったのだ」


「あったかも知らんけど、覚えてないなぁ。ほんで?」

 早く先を話せと言わんばかりに、目を輝かせるミスズ。


「こんな小さな石で湯が沸くなら、保存しておくのにも、運ぶにしても、便利この上ないだろう? だから、街の人も買ってくれるのではないかと思うのだ。もちろん、こんな大きな湯船は誰もが持っているわけではないだろうから、石の大きさも調節して…」


「それや! おっちゃん!」

 半球状の湯船壁面を蹴って、俺の方にジャンプしたものの、水の抵抗により、中央の一番深いところに落下した。ミスズはそのまま沈んだが、深さは二メートルなので、当然足は着かない。

「もがが!」


「ミスズさん?」 

 慌てて足の着くギリギリまで踏み出し、ミスズの脇に手を差し込んで掬い上げた。

しかし溺れかけたミスズは、闇雲にもがき続ける。

「おぶおぶっ!」


「ミスズさん、落ち着け!」

「んばあぁ!」

 助けられてもミスズの行動は治まらず、最前溺れたのを忘れたかのように、最初の勢いのまま、俺の首っ玉にかじりついた。


「…やっぱしおっちゃんはカシコやぁ!」

 しがみつき、ぐりぐりと動き回るミスズの柔らかな温もり。

 俺の脳から背骨にかけて電撃が走った。

 決して肉付きがいいとは思えないのに、この不可解な柔らかさはなんなのか?


 俺の頭に真っ先に浮かんだのは、“ぼんじり”であった。

 ぼんじりとはニワトリの尾羽の根元で、“三角”“テール”とも呼ばれる部位である。

一羽につき一個しか取れず、むにむにプリプリにゅるにゅるした不思議な感触は、他の部位にはない特別感がある。

 なお、俺が連想したのは、もちろん生のぼんじりである。


 …ってなにを考えているのだ俺は!

 妄想があらぬ方向へ暴走してしまった。

 あぁ、いや。意識を女体から食材へ逸らすのは、煩悩を鎮めるためには正しい対処なのかもしれない。

 だとしても!


 犬とかオスでもメスでもそんなに見た目も感触も変わらないし、ネコは全部メスみたいな雰囲気がある。

 なのに、人間の女ときたらどうだ!


 男と同じ材質でできた生き物とは思えない!

 不可解なる者よ、汝の名は女なり。

 …とまあ、それほどまでに理解を超えた感触だったのだ。


「3.14159265318932384626433832795028419…」

 気がつくと俺は、お経のように円周率を唱えていた。

「おっちゃん、なにぶつぶつ言うてんの?」

「み、耳元で囁くな…!」


 自分の身体が反応してしまわぬように祈るばかりだ。

「んはは。なんそれ、変やなぁ」

「く、くねくね動くな…!」


 ミスズは、子供のころにこちらに飛ばされて、それ以来誰とも深い関わりを持たず生きてきた。

 それゆえに中身は成熟せず、子供のままなのだろう。

 セックスアピールなど意識の端にもない、ただ、無邪気なだけの少女なのだ。


「ミスズさん、放せって…」

「えぇ? こんくらいエエやん?」

 多分今も、焦る俺をからかって放さないわけではなく、抱きついたら何となく居心地が良かったとか、そういう子供な理由なのだろう。


 外側はまだしも中身は子供。

 そんな子に手を出してしまったら負けだ。

「は…放せ…。の…のぼせる…」

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