第32話 キミが居れば、俺だって暖かいんだ
「明日はウチも行くさかいな!」
またしても置いていかれたミスズが、膨れながら言った。
「だから、ミスズさんは徹夜で石出してるじゃないか。無理をさせてはいけないと思ってだな…」
怒りに任せて頑張った結果なのか、テーブルには赤い石が山盛りになっている。
「ウチは若いさかい、平気や言うたやん!」
テーブルに手を衝いて、ふらりと立ち上がる。
「だが…」
“疲れているようだ”と言おうとしたのを遮るように、ミスズは拳槌で俺の胸を打った。
「…ウチがおっちゃんの心配すんのは、あかんことなん?」
バリバリの三白眼で、俺を睨め上げるミスズ。
「…いや、あかんくないよ、ありがとう」
俺は急速に鼻の頭が痒くなるのを感じ、人差し指で掻いた。
「…うん、明日は一緒に行こう」
「んははぁ。それでエエんや。魔法はミスズさんに任しとき!」
「機嫌が戻ったところで、ご飯行こうか。俺も腹減った」
「異議なーし!」
その日はなにかの骨付き肉と、なにかの芋。具の多いなにかのスープをいただき満腹した。ミスズは小柄なのによく食べるが、たくさん食べる女の子は、見ていて気持ちがいい。
「んはは。お腹いっぱいやぁ。おっちゃんはもっとウチに…」
水代わりの弱い酒に酔ったのか、いつもの笑い声を上げながら、ミスズは外套をはためかせてくるりと回った。
はらはらしながら見ていると、案の定脚を絡ませてよろけたので、俺は素早くその背中に手を添え、そのまま掬うように抱き上げた。
「あぁ、頼りにしてるから、今日は早めに休め」
家に着いて降ろすと、手をぷらぷら振りながら、よたよたと自分の部屋へ歩いていった。
「今日は疲れたし、俺も寝よう」
そう口に出してベッドに仰臥したものの、なかなか寝付けなかった。
アリアに無理はさせたくないが、ミスズなら無理はさせていいというわけじゃない。そんなふうに思考が堂々巡りして眠れなかったのだ。
結局、ミスズにも無理はさせたくないが、それで彼女の気が済むのならそうすべきだろう。それに、ミスズが居ればアリアに無理させなくて済むかも知れないし、しかもミスズが魔法をずんどこ使えば、魔法力がずんどこ増えて後々有利になるかも。
という結論になった。結論と銘うてば聞こえはいいが、要するに成り行き任せということだ。実に情けない。
頭を抱えていると、部屋の外で物音がした。
『…ミスズの部屋の扉…床が軋む音…便所か…』
なおも耳を欹てていると、月明かりの中、肩を窄めたミスズが部屋に入ってきた。
なるほど。犯行現場を初めて目撃したが、便所に行ったら寒くなったので、俺の部屋に温もりに来たということか。確かに“おっちゃんの身体が温いから”とか言っていたな。
ベッドに上がってきたミスズを、俺は初めて自分の意思で抱き寄せた。
寝ぼけているのか反応はない。
「…キミが居れば、俺だって暖かいんだ」
これでぐっすり寝られそうだ。
ダンコフ行きを決めてから三日、つまり今日は出発の日だ。
「大家のところに行って、部屋を引き払わないとな」
色々思うところはあるが、戻ってくるにしてもいつになるか分からないので、このままにしておくわけにはいかない。
「なんで? このままでええやん? アプリはあるんやろ?」
本当に意外そうにミスズが答えた。
「…まぁ、一年や二年は大丈夫なくらいはあるが…いいのか?」
三日前ミスズは、ここに戻ってくるようなことを言っていたが、本気なのだろうか?
「ええもなにも、魔女いてもうたったかて帰れるとは限らんし、家は大事やろ? デンデン虫はええけどナメクジはアカン」
俺はその例えに苦笑しつつ答えた。
「…ミスズさんさえ良ければ、それでいいよ」
あちらの世界に帰ることができなければ、拠点としての家が必要となるし、帰ることができれば、アプリはいくら大量に持っていても無価値になる。
赤い石を作れる限りアプリを稼げるから、家賃を余計に払っても問題ない。
言っていることは至極当然なのだが、出会ったころはあれほど帰りたがっていたのに、今では“どちらでもいい”みたいなスタンスになっている。
この変心はどういうわけだ?
危険なこともあったが、俺はこの町が好きだ。
アリアが現れなければ。
目標が定まらなければ。
いつまでもミスズとふたり、今のまま暮らしていけるのなら。
それでもいい。いや、それがいいとまで思っていた。
…俺まで、なにを考えているんだ。
その後、近所に住む大家のもとを訪れ、一年分の家賃を前払いすると大いに驚かれた。眼を丸くした老婆に、部屋を一年間そのままにしておいてもらいたいということ、また、その期間が過ぎても戻らなければ、荷物は処分してもよいということを申し添えた。
これで一年以内に戻ってくれば、今までの生活に戻れるわけだ。
「じゃ、次はあそこだな」
あそこというのはもちろん、この街で一番関係の深い場所、互助会会館である。
互助会会館に入り、エーリカの前に立つと、とたんに怖気てきた。
旅にではなく、エーリカへの説明にである。
ふたりの魔法スペシャリストが一緒だとはいえ、俺はちょっとガタイがいいだけの、ただの人間だ。明言する自信はない。
とは言え、“正直戻って来られるかどうかも分からないが、戻って来られたら、また仕事の斡旋を頼む”などと本音をぶっちゃけるわけにもいかない。
「それじゃエーリカさん。いつになるかは分からないが…」
適当な言葉が出てこなかったので、俺は葬式の挨拶のように語尾を有耶無耶にした。
「はい。シオン様が戻られた暁には…」
俺に合わせてくれたのか、エーリカも同様にふんわりと濁した。
「本当に、早く戻ってくださいよぅ。折角赤い石のおかげで、互助会が潤い始めたところだったんですからぁ」
ニイナが泣き出さんばかりの顔で、恨めしそうに言った。
彼女は出荷受付と保管から販路拡大まで、赤い石に関するすべてを担当していたのだから無理もない。きっと給料にも響くのだろう。
「すまないな。詳しいことは言えないが、この用事は俺がここに来た目的なのだ。これだけは、すっぽかすわけにはいかない」
魔女に攻められて異世界に頼るような状況になっているなど、他国からしたら侵攻の理由になるだろう。
秘密にされているかどうかは分からないが、軽々しく口にする話ではない。
「…大事なことを忘れておりました」
はたと思いついたように、エーリカが頬に手を当てた。
「本来であれば、他国への移動などの場合は、互助会を退会される方が多いのですが…。いかがなさいますか?」
俺は返答に詰まった。
すぐに戻るとは言ったものの、俺たちはこの世界にとっての異物だ。
魔女を倒したら否応なく元の世界に戻されてしまうかもしれないし、そもそも魔女を倒せるという保証はない。
俺は結構この街を気に入っている。石も作れないミスズ抜きの俺を、この街が好意的に受け入れてくれるかどうかは分からないが、戻って来られるものなら、ミスズを帰したあと、ひとりでも戻ってきたいと思っている。
口を噤んでいた者が、最後の軽い一押しで何もかも話してしまうことがある。俺もまた、最前濁した言葉が、口を衝いて出そうになった。
「お…」
「そのままでエエに決まってるやん。戻ってくるつもりなんやから」
それを察したわけでもないだろうが、ミスズが返答した。
「承りました。無事のご帰還を、切に祈っております」
「そ、それじゃあ、また…」
そそくさと互助会を辞そうとした俺の背中に、少し切羽詰った感のある言葉がぶつけられた。
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