第4話 拗れの結果


 どんな反応を見せるのか。


 久遠ひさとおの大きな瞳に吸い寄せられそうになりながら、俺は一旦冷静になりたくて彼女が寄せてきたのと同じ分横にズレ距離を取った。 


 夏の計画を立てる?


 意図を汲み取り内心で小首をかしげつつも、最悪の事態(彼女の辞意表明)を想定していた俺は勝手に肩透かしを食らう。


 それに加え、もちろん本人にその意図はなかったはずだがある営業テクニックが俺の中で成立してしまっていた。


 イエスセット。一貫性の法則に基づく心理手法。

 単純質問で複数回イエスと言わせた後には本命の質問に対しイエスと言いやすくなるというものだ。


 相談に乗る。仕事の話じゃ無ければ。

 その二回でしかなかったが、とはいえ今の俺の心理は思いのほかすんなりイエスだった。


「いいよ。夏の計画、だよな」


「えっ。いいんですか?」


 長い睫毛をまたたかせる久遠ひさとお


「って、聞いてきたお前が驚いてどうするんだ」


「だってそんな簡単に頷いてくれるとは思ってなかったから。一応聞きますけど、分かった上でオーケーしてくれてるんですよね?」


「たぶん……。夏の計画だし、祭りだろ? あと花火、ほかは海とかプールとかか?」

 

 指を折り始めた俺になにやら久遠ひさとおがほぉと頷いている。


「ほんとだ。実は私、先輩は仕事帰りの飲みこのお誘い以外はNGかと思ってました」


「まあたしかにお前と会った当時なら多分そうだったろうな。でももう今更だろ? 誰かに会ったとして、一人寂しく転勤してきた同郷の面倒を見てるって言えばその場はなんなり凌げるだろうしな」


「そっかぁ。つまりなんだかんだ言って先輩もこの時間を楽しんでくれてるってことですね?」


 久遠ひさとおはまんざらでもない、そんな顔をする。


「まあ、そりゃあな。そうじゃなきゃこうも頻繁に一緒には飲まないだろ」


「うんうんっ。ですよね」


 髪をさらさらと揺らしながら嬉しそうに首を縦に振る彼女を横目に俺はグラスに口をつける。

 逆に久遠ひさとおは両肘をつけたままグラスをテーブルにトンと置いた。


「先輩って不思議な人ですね」


「なにが?」


 カウンターに並ぶ俺たちは二人とも前を向いたまま。

 どこを見るでもなく。


「今まで会った人は大抵一緒に飲んでるとすぐに持っていこうとしてきたんですけど。先輩からは少しも邪な感じがしないんですよね」


「それは久遠ひさとおが後輩ってのもあるけどな。それを差し引いても大概こじららせてるからなぁ。俺」


 相変わらず肘をつけたまま顔だけを向けてくる久遠ひさとおに俺も眼だけ合わせる。

 

「転勤して数年は俺も東京支店に戻るつもりだったんだ。だから大阪こっちで彼女を作ろうとも思わなかった。でも同時期どころか後から来た奴らさえ3年もすれば戻っていくなか、俺だけはもう丸6年。今年で7年目だしな」


「だから今になって急にマッチングアプリを始めたと」


 実は少しだけニュアンスが違うが。

 だけど何も言わず頷いて返した。


久遠ひさとおもどうなるか分からないぞ? もちろん後押しはしてやるけど、さ」


「先輩。それ、自分が戻らないていになってますけど」


「そうかもな」


 空笑いをして返す。こればかりは上が決めることだ。

 ただ彼女の場合は理由が理由なだけにある時期が来たら退職も辞さないのだろうが。


 そうはならないようにしてやらないと。

 そんなことを考えていると、急に久遠ひさとおが「ぷっ」と吹き出した。


「なんだよっ。人がせっかくいい気分で浸ってたのに」


「だって、先輩ってばさらっと彼女が6年もいないこと暴露しちゃうから。自分では気付いてなかったんでしょうけど」


 次いで悪戯っぽい目を向けられ「うっ」となる。


 いや、なんならずっといないんだが……。絶対からかわれるから言わないでおこう。


「なるほどなるほど。じゃあきっと無精な先輩のことだから関西こっちの花火大会やお祭りにも行ったことがないんじゃないですか?」


「その通りだよ。笑いたきゃ勝手に笑え」


 気恥ずかしくなった俺はグラスをぐっと手に持つとグビッと喉を鳴らす。


「しょうがないなぁ。寂しい先輩のため、この可愛い後輩が一肌脱いであげることにしましょうか」


「逆だろ。そもそもお前が誘ってきたんじゃないか」


 なんだよ、嬉しそうな顔しやがって。


 そんな風に口を尖らせていると、久遠ひさとおがさっき離れた分を埋めるかのようにまた身体を寄せてきた。

 

 予め準備してたんだろう。手には関西のイベント雑誌を持っているようだ。


 俺たちの肘が軽く触れる。


 同時に、職場では決して嗅ぐことのない仄かな甘い香りが鼻先をつついた。




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