第8話 七夕の残り香を他愛もない話で


 翌週の土曜。夕暮れ時。我が家うちのテラスで。


 久遠ひさとおがひとり、二人がけの長椅子で膝を抱えながら三角座りをしている。


 今日の彼女はデニム地のスキニーフィットパンツにロゴ入りの白Tというこれでもかというほどシンプルなコーディネート。 

 なのにどうしたってお洒落にしか見えないのは容姿素地のせいだろう。


 フィット感の高い服装がゆえそのメリハリの効いた身体のラインが浮き彫りになっており、加えて髪を後ろで一括りにした女性らしいポニーテールのせいか、この家にまるで似つかわしくない異質な色っぽさを醸し出している。


 そんな中、当然手に持つグラスには先週飲みきれなかった冷酒が。


「そんなところに突っ立ってないで先輩も一緒に座りましょうよ」


 久遠ひさとおが隣に座れとばかり、シートをぽんぽんと叩き俺を呼びつけてくる。


 幅が足りないのは先週に実証済みだ。


 腰掛けた自重でたわむポリエステル製のシート。

 すると意図せず互いの二の腕あたりがむにゅっと触れ合い、暑いのにひんやりとした感触を覚えた。

 同時にそれまで仄かだった甘い匂いがその濃度を上げる。


「では一週間ぶりに。かんぱーい」


 カツンとグラスを合わせるや久遠ひさとおがクビっと。

 俺も釣られてひと口深めにあおる。


「いやぁ、やっと解放されましたねえ」


「だな」


 今週は複数の新規プロジェクトが同時に立ち上がったこともあり、毎日遅くまで残業続きだったからな。

 そんななかで飲みに行く体力が残っているはずもなく、今週に限って言えば今日が彼女との初飲みだ。


「来週はもう少し落ち着くと思うけどな」


「ほんと、そうなることを祈るばかりですよ。こっちはもう先輩切れで大変だったんですから」


「なに言ってんだ。単に酒が飲みたかっただけだろう」


 ツッコむとケタケタと笑い始める。


「言っときますけど私は先輩と飲むお酒が好きなんですからね? それにそんなこと言って。先輩だって実は私切れだったんじゃないですか?」


 そう言うと三角座りをほどきその反動で前屈みになった久遠ひさとおが「ねっ」とローテーブルに飾られた鉢植えの笹の葉に指先で愛おしそうにちょんとれた。


「実はもうとっくに枯れてると思ってたから。ありがとうございます。水、ちゃんと替えてくれてたんですね」


 絶対気付かれないと思ってたのに。

 ほんと、こいつのこういうところが侮れないんだよな……。


「まあ、そりゃあせっかく買ったんだ。可哀想だしな」


「素直になったらどうです? ほんとは私に見せようと思ってたって、正直にそう言えばいいのに」


 そう言うとジトっとした目で見つめてくる久遠ひさとお

 一方半分以上図星を突かれ気恥ずかしくなった俺は急遽話題を変えることにした。


「話は変わるけど。久遠ひさとおって漫才は見たりするのか?」


「はい。見ますけど。でもまた突然な話の変わりようですね? もしかして恥ずかしくなっちゃいました?」


「バカなこと言ってんなよ。んなわけないだろ」


 なんで分かるんだよっ。


「仕方ない、そういうことにしておいてあげましょうか。で、なんですか?」


「いや、大した話じゃないんだけど。この前偶然テレビで見て、俺たちはなんでなんだろうなーと思ったことがあってさ」


 そう言うと久遠ひさとおがふうんと興味深げな表情かおを見せてくる。


「実は漫才ってコンビごとに立ち位置が決まってるらしいんだけど。知ってたか?」


「いえ……。でも言われてみればたしかにそうかも?」


「まあ、あくまでコンビ間での話なんだけどな。多いパターンとしてはボケが客席から見て左側。つまり俺らで言うとこの久遠ひさとおの側にいることが多いらしい」


「そうなんですね。でもどうしてですか?」


「諸説あるみたいだが、有力なのは心臓のある左側にツッコミが立つことでボケが安心するからとか。あとは単にツッコミに右利きが多いからって言ってたと思う」


「そっか。先輩は右利きで、私も右利きだけどボケることが多い、か。たしかに当て嵌まってはいますね。けど」


「けど、なんだよ」


「いえ、だから何が言いたいんだろうなーと思って」


「別に。特別意味はねえよ」


 たしかに今の流れだと久遠ひさとおの左側、つまり彼女の心臓の側に俺がいるから落ち着くだろ? って。そう言いたいと思われたとておかしくはないのか。


 内心少しだけ慌てていると「ま、いいですけど」と急に久遠ひさとおが立ち上がる。


「交代してみませんか?」


「位置をってこと? いいけど」


 ベンチシートとローテーブルに挟まれる格好の久遠ひさとおはその狭い空間を立ったまま横歩きで左にずれてゆき、一方の俺は張りのある彼女のお尻が目の前スレスレを横切ってゆくなか、妙に気恥ずかしさを感じつつ少しだけ腰を浮かせ右にずれる。


 そして入れ替わってみて。


「しっくりきませんね」


 久遠ひさとおの言う通り、正面に座った時の気恥ずかしさとはまた違う意味で妙な感じだ。

 俺も「だな」と相槌を打ち、次いで目を合わせた俺たちはクスっと笑い合う。


「戻りましょうか」


「だな」


 さっきの逆再生。俺たちは元の位置に戻る。


「不思議。こっちの方が断然しっくりきますね」


「だな」


「ちょっと先輩? さっきから『だな』ばっかり言わないでくださいよ。それ、妙にツボに入るんですけど」


 既に半笑いの彼女から恨めしそうな目をぶつけられた俺はまた意図せず「だな」と返してしまい。

 すると久遠ひさとおがプっと吹き出してしまった。


「ちょ、それっ、禁止って言ってるっ、じゃないですかっ」


 なにが面白いのかさっぱり分からないが、どうやら本当にツボに入ってしまったらしい。あるよな。たまにこういうこと。

 久遠ひさとおはくつくつと笑いを堪えるのに必死だ。


 まあそんなに面白いのならと、もう一度「だな」と返してみることにする。

 すると遂には両手で腹を抱えながら笑い始めてしまった。



「はぁ、ふぅ……もうっ! 死ぬかと思ったじゃないですかっ」


 目に溜まる涙を人差し指で拭い必死に訴えかけてくる久遠ひさとお


「いや、なにがそんなに面白かったんだよ? 全く分からないんだが」


「そんなの私もですよ。冷静になったら何が面白いのか。でもっ、くくっ」




 ——その後、やっと落ち着いた頃合い。


「あれ、俺たち何の話してたんだっけ?」


 ふと首を傾げる俺に「あれ。なんでしたっけ?」と久遠も首を傾げ返してくる。


 思い出そうと二人して唸りつづけるもなかなか思い出せず。


 その後やっと思い出した彼女に俺が返した言葉は言うまでもないだろう。




(第1章了)




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