第3話 ビジネスの街で


 梅田、新大阪と並ぶビジネス街として知られる大阪本町でしとやかに佇む本社ビル。


 出社した俺はセキュリティチェックを抜けると営業部が一堂に集う三階フロアへと向かう。

 

 営業部は全部で四課。

 大型店舗向けルート営業の一課、ネット・通信販売を担う三課、他社向けODM、OEM事業の四課、そして久遠ひさとおや俺が所属する中小型店舗向けのルート及び新規営業を中心としつつ、他課から零れた仕事のヘルプを担う二課で構成されている。


 ちなみにその幅広い業務に携わることの出来る利点を生かし、特に他都道県で採用された営業部員はひとまず二課に配属されるのが常套だ。


「おはようございます、先輩」


 俺の姿を見つけた久遠ひさとおがすかさず声を掛けてくる。


 朝に似合うそよ風の如く爽やかなその笑顔。

 昨晩とはまるで別人の彼女から二人飲みの時のように仄かな甘い香りが漂ってくることはない。


 久遠ひさとおは周囲に目がないことを確認するとにやり一笑。


「待望の週末でもありますし、今日も一杯どうでしょうか?」


 グラスジョッキを口へ運ぶジェスチャー付きだ。


「お前の場合は週末とか関係無いだろう。そもそも一杯で済んだこともないし」


「あら。そうでしたっけ?」


 可愛らしい顔でとぼけた振りを。


 誘ってくるのはたいがい始業前。まだほとんど誰も出社していないこの数分の内にその夜の予定が決まることがほとんどだ。


「また夜更かしでもしたんでしょう。一度顔を洗って来たほうがいいと思いますけど?」


 ジトっとした目を向けられる。

 よくお気付きのことで。実は昨晩例のマッチングアプリの相手とのチャットが思いのほか長丁場になってしまった。


「あ、それはそうと。今晩、少し相談したいことがあるんです」


「相談、って……。もしかして仕事のか?」


 もしかしてと言ってる時点で俺も俺だが、即答で「え、まさか」と目をしばたたかせるこいつもどうかと思うぞ。


「お前なぁ」


 怒った素振りを見せると久遠ひさとおは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 といっても笑い方は控えめに。

 職場で見せる彼女の自然体はどうやら二人飲みの場でのそれとは少々異なるらしい。


 などと思っていたら彼女が少しだけ背筋をピンと伸ばしたことに気付く。

 誰か出勤してきたな。そう思い振り向くと課長だった。


「課長、おはようございます」


「おう久遠ひさとお。いつも早いな。永瀬ながせもおはよう」


「おはようございます」


 長野県出身の課長は東京支店経由での本社栄転組だ。

 遅めに結婚し十年。本社採用の若めの奥方と社内恋愛の末ゴールインした彼は大阪ここでの引退を強く望んでいるらしい。


「そうそう久遠ひさとお。始業前なんだが少しだけいいか? 手当の件で伝えておきたいことがあってな」


「はい、もちろんです」


 愛想良く二つ返事をした久遠ひさとおは俺に向けにこっと目配せをすると課長の後について行った。


 さて、俺も席に着くか。


 そう思い鞄をデスクに置くや、すすっと背後から忍び寄る影に気付く。


 この独特の気配は……。


「おはよう永瀬ちゃん」


 次いで後ろからぐっと肩を回される。


 営業一課。今橋大希いまばしだいき

 一コ上で独身、とらえどころのないやさ男だが仕事はピカ一。ちなみに社内で久遠ひさとおを狙う輩の一人でもある。


 まあこの人に関しては可愛い女子社員には見境みさかいがないから別枠か。


「ほんま隙のない可愛さやな。朝から目の保養になるわぁ」


「それ、本人に言ったらセクハラですからね?」


「……。でも実際あの笑顔だけで仕事取れるで。永瀬ちゃんもそう思わんか?」


「まあ、武器の一つにはなるでしょうけど。でも彼女はそういうのを抜きにして、すぐに仕事を取れるようになりますよ」


「知ってる。出来る後輩が出来てさぞ永瀬ながせちゃんも嬉しいやろ」


「そうですね。真面目ですし教育係として非常に助かってますよ」


 仕事中だけは。と内心で付け加えておく。


「貸してや」


「駄目です」


 言うと思った。


「なんでや? 超真面目な話、いま仕事が溢れ返ってるんやて」


「超って言ってる時点で不真面目です。だったら俺が手伝いますよ。今彼女には順を追って仕事を覚えてもらってるところなんです。混乱させたくありません」


「相変わらず堅いなぁ。ケチ」


「ケチって……。というかそもそもヘルプ依頼そういうのは課長に言ってくださいよ」


「え、マジで? ほんまにっていいん?」


「どうぞお好きに。でも本心はさっき言った通りですからね?」


 念のため釘をさしておく。

 すると今橋さんは情けない顔でべーっと舌を出した。


「そんな恐い顔すなや。冗談に決まってるやん……」


 短くない付き合いだ。この人が俺の嫌がることをしないのは分かってるが。

 ただ、からかってちょくちょく俺の嫌がることを言ってくるのがな……。

 

 決して悪い人ではないんだが。




 その日の晩。いつものキタで。


 他愛もない話でひと盛り上がりした後、そろそろ頃合いかと思い俺は今朝の話を切り出すことにする。


「そういえば今朝の話。相談、だっけ?」


 社内の人間関係は極めて良好。のはず……。


 正直、急に辞めたいなどと言い出すことはないとは思うが、とはいえ俺の及び知らぬところで何か無いとも言い切れない。


 まあ、そもそも本人が仕事の話じゃ無いって明言してたんだ。

 多分そうなんだろうが……。


 とはいえ内心は神妙な心もちである。


「あの。そんな強張った表情かおをされるとこっちまで緊張するんですけど?」


 顔に出ていたらしい。


「って、そっちが珍しく相談とか言ってくるからこっちも身構えるんだろう」


「それは失礼しました。でも先輩がどう思うか分からなかったので……」


「大丈夫だ。仕事の話じゃないならどうとも思わないから。気にせず話せよ」


「ほんとですか? じゃあ単刀直入に言いますけど」


 そう前置きをすると久遠ひさとおは隣からすっと身体を寄せ俺を覗き込んできた。


「ふたりで夏の計画を立てませんか?」





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