第31話 ふたりきりの夜にふと呟いた言葉


 ベッドの上。シーツにくるまり横たわる久遠ひさとおから食器の場所などを聞きつつ、慣れぬキッチンで調理を進めてゆく。


 言ってもたかが粥だ。加えてあらかじめ米を水に浸けてくれていたおかげで火も通りやすく時短でことが運んだ。


 煮立った鍋に事前に塩と鶏がら粉末を溶かした料理酒をしっかりと混ぜ合わせ、最後は卵を投入し火を止めてから五分ほど蒸らす。


 味見をするもちょっと薄すぎたか。塩で微調整してから皿に移し替えた。


「出来たぞ」


 声を掛けると久遠ひさとおがゆっくりと上半身を起こす。

 額には冷却シートが。それと緊張が切れたせいもあるんだろう、さっきより幾分息が荒くなっている。


「すごい……。先輩、料理出来たんですね」


「自慢じゃないが長いこと一人暮らししてるからな」


「それってもしかして、暗に私と同棲したいって意味だったりします?」


「何バカなこと言ってんだか。ほら、熱いから気を付けろよ」


 ったく、こんな時までこいつは……。

 苦笑を浮かべた俺から苦言を呈されつつ、トレーを引き取った久遠ひさとおは両手を合わせ「いただきます」と一言。木目のスプーンでひとすくい、唇を小さくすぼめ念入りにふーふーと冷ましつつ口に運ぶ。


 ふと、その姿が誰かに重なったような気がした。

 ただ少しばかり古びた記憶のせいだろう、手繰たぐり寄せようとするものの上手くはいかない。


「あの、急にそんな真剣な表情かおで見つめられたら緊張すると言いますか……。メイクもしていないので、あまり見ないでもらえると」


「ああ、悪い……。どうだ? つっても粥だけど」


「はい、美味しいです。すごく」


「そうか。無理せず食える分だけ食えよ」


 いつもより弱弱しくはあるものの、ニコッと微笑んだ彼女にひとまず安堵する。その後、完食を果たした久遠ひさとおが「ご馳走様でした」とまた手を合わせた。


「それだけ食欲があるなら大丈夫そうだな」


「美味しかったからです。……ほんとにすみません。こんなつもりじゃなかったんですけど……」


 まだ強がりを言おうとする後輩からトレーを引き受けると、そっとベッドに横たわらせる。


「なんで言わなかったんだよ。つうか、いつからだ?」


「実は今朝からちょっと。起きたら少し熱っぽいなって……。でも身体自体は元気でしたし。それに、先輩に心配をかけたくなかったので」


「……やっぱそうか。しんどい時はお互い様だろ? そもそも無理して悪化させてたんじゃ世話ないだろうが」


「それは、そうなんですけど……」


「俺も何回か経験してるから知ってるけど。ひとり暮らしで風邪引くとすげえ心細いんだ。俺ん時は誰もいなかったけど、お前には俺がいるだろう。いつだって駆けつけてやるから。もっと俺を頼れ」


「先輩……」


「それに早く元気になってもらわねえと。お前がそんなんだとこっちも調子が狂うんだ。今日も週末だってのに誘ってこねえしさ」


「それって。寂しかったってことですか?」


「まあ……そうかもな」


 いつもなら乗らない場面ところだが、今日だけは特別ということにしておこう。そう自分に言い聞かせる。


「もう寝ろ。あと、なんかして欲しいことはあるか?」


 尋ねるもすぐには返事が無いまま。


 少しの間逡巡したかと思うと、なぜか久遠ひさとおは一旦シーツで顔を覆い隠し、今度は顔の半分だけをシーツから出して窺うような目を向けて来る。


「じゃあ……頭、撫でてください」


 珍しく恥ずかしそうに口ごもるその様が妙に子どもっぽくて。自然と笑みが零れてしまう。


「そんなんでいいのかよ」


 こくりと頷いた彼女へ腕を伸ばし、指先で触れるように髪を優しく撫でる。すると久遠ひさとおは気持ち良さそうに目を細めた。


「ありがとうございます。すごく、安心します」


「そうか。もう何も考えなくていいから。ゆっくり休めよ」


 気が緩んだんだろう。ほどなくして久遠ひさとおはすやすやと寝息を立て始めてしまった。


 俺は眠る久遠ひさとおの肩までシーツを被せると、腰を上げ片付けを始める。


 思った以上に生活感のあるキッチンだ。


 冷蔵庫を開けた時にはアルコールのたぐいで溢れ返ってるもんだと思ってたものだが、中には作り置きの食材などしっかりと一人暮らしの根付く姿が垣間見えた。


 今まで見えなかった久遠ひさとおが浮かび上がってくる。

 もしかして俺と飲む日のために普段は節制してるんだろうか。


 そんなことを考えながら、片付けを終えた俺はまた彼女が眠る傍らに腰を下ろした。


 もう一度、久遠ひさとおの髪を優しく撫でながら。


「好きだわ。お前のこと」



 ほっとしたからだろうか、急激な睡魔が襲ってきて。


 うつらうつらと、俺もいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。



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