第38話:季節外れの風鈴が(第1部最終話)

 誰かが優しく頭をなでてくれたような気がして。

 

 徐々に意識が戻ってゆくのを感じながら私はゆっくりとまぶたを開く。


 カーテンの隙間から薄っすらと差し込む光は朝の知らせだろうか。それとももう昼になっているのかも知れない。


 思った以上に身体が軽い。

 熱も下がっているみたいだ。


「先輩?」


 狭い室内を見渡すもその姿は見当たらない。


 その代わり、書き置きが一枚机に置いてあった。


{今日は一日ゆっくり休めよ。何かあったらいつでも連絡してこい。あとゼリーとスポーツドリンク、冷蔵庫に入れといたから。永瀬}


 そっか、帰っちゃったんだ。

 会いたかったな。


 ついさっきまで居てくれたんだろう。まだひんやりが強めの冷却シートを額に感じながら、武骨で達筆な文字に「はぁ」とちいさな溜息を落とす。


 見られちゃったなぁ。冷蔵庫の中も。

 あと……すっぴんこの顔も。


 風邪、うつってないといいんだけど。

 でももしうつってたとしてもきっと連絡してこないんだろうな。


「会いたいだけで呼んじゃ駄目ですか?」


 誰もいない部屋。


 ぽつりと自分の声だけが響いた。



△▼



「病み上がりなんだから。家でゆっくりしてりゃいいのに」


「大丈夫ですよ、昨日は丸一日休みましたし。それにゆっくりしてるじゃないですか。こうやっておうちで」


「俺んちじゃなくてお前んちでだよ」


 10月の日暮れ時。無駄に広いテラスは少し肌寒い。

 そんななか七夕の日にふたりで買った折り畳み式のベンチシートに座りブランケットを膝に掛けた久遠ひさとおを見下ろしながら溜息ひとつ。

 俺の気を知ってか知らずか、じゃあ来週はまたうちに来てくださいなんて返しがくるんだからもうすっかり全快のご様子だ。


「ほんとに飲む気なのか?」


「もちろんです。というより、わざわざ1時間近くもかけて来た後輩をお酒も飲ませずに帰すつもりですか?」


 久しぶりに聞いたな、それ。

 やっぱりその考え方はおかしいと思うぞ。


「ほんとに大丈夫ですから。おかげさまでもうばっちり。この通りです」


「お前の大丈夫は信用ならねえんだよ。ったく、一杯だけだからな。これ飲んだら帰れよ?」


「じゃあ飲みません。その代わり今日はお泊まりコースでお願いします」


「そういう意味で言ってないから。っつうか明日は仕事だろうが」


 悪びれもせずにんまりと嬉しそうな顔を向けてくる後輩にいつもの調子を感じつつ、溜息混じりツッコんでおく。たしかに顔色も良さそうだし。もう安心していいんだろう。


 短い方の缶ビールをほいと手渡すと久遠ひさとおが両手で受け取り、俺も彼女の隣に腰をおろした。


 相変わらず狭いベンチシートだ。意図せずとも肩やら肘が自然と触れてしまう中、鼻先を掠める甘い匂いにいつもの久遠ひさとおを感じる。


「では私の快気をお祝いしまして。その節はご迷惑をおかけしました」


「いや、それを言うならこっちこそな」


 お互い身を低くしてアルミ缶をちいさくぶつけあう。


「そういえば。雨宮係長、無事に帰れたんでしょうか」


「子どもじゃねえんだから。大丈夫だろ」


 今頃後悔に頭を抱えてるかもしれないが。その点においては無事を祈るばかりだ。


「話は変わるけど。久遠ひさとおって酔いつぶれたことあるのか?」


「それは、まあ……。飲み始めの時は自分の限界も分かってなかったですし。どんな風に酔いつぶれるか気になります?」


「そりゃあ。お前とはこうやってしょっちゅう飲むわけだしな。どうなるのか知っとくに越したことはないだろう」


「たしかに。うん、そうですよね」


 うんうんと頷き合いつつ、きっと今お互い雨宮さんのことを思い出してるんだろう。そんななか久遠ひさとおが嬉しそうに顔を向けてくる。どうせ十中八九くだらないことでも思いついたんだろうが。


「今度先輩の家で飲む時にでも試してみませんか? 私も一度先輩の酔いつぶれたところを見てみたいですし。もしかしたら普段思ってることが口に出ちゃったり、大胆になっちゃったりして」


「なんで俺が先につぶれる前提なんだよ。お前のほうこそいつも以上に変なこと言い出すんじゃねえのか?」


「どういう意味ですかそれ」


 ジト目を向けてくる後輩から逃れるように視線を外しつつ、でも真面目な話そんなのがきっかけでの告白なんて我ながら笑えたもんじゃない。


 と、真面目な顔で見つめてくる久遠ひさとおに気付く。


「なんだよ急に」


「いえ。その……。一昨日のことなんですけど」


 言いにくそうな物言い。それに一昨日って……。


 ふいに例の告白独白を思い出した俺は目をしばたたかせる。そんな俺を久遠ひさとおが不思議そうに覗き込んできた。


「どうしたんですか先輩。顔、少し赤いですよ?」


 ひたいに向けすっと伸びてくる手のひら。次いでひんやりとした感触を感じた。


「熱はないみたいですけど」


 熱がないことはない。ただ身体そっちの熱じゃないだけだ。それを証拠に今も胸の奥の方がむず痒くて仕方ない。


 まあなんにせよ、ひとまず例の件ではなかったらしいことに安堵しつつ。


「で、なんだよ。一昨日のことって」


「そうでしたね。えっと……、なんというか、単刀直入に言うと先輩ももっと私のことを頼って欲しいと言いますか」


「頼るって。今だって十分頼ってるだろう。お前がいなかったらこの2ヶ月、とんでもないことになってたと思うし」


「仕事の話だけじゃありません。ですから、先輩だってまたいつか風邪引くんですし。その時は私が手厚く看病してあげますからって。そういう意味です」

 

 窺うような目を向けてくる久遠ひさとおを見て、もしかして今日来たのも風邪が俺にうつってないか確かめに来たのかもな、などと思い至る。


 ほんとにこいつは。仕事のとき以外はひとつも後輩づらしようとしてくれないんだからな。


 でもそんな久遠ひさとおだからこそ俺は。きっと。


「分かったよ。そん時は絶対お前に連絡する。悪いけど頼むな」


「はい。喜んで」


 嬉しそうにニコッと微笑むと、久遠ひさとおは膝に掛けていたブランケットを俺の肩越しを包むようにふわりと掛けてくる。


 ただでさえ狭いシートで更に身を寄せ、二人でブランケットそれくるまりながら。


「先輩が風邪を引かないようにです」


 聞いてもないのに言い訳をしてくる彼女にどこからともなく笑いが込み上げる。

 俺はお前が風邪をぶり返さないかが心配だよ。


 「もう暫くはここで飲めそうですね」


 そう言って肩に頭を預けてくる久遠ひさとおに、俺も「そうだな」と短く返す。


 そんなことを言ってる間に本格的に秋が深まって、寒い冬が来てるんだろうな。


 少し肌寒い秋の風が優しく頬を撫で、


 そんななか、


 いつの間にやら季節外れとなった感のある風鈴がちりんと柔らかな音色をかなでていた。



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