第16話:巨塔に浮かぶ月を誰に重ねれば

 地上300メートル。


 一時いっときには日本一とまでうたわれた超高層ビル。

 その展望台からは奈良や大阪は当然、兵庫から京都に至るまでをぐるりと一望することが出来、なかなかに壮観だ。


 というわけで本日の飲みの場は庭園ここである。

 遥か上空まで吹き抜ける構造。じわりじわりと外気を肌に感じつつ、だからこそビールが進むまさにその名に相応しいビアのガーデン。


 ガラス越しに広がる美しい夜景に囲まれながら、でも結局俺たちのやってることはいつも同じなんだよな。でもまたそれがいい。


 円形のパイプテーブルにも関わらず、相も変わらず俺の右隣りに座る久遠ひさとおは手に持ったプラスチック製の透明カップを傾けるとクビっと。

 彼女が旨そうに飲むその姿を見てるだけでこっちまでうずうずしてくるんだからまるでリアルCMだ。


「うぅんおいひぃ~。やっっっっぱり!! 先輩を眺めながら飲むビールは格別ですねえ」


「ここまで来てなんの冗談だ。景色を見ろ、景色を」


 呆れ顔でツッコむと彼女の笑顔をさかなに俺もクビっと喉を鳴らした。

 

「ねえ先輩。ここから先輩のおうちは見えますか?」


「いや、うち反対側だから。逆にお前の家はほら、あの辺だろ」


 大阪城よりも西、淀川を越えた辺りを指差すと「ほぉ」と久遠ひさとおが感心の声を挙げる。


「私、自慢じゃないですけどかなりの方向音痴なので……。そういうのよく分からないんですよねぇ」


 そう言うと彼女は苦笑いを浮かべた。


 と、ほどなくして何かを思い出したのか、「そういえばさっきの」と残念そうに口をすぼめる。


「せっかく先輩をドキドキさせられると思ったのになぁ」


 さっき。つまり試着室での一幕ことを言ってるんだろう。

 あの時、久遠ひさとおがカーテンを閉める直前にぼそっと言ったのはどうやら本気だったらしく。もちろんその後、俺はそれを阻止した。


「つうか、お前はいったい俺をどうしたいんだ」


「そんなの。決まってるじゃないですか。悩殺して先輩を骨抜きにしてやろうかと」


 次いでニヤッと妙に艶めかしい眼を向けてくる。


「なに言ってんだ。もう十分骨抜きにされてるっての」


「えっ?!」


 不意を突かれたのだろう、久遠ひさとおはパチパチと長い睫毛をしばたたかせた。

 そんな彼女に向けニヤリと口許を緩めてみせる。


 するとすぐ異変に気付いた久遠ひさとおが「あぁ~!! 騙されたっ」そう言って悔しそうにロングスカートに隠れた脚をバタつかせた。

 おいっ、あんま暴れるとビールが零れるぞ!


「いつもやられてばっかだからな。たまには仕返しだ」


「ひどぉい! こっちは真剣だったのにぃ」


「あほ、そんなことで真剣になるなよ。というよりも、あんなの履かれてたんじゃそればっか気になって会話にならないって」


「それってつまり。少しくらいはドキドキしたってことですか?」

 

「まあ……そりゃあ、な」


 少しどころじゃないが。


 直後、お互い俯き加減になり。

 なにを思春期の高校生みたいに。大の大人がふたりして何やってんだか……だ。


 こういう時は話題を変えるに限るな。

 それが大人だ。多分。

 

「そういえば盆休みはどうするんだ? ゴールデンウィークも帰ってなかったし、親御さん心配してるんじゃないのか」


「はい。帰って来いとは言われてます。ただ、実は新幹線のチケットを取りそびれちゃいまして。もう予約が埋まっちゃってるんですよねえ」


「まだ7月なのにか? さすが盆……、恐るべしだな」


「と、いうことは先輩もまだなんですね?」


「ああ。まあ俺の場合、年末に一度帰ってるから。盆はもういいかなって思ってたし」


「そっかぁ。……あっ、もし帰るなら一緒にどうです? たしか新大阪発の自由席だと並べば乗れるはずですよね」


「お……たしかにその手があったな」


 立ってる人もいる中、二人席を知らない人とは厳しいが、こいつとなら酒も飲めるし2時間半くつろいで過ごせそうだ。


「名案でしょ? で、もし乗れなかったらそのあと一緒に飲みましょうよ。うん、それはそれでまた楽しそうっ。となればきっとお盆休み中先輩は暇だと思うので——」


「来るなよ。少なくとも毎日は勘弁してくれ」


 先んじて制すると、その時『ピコンッ』とスマホの通知音が鳴った。

 マナーモードにするのを忘れてたらしい。


 気を遣ってくれた久遠ひさとおから「どうぞ」と促され、ズボンから携帯を取り出し通知欄に目を落とす。


「例のお相手さん、ですか?」


 どうやら表情で察知されてしまったらしい。

 いったい俺はどんな顔をしてるんだろうか。


「ふうん。まだ続いてるんですね」


「まあな。悪い人じゃなさそうだし、それにいつも丁寧に返事してくれるから」


「どうぞお気遣いなく。返事してあげてください」


 久遠ひさとおは膝を折り曲げて三角座りをすると、両手をカップに添えちょびっと口をつけた。


 今は返事をするタイミングじゃないな。そう思い携帯をマナーモードにだけすると背面を上にしてテーブルの上にとんと置く。


 その後、訪れる少しの沈黙。


 するとほどなくして久遠ひさとおが夜空を眺めながら


「月が、綺麗ですね」


 と。


 その横顔からはどんな感情なのか上手く読み取れず、俺も彼女の視線を追いかけることにする。


 漆黒の夜空に浮かぶのは煌煌と呼ぶに相応ふさわしい輝きを放つ丸い月だった。


 にしても……今のはどっちの意味なんだ。

 こうも表情をぼかされるとツッコむにツッコめないじゃないか。


 困った俺は同じように夜空を眺めながら


「明日は、晴れるかな」


 お返しとばかり。恥ずかしさを紛らわすためビールを軽く煽る。


 隠された意味はあなたに寄せる私の想いは晴れるでしょうか、だったはずだ。


 どうだ? そんな面持ちで彼女の方に顔を向けたのだが……。

 そこに待ち受けたるはしたり顔の久遠ひさとおだった。


「晴れますよ。快晴も快晴、真っ青な空が広がっていることでしょう。ちなみに明後日もその次も晴れですから」


 まさに今朝見た週間天気予報のような返し。

 次いでふふっと笑みを浮かべてこられ、対する俺は苦笑いを浮かべるほかなかった。


 まずったな。

 こういうのは明日が雨の時に言うもんだった。やっぱ慣れないことはするもんじゃない。


 やられたとばかりどう返そうか考えていると、三角座りのまま久遠ひさとおの腕が伸びてきた。

 そして俺の手からするりとカップを抜き取ると、彼女はよっと席を立つ。


「まだビールでいいですよね?」


 見上げた彼女がちょうど月と重なって見えた。


「あぁ、うん。助かるよ」


「いえいえ。私が戻って来るまでのあいだ、先輩は綺麗なお月様でも眺めておいてくださいな」


 そう言ってニコッと笑うと久遠ひさとおは近くにあるビールサーバーへつま先を向ける。


 綺麗なお月様、ねえ。


 結局いったいどっちの意味だったんだか。


 そんなことを考えながら、俺はぼーっと彼女の背中を眺めていた。


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