第43話 初めての聖なる夜に①


「永瀬君。話の途中で腰を折ってしまったが、だいたいのことは理解したつもりだ。休憩中なのにつまらない話で時間を取らせて申し訳なかったね」


「いえ、こちらこそ。貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」


 この人が部長であると理解した今、社内の上司に向けた真っ当な態度で応じると「ふむ」と男性。


「君はいい男だな。気に入ったよ」


 そんな感じ、驚く俺を他所よそに「じゃあ行こうか、竹下君」と若い男性社員にひと声掛けると、男性は早々に踵を返したのだが、


 何か言い残した事があったのか、もう一度こちらへと振り向いた。

 





 その夜、俺と久遠ひさとおは今日も今日とてここ最近、久遠ひさとおお気に入りのルートと化した御堂筋沿いを歩いていた。


 もちろん景観がいというのもそうだが、なにより社の大多数が最寄りの本町駅へとつま足を向けるなか、カップルや観光客などの人通りも多く身を隠せるからというのが彼女のイチオシポイントらしい。


 まあそれに関しては俺も大いに同感ではあるが。


「じゃあ、その部長さんは『自分の娘じゃなければ応援してやれるかも』って。先輩にそう言ったんですか?」


「ああ」


 あれはなんだったんだろうか。


 結局、あの男性がどこの部署の誰かも分からず仕舞いのままだ。口ぶりからすると本社に来たのも初めてって感じだったしな。


 まあ東京支店からだけでも結構な数の部長連中が来ていたのだ。名前も知らずに探し出すのは難しいだろう。


 今度、支店の奴らにそれとなく聞いてみるか。


「でも、少なくとも東京支店の部長さんに認められたってことでしょう? すごいじゃないですか」


「どうなんだろ。別に仕事ぶりを褒められたわけじゃねえし」


 あんな会話が俺が東京へ戻る手助けになるとは到底思えない。そもそもあの人にそんな権限があるのかすら分からないわけで。


「それより。指、怪我してるじゃねえか」


「ああ、これ。ちょっとお料理の時に切っちゃって」


 手をつなぎながら、指先で人差し指に巻かれた絆創膏をなぞると、久遠ひさとおが苦笑いを向けてくる。


 そして、もう一つ気になったことが。


「それとその顔。寝不足なんじゃないのか? もしかして雨宮係長から無理難題を押し付けられてやしないだろうな」


「まさか。たしかにあの人の仕事は重めではありますけど、きちんと配慮はしてくださってますし。どっちかと言えば仕事は先輩の方が厳しいですよ」


 ジトっとした目を向けてくる後輩から所在無さげに顔を背けると、久遠ひさとおがクスっと笑った。



 その後、別れ際。地下に降りた心斎橋駅の改札前で。


「じゃあ明日。楽しみにしてますね」


「こっちこそ。つっても平日だからな。仕事が早く終わりゃいいんだけど」


「ほんとに。あっ、そうだ先輩」


「ん?」


 耳を貸せという意味だろうか。ちょいちょいと手招きをして、手を添え顔を近づけてくる久遠ひさとおに俺も何かと耳を寄せると、頬にちゅっと柔らかな感触が。


「お前っ、こんなとこでなにを」


 どうやら手を添えたのは内緒話でもなんでもなく、はなから誰かに見られぬよう口元を隠すためだったらしい。


「明日、仕事が忙しくならないためのおまじないです」


 俺の反応に満足したのか、してやったりとばかり嬉しそうに微笑むと、久遠ひさとおは胸元で手をひらひらとやり、改札の先へと消えてしまった。


 ったく、あいつはびっくり箱かなんかかよ。


 苦笑いを浮かべるも、まんざらでもない。


 いつの間にか、地下でさえ息を吐けば気霜きじもが霧散する季節になったのを感慨深げに感じながら、


 俺は鞄に手を突っ込みむと、事前に忍ばせておいたプレゼントの感触を確かめ、明日彼女と過ごすはずの夜に向けて想いを馳せた。




▽▲



 迎えたクリスマス。


 俺の所属する二課だけに留まらず、社内は各部署総出で年に一度あるかないかというレベルのお祭り騒ぎとなっていた。


 鳴りやまない電話。忙しなく走り回る大勢の社員。


 と、こんなことになったのも今冬のクリスマス商戦に投入されたとある製品の市場返品が事の発端。解析結果、一部製造ロットにおける重度の瑕疵かしが見つかったのだ。


 上層部から速やかに該当ロット品の回収措置決定が下されたものの、当然回収だけで済むはずもない。店舗の棚落ち(※)はメーカーにとって致命傷。交換で正常ロット品を、足りない分は他の商品を充当する必要性が出てしまったというわけだ。


 (※)店舗の陳列棚を空けること。販売数の満たない商品を棚から除外すること。


 しかもそれがまた、師走も師走、輸送機関が大混乱するこの時期に発生したものだからなんとも言い難い運の悪さ。


 とはいえ、不具合対応の迅速さこそが真の営業活動とばかり社内一丸となって取り組んだ結果、明けた翌25日の今日、つまりクリスマス当日の夜にようやく明日への活路を見出したところである。


「こっちはだいたい片付いたで。永瀬ちゃんとこはどうや?」


「ええ。うちもそろそろ終わりが見えてきたところです」


「そうか。ま、この調子やと明日の午前中にはケリがつくやろ。終電もあるし、今日はここまでやな」


 時刻は既に夜の十一時を過ぎている。

 タフさが売りの今橋いまばしさんもネクタイを緩めながら、さすがにもうクタクタといった様相だ。


 そんななか、「お疲れ様です」と久遠ひさとおなど一年目の社員数名が両手いっぱいにビニール袋をぶらさげフロアに姿を見せた。


「上層部の皆さんから差し入れです。どうぞ今橋いまばしさん。先輩も」


「ありがとうな久遠ひさとおちゃん。疲れてるのに悪いなぁ」


 久遠ひさとおからカップケーキとコーヒーの入ったペットボトルを受け取った今橋さんが顔の前で手刀を切る。対する久遠ひさとおも「いえいえ」と愛想の良い笑顔を浮かべて返し、続けざま他の社員にも差し入れを配って周る。


 そんな久遠ひさとおを横目に、今橋さんがすくと立ち上がった。


「どこかへ行くんですか?」


「この前言うてたやろ、総務の田中ちゃんが彼氏と別れたばっかやって。お前も目当ての子がおるんなら、今がチャンスやぞ」


 言われぐるりとフロアを見渡せば、たしかに今残ってるのは遠方からの出勤者を除く独り身がほとんどだ。


 なるほど、さすがこういった時は抜かりないな。


 と、ふいに久遠ひさとおの姿を探すも見当たらず、そうかと思えば胸の携帯がブブッと震える。


 取り出して見ると案の定、久遠ひさとおからだった。

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