第46話
アイリスの母ミランダが、王都の屋敷のサロンでお上品にお茶を飲んでいる。
窓から入ってくる光が緑色透明の液体の表面に当たって、水紋のように広がる。
「駄目な男の人は、一生駄目なままなのかもしれませんね」
娘婿は王都に帰ってくるつもりはなさそうで、田舎暮らしなのに、彼は満足そうだった。
「駄目なところが愛おしいなんてあるものか!」
父親はどうも許せない様子で、テーブルをガンと叩いた。
お茶が入ったカップが揺れた。
王都からアイリスの住まう港町まで、鉄道が開通した。そのおかげで、ちょっとした小旅行程度の時間で、彼らの住む街まで行ける。馬車に比べると断然速く、全く問題はない。
「でも、アイリスが彼の事を好きならば仕方がないのではないでしょうか」
砂糖を入れなくても甘みがあるわ、と思いながらミランダはそのお茶の風味を堪能する。舌の上にかすかな苦みを感じる。
「船で何カ月も旅に出るなんぞ、そんな暇があったら、爵位を取り戻す努力をしろ!」
すぐ近くに港があるから、すぐに外国へ行ける。二人はゆっくりとした船旅を楽しんだようだ。
「爵位なんぞいらないんだそうですよ」
ふふふとミランダは笑った。
腹を立てているのがバカバカしくなるくらい母親は穏やかに笑う。
「けしからん!」
茶葉は細かく、葉は細い枝葉のように見える。紙の袋を開けると、とても良い香りがした。
異国の町を歩ける自由を得るのに、爵位は関係ないものねとミランダは思った。
「アイリスは彼の優しさや真面目さ、単細胞なところも全部ひっくるめて、面倒をみようと思っているのでしょう」
父親は娘婿の話が出ると、腸が煮えくり返るくらいに苛立つようだ。
心を穏やかにするリラックス作用が、このお茶にはあるらしい。
それとなく、カップを父親の眼の前に置き直す。
「この先、あんなくだらない男が、しっかりとやっていけるはずがない」
悔しそうな顔をしながら、彼はカップを手に取る。
決めつけは良くないですわと、ミランダは眉を少し上げる。
「貴方みたいな、俺様で、人の気持ちを考えないで突っ走るような殿方を選んだ、私みたいな女もいるんですから」
表情は変わらないが、口から出る言葉は辛辣だ。
「それは……」
自分の話になると一気に父親の熱は冷めてくる。
「世の中、人の好みは様々でしょう。誰かにとやかく言われる筋合いはありませんわ」
正論だ。もうアイリスは完全に家を出て、契約書まで交わしている。こちらがとやかく言えないのが現状。
「なぜ、あんな軟弱な男を……」
彼は額を抑えた。
「そうですね……それなら、アイリスと、縁をお切りになったら良いではないですか。あの子は別に、親の助けなどなくても、ちゃんと自分でやっていけますわ」
縁を切るなんて絶対嫌だ。と父親は首を振る。
「……むむ」
「さあ、あなたも、そろそろ子離れする時がやってきたのですわ。おとなしく、諦めなくてはいけませんね」
王都の公爵邸に二人は顔を見せに来ていた。そして先程、アイリスとスノウを見送った。
今は夫婦二人、サロンでお茶を飲んでいる。
老後の楽しみは、孫の顔を見ることだ。
ただし、この頑固が一生直らない男と一緒に。
たまにこうやって、お茶を飲んだり、外国のお菓子を食べたり、愚痴を聞いたりしながら、この駄目な男と一生過ごすのね。
アイリスと自分を重ねると、駄目な男が好きなのは遺伝かしらと思えてきた。
そうだったらごめんなさいねアイリス。
ミランダは、ふふ、と笑った。
「あんな……あんな没落貴族!平民やろう、領地ごと買い取ってやるわぁ!おかわりっ!」
彼がゴクゴクと飲み込んで、メイドにお代りを要求したお茶。
それはアイリスが遥か東の国から買ってきた、土産の珍しい緑のお茶だった。
それは新婚旅行のお土産だった。
おわり
旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう おてんば松尾 @otenba
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