第44話

スノウはカフェではなく自分の家に私を連れてきた。


「狭い家だけど、座ってくれ」


スノウはそう言うと二却ある椅子の一つの背を引いた。


戸棚からランプを出して火を灯す。


スノウと今までのことをたくさん話した。


お互いの思いがまったく伝わっていなかった事、そして多くの誤解があった事。


なぜ?あの時?


今更言ってもどうしようもない出来事が思いのほか多くて、すればよかった事、しなければ良かった事を挙げるときりがなかった。


一番の誤解は、彼が、私は結婚した後もまだ、王太子殿下を忘れられずにいると思っていた事。

そして、私は、キャサリンさんがスノウと恋仲であると思っていた事。


それなのに結婚は続けようと考えていた。

政略結婚なので愛情がなくとも続けていくものだと考えていた。


「いくら仕事が上手くいってなくても、妻を蔑ろにして良いはずはなかった。君に話せば良かったよ」


スノウの言葉に私は頷いた。


「男として、夫として、当主として……僕には全部上手くできなかった」


「そうね……完璧な人間なんていないわよ」


スノウは小さな台所へ立ち、慣れた手つきでお茶を入れた。


恥ずかしそうに私の前にそのお茶を出す。


この家は平民が暮らしている一般的な大きさなのだろう。

ドアを開けたらそこはもうリビングで、キッチンもテーブルも全て同じ部屋にあった。


以前は一日で回りきれないほどの大きな邸に住んでいたのに、今は三歩歩けば何にでも手が届く狭い部屋だ。


スノウは興味深そうに部屋を観察している私を見て苦笑いした。


「すまない。狭い部屋だ」


「そうね……一人ならばいいのかもしれないけれど、大人二人が入ると、隣の人と触れ合ってしまいそうね」


「はは、そうだね」


彼は男性で、背も高いのでこの部屋が格別に窮屈に感じる。


「僕は今、こんな生活をしている。綺麗な服を着たいだとか、美味しい物を食べたいとかはないんだ。今のままでも、それほど苦には感じていない」


「そうなのね」


平民の暮らしが性に合っているという事なのね。


「まぁ、たまには思うけど……」


「……そう、思うのね」


なんだか支離滅裂だ。


スノウは緊張しているように見える。

彼はひとつ咳ばらいをした。


「君が言っている事がよく分かっていないんだ。その……僕はもう、何も持っていない。、君は僕を好きだと言ってくれた。今の僕は君を満足させられるだろうか。正直言って自信がない」



「……そうね……そうかもしれない。けれど、私はできるわ」


「ん?」


スノウは不思議そうに眉を上げる。


「私があなたを満足させることはできると思うわ」


突然スノウはクスリと笑った。



「アイリス。君はとても頼もしい。僕はこんな妻がいたんだねとても勿体ない事をしたよ。もう夜だから。今日はここに泊っていって欲しい」


スノウはそう言った。


泊まる!?

ここに!?


あまりにも唐突な言葉に驚いて目を見張る。



「え……と。その、私は今日ホテルを予約しています。もうチェックインも済ませていますし、ホテルまで帰ります。馬車を貸しきっていますから、呼べば迎えに来てくれますので」




「アイリス。もう僕はタイミングを逃したくないんだ……!」


スノウの勢いに驚いて、思わず肩をすくめた。


スノウは凄く焦った様子で言い訳するように言葉を並べる。


「あ、すまない。違うんだ。その、話をするタイミングだ。君と話をする事を先延ばしにするのだけは避けたい」


ああ、そういう意味で言ったのかと納得した。


話をする事が私達にとっては必要だった。


「君の、アイリスの二年間を僕は知りたい」


スノウはそう言うと私に向きなおって、まっすぐ目を見つめた。


スノウの知らない私の二年間。

それは私にとっては結構大変な二年だった。


「外交の仕事を手伝ってほしいと頼まれたわ。殿下からのお願いだった。条件付きで、後任が決まるまで一年出仕しました」


私は話し始めた。


私は貴族籍を抜き、自由にさせてもらうという事を条件に、一年だけという期間限定の約束でそれを受けた。


私と彼らの妥協できる点を決めるのに、かなりの時間を要した。


「契約書にサインして、私は晴れて自由の身になったの」


「自由の身……君は貴族籍を抜いたのか」


「そうよ」


私は正直に答えた。


自分の事業に成功したから、生活には困らないと彼に説明した。




私は、物事をてきぱき効率よく進めることが得意だった。人の適正を見定めて作業を割り振るのも苦ではなかった。

外交大臣の代理という立場だったが、なんとか仕事はこなせたと思う。


女だという事がネックになり上手く事が運ばない時はあったけど、次の適任者を見つける事ができた。


できればまだ続けてもらえないかと職場からは言われたが、契約で一年となっているから、例外は認められないと断った。

そもそも王宮で一生公僕として働くなんてまっぴらごめんだ。


外交大臣の仕事の事はスノウには詳しくは話さなかった。



「ある日、スノウが領地の端の港町で暮らしているという噂を聞いの……」


彼は彼なりに進退を見極め、平民に下り細々と生きているのだと思った。


ただ、また誰かにいいように利用されていないかとか、騙されて無一文になったりしてないかとか。スノウの居場所がわかってから、やけに気になりだした。


「ああ。僕はもう領地の仕事は何もしていない。父は、責任の一端は自分にもあると分かっていたけど、体裁を保つため僕を廃嫡した」


親は我が子に全ての罪を背負わせたのね。

貴族でいる為に仕方のない処置だったんだろう。

スノウは気の毒な人だ。これが公正な裁判なら確実に情状酌量案件だろう。


上に立つ者にしては、彼は純粋すぎた。

真面目な性格ゆえ、悪意に満ちた者達の餌食になってしまった。


「ええ。貴方がすべての責任を負ったのよね。けれど今、領地に住んで教師として暮らしている。義父様は貴方を見限った訳ではないでしょう。仕方がない事だったのね」


「まぁそうだろうな。僕はもう自暴自棄になりかけていたから、なんとか生きていけるだけの場所は与えてくれたのだろうな」


スノウは苦笑した。


それにしてはこの粗末な家。これを見る限りは、彼らがそれほど息子を気にかけているとは思えない。


「貴方は今の状態で幸せなのかしら」


「うん……そうだね。どうだろう。このゆっくりとした日常は僕に合っている気がするし、そうでもないような気もするし……」


よくわからないなと彼は笑った。


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