第43話  おまけ

午前中この港の視察をした。


空は青く、空気は澄んでいて、海が近いせいか、波の音が何処にいても聞こえてくる気がする。


鉄道がこの町まで延びるという噂がある。

もしそれが事実なら、数ある港のうち、ここに線路を敷く理由があるはず。


実際に見てみるべきだと思った。


この港湾は、漁業や観光目的の港ではなく、物流に特化していた。


この町の鉄道は、人を運ぶのではなく、主に物を運ぶための物ではないかと気がついた。


鉄道が通れば、ここは将来、国の海上輸送網の拠点となるだろう。


まだまだ地形的に開発の余地がある。

アイリスは実業家としての目でこの町をみていた。



けれど、本来の目的はそこではなかった。



ずっと心の奥にある、スノウに対するもやもやした思いを昇華したくて、私はここにやって来た。






八年の妃教育の後、婚約はなくなり、新たに結婚した相手は閨を共にすることなく婚姻無効となった。


嫁ぎ先の公爵家で私が冷遇されていた事、執事をはじめ使用人たちの悪事に気が付かなかったことに関しては、スノウが一人で責任を取る事となった。



スノウが大臣を務めていた外交執務室にもメスが入る。

勿論スノウは監督責任があるし、彼が、もっと早く周りに助けを求めていれば、ここまでの事態にはならなかっただろう。


けれど古くからの慣習のような体制を改革していく事は難しかった。

スノウに丸投げした重臣たち、王室に問題があったことは否めない。


結果、彼がスケープゴートにされた。


あれから二年が経った。





「僕の部屋へ来てもらってもいいんだけど、何分狭すぎるから……もしよければカフェで話をしよう」



彼は少し考えてから、私を窺うようにそう提案する。


分かりましたとアイリスは頷いた。



「この町にも他国からの移民がたくさんやって来て、治安の問題が出ているんだ。だから暗くなったら女性一人で歩くと危ないんだ」


スノウはそう説明しながら、石畳の道を歩いていく。

少し日に焼けた姿は、二年前に見た時よりも幾分逞しくなったように見える。


王都から馬車でやってきた。この町について、ガイドを雇った。


御者台に護衛も乗っているので、問題ないだろう。

その辺は抜かりないアイリスだった。


スノウは荷馬車が通る車道側を歩き、それとなくアイリスを守ってくれている。


この町の通りには、外国人が沢山いる。

港があるからか、他国から来た行商人などがいてエキゾチックな雰囲気が漂っていた。




多種多様な人々が行きかう通りの端で、粗末な服を着た男が一人、物乞いをしていた。


地べたに座り、欠けた木の器を前に置いて、道行く人に小銭をせびっている。

その物乞いは、痩せていて、汚れていて、酒の匂いがする。


スノウは「少し待っていてくれる?」とアイリスに言った。

彼は急いで屋台で売っているサンドイッチを買い、物乞いに渡してポケットの小銭を器に入れた。


その様子を見ていた屋台のおばさんは、自分の店の物を買ってくれたにもかかわらず、スノウに忠告する。


「そんな事をしても、また他の人から物をねだって毎日それを繰り返すだけだよ」


道行く人も冷たく言い捨てる。


「そいつに施しを与えたって意味がない。どうせ酒に消えるさ」


他人から無償で何かをもらうような行為を、許せない人もいるのは仕方がない。



確かにその場しのぎの小銭を渡したとしても、根本的な解決にはならない。


貧しい民は国中どこにでもいて、弱って死んでいく者もいる。

自分が責任を持ち、その物乞いを何とかできるならまだしも、それができない中途半端な親切はただの偽善だ。


「この人たちの生きる手段、方法を考えるのが先かもしれないわ。それは、ここを統治する領主の仕事でもあるし、これからの国の政策にもかかっているわね」


全ての民を裕福にすることはできない。

改善策を考え、その者たちに仕事を与えられる世の中にできれば良いが、難しい問題だ。


私はスノウの行為を見ながらそう言った。彼は困ったような顔をする。



「この先彼はずっとひもじい思いをして生きて行くかもしれない。もしかしたら数日後に死んでしまうかもしれない。明日の彼の命の保証は僕にはできない。でも、今だけでもお腹がいっぱいになれば、それで彼はこの瞬間は、幸せだと思うんだ」


スノウはそう言うと、私を連れて歩き出した。



ああ……スノウはこういう人だった。



先の見通しが甘く、その場しのぎで行動してしまう。

誰でも信用して、騙されて、なんでも素直に受け取って、自分が割を食ってしまう。


けれど……それがスノウだった。

私とは考え方も行動も違う。


そんなところが私は……




「スノウ……私ね。あなたが好きみたい」




突然私が発した言葉にスノウは驚いて唖然とした表情で私を見る。


「え……と……」


何を言えばいいのか分からない様子だ。

つっかえながらも彼は続ける。


「いろいろ……その、君には迷惑をかけた。えっ……と、恨まれて当然だし、顔も見たくないだろうと……僕はそう思っていたんだけど」



「過去の失態は、大人の忘却力でなかったことにします」


私は彼の言葉を一刀両断で処理する。

スノウはぽかんと口を開ける。


しばらく道の端に立ち止まっていた。通行人に邪魔だと舌打ちされる。



彼は私の手を取ると、速足でズンズン歩きだした。



握られた手首から、彼の手の温もりが伝わってくる。


痛くて、とても熱かった。












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