第5話 夕食
約束した時間より少し早めに食堂へ行った。
きれいなドレスに着替え失礼のないようマリーに化粧を手伝ってもらった。
30分ほど食堂の椅子に座っていただろうか、旦那様は来ないようだった。
そばに控える食堂担当のメイドは何も話さずじっと部屋の隅に立っている。
「あの……ナタリーといったかしら」
私は午前中紹介されたメイドの名前を呼んだ。
給仕のメイドは驚いたように返事をする。
「はい。何でございましょう」
「食事に来られないようだけど、旦那様はお忙しいのかしら?」
「旦那様は王宮へ仕事に行かれました」
「え……」
「奥様、そろそろお食事をお持ちしてもよろしいでしょうか」
「いえ、少し待ちます。旦那様は王宮へ行かれたのですか?」
「私は詳しいことは存じあげません」
「そ、そうね……では、メイド長か執事のマルスタンを呼んできてください」
約束をしていたけど、急な仕事が入ったのかしら。
それなら知らせてくれたら良かったのに。
しばらくするとメイド長がやってきた。
「奥様、お呼びでしょうか」
「ええ。スノウ様は出仕されたのですか?夕飯を一緒にと言われたのですが。もし、戻られるようでしたら待っていたほうがよろしいですか」
「何時にお帰りになるか分かりませんので、先にお召し上がりになられたほうがよろしいかと」
メイド長に冷ややかに答えられた。旦那様が仕事だというのに私がずっと待っていたのが気に入らなかったようだ。
それならそうと先に言ってくれればよかったのにと思った。
そして私は一人で冷めた夕食を食べることになった。
使用人たちは私に対して愛想がいいわけではなかったが、少なくとも意地悪をしてやろうというような感じは受けない。
けれど、訊かなければ教えてくれないし、必要最低限のことしか言わないので冷たく感じる。
どこか私を品定めしているようで、とても歓迎されているようには見えなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから一週間、毎晩食堂へ行ったがスノウは現れなかった。
一週間お休みだと言っていたけどあれは無かったことになったのだろう。
スノウは屋敷には帰ってきていないらしく、旦那様の顔を見たのは、あの午後のお茶のときが最後だった。
「アイリス様、旦那様が帰って来られたら呼んでもらって、もう、食事は自室に運びましょう」
誰もいない食堂で寂しく食事をすることを気の毒に思ったのか、マリーが見かねて提案してきた。
「そうね。あの食堂は一人で食事するには広すぎるわ、メイドや執事も無口な人が多いようだし」
「態度も悪いですよね。冷たいっていうか無愛想で、決められた仕事しかしませんって感じですよね。公爵家の使用人はみんなあんななんですかね」
無駄口をたたかないのは良いことだし、口の軽い使用人は注意が必要だろう。夫人に対して自ら話しかけることはしてはいけないと躾けられているようだ。
「きっと公爵家のやり方があるのかもしれないわね」
日が経つにつれ家令たちの態度が目に見えて悪くなっているのは分かっている。
一緒にお茶を飲んだときの旦那様の様子はとても好意的に思えた。
これから二人の関係を築いていこうと言っていた。彼なりの考えが読み取れたようで嬉しく思った。
一応夫婦としてやっていこうとしているんじゃなかったのかしら。
「いくら仕事が忙しいとはいえ、新婚の妻を置いて一週間も帰らないなんてあるんですか?それならちゃんと説明してもらわないと、こちらもどうすればいいのかわからないですよ」
確かにあまりにも放置されすぎだ。屋敷の主人が私に対してそういう扱いをすると、使用人は公爵夫人の私を軽く見てしまう。
「執事に訊いてみたけど、旦那様の仕事に口を挟まないようにとそれとなく牽制されたわ。屋敷のことや執務も夫人として管理する必要はないから、何もせずおとなしくしていて欲しいのね」
「食事と住まいは与えているのだからってことなのでしょうか。でも、掃除や湯あみの準備はしてくれますけど、身の回りのお世話はノータッチですし、公爵夫人としてもう少し尊重されてもいいと思います」
「マリーには面倒をかけてしまって申し訳ないわね。自分のことはできるだけ自分でするように頑張るわね」
「いえ、そんな。私は面倒だなんて思っていません。ただ今まで王妃教育を長年やってこられたアイリス様に対してこんな扱いをするなんて、腹が立って仕方がないだけです。全部旦那様のせいです」
マリーはかなりストレスが溜まっているようだ。
図書室へ行ったり庭を散歩したりはするけど、屋敷の外には出たことがない。閉じ込められていると言っても過言じゃない。
私に付き合ってマリーまでも監禁生活をさせてしまっている。
「結婚して今は公爵夫人になったの。もう王太子様の婚約者ではないわ。長年の王妃教育は無駄になってしまったわね。今はただの役立たず」
長い間、毎日王宮へ出向き厳しい教育を続けた。まさに血の滲むような努力をした。
遊ぶことなんてできない。僅かな休憩の時間でさえ与えられないほど、辛く苦しい日々の積み重ねだった。
実家の侯爵家には莫大な慰謝料が支払われた。両親には期待を裏切る形になったせめてもの償いとして、慰謝料をそのまま渡している。
私の八年間の努力が報われることはなかった。
「役立たずだなんてとんでもない。アイリス様はそこら辺のご令嬢達とは違います。誰よりも高貴で気高く賢く美しい完璧な淑女です」
(完璧な淑女の価値の低さを今思い知っているところだけどね)本心は心に隠して、マリーにありがとうと礼を言った。
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