第12話 宮殿へ
数カ月ぶりの王宮は何も変わっていなかった。
八年間通い続けた宮殿だ。辛い思い出しかないけれど久々に見るとやはり懐かしい。
私は馬車の窓を少し開け、シンメトリーの幾何学模様に綺麗に刈られた庭園の空気を胸に吸い込んだ。そしてゆっくりと口からはき出し、いざ出陣と気合を入れた。
馬車で城の門をくぐり旦那様の出仕している北の宮殿を目指す。
立ちはだかる関門を、元王子の婚約者、現公爵夫人の名の元、なんなく突破した。そして旦那様の仕事場、外交大臣室へ向かう。
宮殿内は広大だ。初めて来る人は必ず迷子になる。
すれ違う人たちが私を見て立ち止まり礼の姿勢をとる。
顔は知られているし、ちょっとした有名人なんだろう。悪い意味でだけど。
そう思いながら、淑女の微笑みといわれた完璧な笑顔を張り付け、回廊を突き進んだ。
立ち振る舞いを見れば口を開くこともなく出自が知れます。とマナー教師から何度も教え込まれた。
高い位置から見下ろすように、遠方に視線を送ること。そのために顔を上げ胸を反らし、頭の上から糸で釣り上げられた様に背筋を伸ばす。
誰にも声をかけられないよう、すごいスピードで一直線に歩いていった。
1階から階段を上がり、衛士の回廊を通ると2階の右翼側、閣議の間の奥に国の執務関係の部屋が並んでいる。
精巧を極めた無数のシャンデリア、有名画家が描いた絵画たちには目もくれず、目指すはスノウの執務室。
辿り着いた扉の前で息を整えた。ノックしようと腕を上げた瞬間。
「アイリス……」
後ろで名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声は忘れもしない。王太子ウィリアム殿下の声だった。
「ウィ……王太子殿下」
急いでウィリアム殿下のほうへ向き直りカーテシーをした。
「よい。久しぶりだな」
私は頭をあげウィリアム殿下に微笑んだ。
「王太子殿下におかれましては益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。お久しぶりでございます」
「まさかこのような場所で会うとは思わなかった。今日は……あぁ、そうかスノウに会いに来たのだな」
「……はい」
ウィリアム殿下は側近達を引き連れ閣議室から出てきたようだった。
「殿下急ぎませんと」
側に控えていた政務官が先を促す。
「ああ」
毎日毎時間、分単位で行動が決められている王太子のスケジュールは、立ち止まって言葉を交わす暇さえ与えられない。
一度王宮から離れ、外部の者の目で彼を見ると、現状がよく分かる。
婚約が白紙に戻った時は今までの努力を無い物にされ恨みはあった。
けれどそれはウィリアム殿下個人の考えでのことではなかっただろう。王子ともなれば自らの気持ちや思いは関係なく、全てが閣僚の議会によって決定される。
「いや、少しくらい時間はあるだろう。アイリスと話をしたい」
殿下の言葉に傍にいるカルタス卿が苦い顔をする。彼は殿下の御学友から側近になった者だ。
「殿下、謁見室で只今辺境伯がお待ちになっています」
自分の意思で息をすることさえ認められないような、そんな彼は王宮の被害者だった。
「アイリス公爵夫人。殿下はこれから西のヘルメスの間へ向かわれますので」
苛立っている様子の側近達に私は睨まれる。
けれどもう私は王宮を出た人間だ。自分がどう思われようと関係ない。
「承知しました。殿下、私は西の回廊から見る庭園の様子がとても好きですので、よろしければ私もヘルメスの間までご一緒させて頂いてよろしいでしょうか?」
ゆっくり歩けば20分はかかる道程だ。その間少しは話ができるだろう。
「わかった。そうしよう」
殿下はそう言うと、側近たちの気色も気にせず私に横に並ぶよう指示をした。
「なんだ騒がしいぞ」
ガチャリと音がして大臣室の扉が開いた。
中から宰相閣下が出てくる。
側にはスノウが立っていた。
「な……アイリス!」
スノウは声をあげた。驚いて見開いた彼の目に殿下の姿が映る。
宰相閣下がウィリアム殿下に挨拶をする。スノウも頭を下げた。
「これは失礼いたしました。殿下ご機嫌麗しく」
ウィリアム殿下は宰相閣下の言葉を右手で制し。
「スノウ、アイリス夫人を少し借りるぞ」
王太子殿下は返事を待つつもりもなく、そう言い残して先に歩き出そうとした。
旦那様は私を見つめ、眉間にしわを寄せたまま頭を下げた。
結婚しているとはいえ昔のよしみで気兼ねなく私を傍に寄せた殿下だったけど、さすがに見かねて宰相閣下が止めに入った。
「公爵夫人も久々の王宮でしょう。本日は殿下との謁見のご予定ががあったのでしょうか?」
殿下と約束していたわけではない、偶然会ってしまった。こんな場所で話しているのだから、一見して分かっているだろう。宰相閣下はわざとこの質問をし、この場を修正しようとしている。
隣国王女との婚儀が決まっている王太子殿下が、元婚約者を連れ歩くことは決して良い見聞にはならない。
「……何もかも、私の思うようにはいかないものだな」
ふっと苦笑いしてウィリアム殿下は疲れた様子で息をついた。
「アイリス、またの機会に改めて時間を作るとしよう。新婚の夫人を連れ歩く訳にもいくまい。すまなかったなスノウ」
「……いえ」
スノウは頭を垂れたままウィリアム殿下に返事をした。
「アイリス、息災でな」
寂しそうにそう言葉をかけられ、なんともいいようのない気持ちで殿下に膝を曲げてカーテシーをした。
微妙な空気間の中、護衛に促されて殿下は去っていった。
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