第11話 あれから一カ月
一カ月が経った。
あれからスノウは数日おきに屋敷に帰ってくるようになった。
「一体全体どういうことだったのでしょう」
マリーが私の髪をセットしながら困ったような顔をする。
「私にもよく分からないの」
「ですよね。でも……夫婦関係は継続するということでいいのでしょうか」
「それがよく分からないの」
『愛を込めて』というメッセージの言葉以外、彼からの愛情表現はない。
夫婦関係は白い結婚が継続中だ。
仕事は相変わらず忙しいようで、帰宅しても深夜になることが多かった。
たまに一緒に夕食をとることがあり、そのときの会話から、とにかく彼は仕事が好きだということが分かった。
久しぶりに話ができると期待しても、ほとんど仕事の話だ。
例え仕事の話がほとんどだとしても、妃教育で学んだ外国の歴史や政治情勢などの話が夫とできることが嬉しいと感じた。
ふと見せる笑い顔や、私のことを気遣ってくれている言葉に胸がきゅっとなる。
その感情が何なのか自分ではよく分からなかった。
やっと、馬車を出しましょうとマルスタンが私に外出の許可を出した。
ここ最近旦那様が屋敷に帰ってくることで彼の溜飲が下がったようだ。
とはいえ、公爵家の馬車は使わず、週に三日は勝手に街へ出かけていたので今更感がぬぐえない。
勿論屋敷の者には内緒の外出だった。
まだ完全にスノウのことは信用していないし、なによりキャサリン様という謎の令嬢の存在が気になっている。
あのアパルトマンは今では仕事をするための事務所として使っている。
そして恋人を屋敷に連れてこられた場合を想定して、いざという時のための避難場所として必要だと思っている。
それから実家で働いていたジョンを個人的に雇って、駅周辺の土地を購入しそこを整地した。
彼は予てから自分で事業を起こしたいと考えていたようで、経済情勢に関する情報を収集したり分析したりするのが得意だった。
自分たちで何かの商業施設、ホテルやアパルトマンを建てることも考えたけど、それよりも借地権を売る方が定期的な収入に繋がると考えその方向で話を進めている。
今の所、借地権が売れれば、元本は戻ってくる計算だ。
駅前の土地の購入は良い考えだとジョンは言ってくれた。
ただ借金をして土地を買うのは反対で、それなら寝かせている持参金と支度金を使うべきだと提案された。
もし、万が一この土地の地価が下がった場合は、鉄道株を手放して使った分の支度金と持参金を工面することにした。
ジョンには同時にキャサリン様のことを調べてもらっていた。彼は貴族の事情に詳しい調査会社を通してキャサリン様の伯爵家とメイド長の身辺を調査してくれている。
彼女が今私の一番気がかりな存在であることは確かだ。
あくまで想像だけど、彼とキャサリン様の関係は『恋人同士だった。あるいは現在もなお恋人関係にある』だ。
『スノウには恋人がいた。そして私との王命による結婚により別れてしまった』辺りが適当だろうと考えている。
マリーは屋敷のメイドたちの噂話に耳を傾け、彼女の情報を探ってくれた。
「スノウから直接キャサリン様のことが訊ければいいのだけれど」
私の何となく発した言葉にマリーが反応する。
「メイド達の『キャサリン様と旦那様の恋人』発言はメイド長が誘導しているようにも思えます。たとえ過去に恋人関係であったとしても、今現在も続いているとは思えません。だって旦那様はアイリス様と夫婦を続けてらっしゃいますし」
「王命には逆らえないからね。従わなければ彼の将来はないわ」
そもそも政略結婚だと最初にはっきり言われている。
「まぁそうですね。ひと月が経ちます。ほとんどの時間を王宮の仕事場で過ごされているのもなんだか腑に落ちません。アイリス様との夫婦の時間をもっと作るべきです」
「白い結婚ではあるけれど、この先もしスノウとの子供ができたのなら、私はその子を彼に奪われる形で離婚はしたくないの。キャサリン様を第二夫人にするとか愛人にするとか考えてらっしゃるのなら、たとえ王命であっても離縁してもらうつもり」
「そうですよね。旦那様の考えていることが分かればいいんですけどごまかされても嫌ですし、こちらもちゃんとした情報を掴んでおくべきですね」
愛する人との子供を後継者にするのが一番いいことだと思う。
もし子供ができたら、自分の子供が蔑ろにされるのは私も嫌だしきっと彼女だって同じ気持ちだろう。
トントントンとドアがノックされ使用人が私に手紙を届けに来た。
ジョンからの手紙だった。
「お嬢様。明日馬車と護衛をつける外出がありますけど、どちらへ行かれますか?貴族街へショッピングへ行きますか?久しぶりに観劇にでも行ってリフレッシュ休暇にしましょう。ここ最近キャサリン様の件で気分が良くないですし、少しは遊びに行ってもいいかもしれません」
マリーは嬉しそうに市井で買ってきたクッキーをお皿に出し、お茶の用意をしている。
私はジョンからの手紙に目を通した。
念のため手紙はすべて女性名で出してもらっている。公爵家の者たちは皆、私の友達からだろうと思っているようだった。
内容は仕事の話がほとんどで、株や土地の値段が上がったという吉報が多かった。
私はジョンからの手紙にさっと目を通し、マリーに告げた。
「マリー、明日は王宮へ行くわ」
「え?」
「旦那様に会いに行きます。マリーはリフレッシュ休暇を取ってちょうだい。ジョンにもそう伝えて。二人にはボーナスを渡すからおいしい物でも食べてきて」
「いえ、そんな。アイリス様が王宮に行かれるのなら私もお供します。もし旦那様に会えなかったり、追い返されたりしたら困りますし。そもそも宮殿へ立ち入ることができない可能性もあります」
「マリー心配しないで。私を誰だと思っているの?王太子の元婚約者よ。八年通ったわ、王宮は私の庭よ」
マリーは納得した様子で「……確かに」と呟いた。
「ジョンの手紙には何が書いてあったんですか?」
私はじっとマリーの顔を見る。一瞬どうしようか迷ったが正直に答えた。
「旦那様の仕事場に、キャサリン様がいるようだわ。彼女は外交秘書官をしているみたい」
知らなかった。
今までずっと彼はキャサリン様と一緒に仕事をしていたんだ。
何とも言えない苛立ちと、モヤモヤした感情が私の胸の中に広がっていた。
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