第3話 朝が来る
昨夜は自室に戻りベッドに入った。
夫婦の寝室の隣に妻用の部屋が用意されていた。
いろいろ考えているうちに空は白みかけてくる。結局私は眠らず朝食に向かう準備をすることになった。
しばらくすると遠慮気味に侍女のマリーがノックをして部屋へ入って来た。
マリーはハミルトン家から連れてきた私専属の侍女だった。
早く公爵家に馴染めるようにと最低限の使用人しか連れていくことを許されなかった。
「……お嬢様、お体は大丈夫ですか?」
マリーが私の体を気遣い朝の準備を手伝ってくれる。
「体は大丈夫よ、ありがとう。けどマリー、もうお嬢様じゃないわ。一応、奥様になったの」
昨夜のことが気になるだろうマリーに、心配しないよう明るく返事をした。
夫婦の寝室のベッドが乱れていないこと。私が自室で眠ったことをマリーは知っているだろう。
旦那様に何もされなかった事実は隠しようがない。
「朝食はお部屋にお持ちしましょうか。旦那様からはゆっくり休ませるようにと申しつかっています」
「ええ……どうしたらいいのかしら。食堂へ行って食べたほうがいいのならそうするけど」
マリーは焦ったように言葉を継いだ。
「アイリス様、朝食はこちらに運びますわ。食堂は使用人たちが沢山いますから見世物のようになってしまいます。まったく、配慮ってもんがないのよこの屋敷は!」
マリーは言葉使いが荒くなっている。
「それじゃぁ……そうね。朝食はここで頂こうかしら」
まだ屋敷の使用人の誰にも会っていない。
執事かメイド長かに紹介されなければならないだろう。
旦那様に呼ばれるまでは部屋でおとなしく待っていたほうがいいのかもしれない。
「これからのことについて、今日の午後旦那様と話をするわ。昨日の結婚式の様子を見て分かったでしょうけど、私はスノウに歓迎されていないようね。王命による政略結婚だからって言われたわ」
朝食後、マリーに昨夜のことを話した。
マリーは私が十三歳のころ市井で見つけた平民だった。
当時は商人の家で小間使いとして働いていたが、元は孤児だったという。
道に迷ってしまい途方に暮れていた私を助けてくれた恩人でもある。
貴族令嬢に対しても物怖じしない彼女の態度は、家の者には不評だったが、私は好ましく思った。
彼女は明るく庶民の知識が豊富で、毎日元気づけてくれる性格が気に入っていたし、何より心強かった。
同じ年齢の友人がいなかった私の支えになってくれた大切な存在だ。
「元はといえばあの王子のせいです。王命にして結婚から逃げられなくした上に、こんな公爵様を選ぶなんて。八年間我慢に我慢を重ねて、辛い王妃教育に耐えてきたのに。私は……悔しくて、悔しくて…」
私は一年前まで王太子の婚約者だった。
両親はのちの国母となる娘の将来を夢見ていただろう。しかし急に隣国の王女との結婚が決まり、私は側妃候補となるという打診があった。
王太子の側妃という立場に納得がいかなかった私の父親は候補を辞退した。
勿論急な変更に対して、王家からは侯爵家の意思を尊重すると言われた。
婚約が白紙になってしまった事実は私の汚点となる。
王室は責任をもって私に良い結婚相手を探すと言ってくれた。
そして国王陛下が選んだ相手がスノウ=フォスターだった。
しかもこの結婚は王命として下され、ハミルトン家は承諾するしかなくなった。
王命に背くことはできない。
これもやっぱり貴族として生まれたから仕方のないことだ。スノウは不服だったんだろう。
「婚約は破棄ではなく白紙になっているし、莫大な慰謝料も支払われたわ。それに王室は地位も名誉も財産も文句を言えないほどのお相手を探してくださったの。それがスノウ様でしょう。それにフォスター家の港の使用権利がハミルトン侯爵家に与えられたんだから文句は言えない」
ハミルトン家とフォスター家は同じくらい力のある貴族だった。
互いに隣接する領地を持ち、山側と海側で違いはあるが、ハミルトン領は山からの恵み、フォスター領は海からの水産業で潤沢な資産を有していた。
この結婚により、近年雨が降らず、深刻な干ばつに悩まされていたフォスター領に対し、大きな湖を領地に所有するハミルトン家が水の無償利用を提供した。代わりに、フォスター領は外国への輸出など自由に貿易ができる港の使用権利を得た。
王家が湖から水路を通す公共事業の費用を全額負担した。
これにより両家は上進活発に増殖し、大きく繁栄するだろう。
そして、その関係を確固たるものとする為にこの婚姻が結ばれた。
「貴族に生れたから仕方がないって、まるで政治の駒のように扱われるお嬢様がお気の毒で……」
「幼いころから、そう教育されていたから私は大丈夫よ。マリーには心配ばかりかけてしまって申し訳ないわね」
「せめてスノウ様、旦那様に大切にされて愛され結婚していただければと思っていたのです。それなのにあの冷たい態度ったらないです。初夜だって妻を放置して早々に自室に戻られるなんて酷いです。少しでも思いやりを持って接して下されば私だって文句は言いません」
「マリー、そんなに興奮しないで。旦那様と話をしてみないと分からないから。彼が私を今後どう扱うのか。まだ結婚式を挙げたばかりだから何とも言えないわ。とりあえず様子を観ましょう。彼も自分の領地のことは考えているだろうし、酷い扱いはしないでしょう」
政治的な意味合いで結ばれた結婚でも、上手くいっている夫婦は沢山いる。
公爵夫人となったからには、後継ぎを産むことが自分の使命だと思っていた。けど、初夜の彼の様子を鑑みると、それは望まれていないのかもしれない。
侯爵家に恥じないようにと、父が見栄で揃えた花嫁道具。
高価なロココ調コンソール デスク、キャビネット、鏡台やソファーが寂し気で意味のなかった物に見えた。
不安でも、辛くても表に出さない貴族然とした態度で私は部屋の中を見渡した。
嫁いできた以上公爵夫人としてこの家の為に役立とうと考えていたけど、前途多難ってことかしら。
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